【人魚の涙】
両手で握り締めたナイフが蝋燭の灯を受けて鈍く輝きながら目の前で眠る男の胸の上で揺らめく。
もう少し、なのに。このままこの手を振り下ろしさえすれば、あの男から与えられた任務は全て終わるというのに。
「何故だ、どう、して…っ」
手が、声が、震える。息が、上手く出来ない。視界が、歪む。
ただただ古びた時計の針が進むばかりで、どうしても手の中の白刃を男の心臓に突き立てることができない。
「っ…」
早くこの男を殺さなくては。そうしないと、自分が死んでしまう。頭ではわかっているのに体が動いてくれない。動こうとしない。
何故、なんて…そんなこと聞かれなくても答えは既に出ていた。
私は自分が消えてしまうことよりも、この男が目の前から居なくなってしまうことの方が恐くて堪らないのだ。
この男を一目見た時から、こうなることはわかっていたのかもしれない。どんなに否定しても、心が受け入れてくれなかった。
許されることなら、もう一度、キスをしてほしかった。その腕で強く抱き締めて、好きだと、囁いてほしかった。
頬を伝い零れた雫を吸った冷たい切っ先を己の左胸へと振り下ろしながら思うのは、海の中から見上げた空のように澄んだ男の閉じられた瞳の色。
「さよなら、佐伯…」
私は、お前を、愛していた。
END.
20090906
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パラレルが書きたくて書きたくて仕方無くなった結果。手始めに人魚姫をモチーフに自己流のアレンジをふんだんに加えてみたらあまりにも原形が残らなかった。