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杳として知れず




「じゃあ、俺はそろそろ帰る」
そう言って立ち上がった蓮二の、ズボンの裾を掴んだ。
白い足が歩みを止める。
「…仁王」
「もうちょっとおって」
「しかし、電車が」
「なら泊まればええ」
明日休みなんじゃろと追い討ちを掛ければ、反論の術と帰宅の理由を失った蓮二はこっちを振り向いた。
そして、少し俺を睨んで溜息を吐く。
「決まりじゃな」
俺も立ち上がり、蓮二の肩を掴んで距離を詰める。
「仁王…」
顔を近付けると、恥ずかしそうに横を向いた。
何か言いげに唇を動かし、困ったように眉根を寄せている。
面白くなって耳元で呼ぶと、ぴくっと肩を揺らして反応を示した。
蓮二は、自分の名前を呼ばれる事にめっぽう弱い。
俺がこんな事ばかりするからだろうが、彼はいつまで経っても耐性がつかない。

顔を離し、今度は蓮二の口元に唇を近付けた。
少し震えている姿に「かわいい」と漏らせば、「っ、馬鹿…」と悪態を吐かれた。
が、そんなに頬を赤くして言われても、説得力など皆無である。
隙あらば逃げようと目論むその唇を、俺の唇に触れさせた。
その途端、蓮二は硬直したように大人しくなった。
柔らかい唇を食むように、口付けを深くしてゆく。
隙間から舌を差し込むと、服の裾をきゅっと掴まれた。
縋りつくようなその行為が愛しくて、手を腰へ回した。
相変わらず細い。
すると蓮二は俺の背中に手をやり、抱きつくように身体を密着させてきた。
温かい口内に舌を這わせる。
いつになく積極的になった蓮二が、舌を絡ませた。
さっきまでの嫌がっていた姿は何処にもない。
熱を帯びた吐息が漏れ、唇が濡れていく。
もう何度もこうしているにも関わらず、蓮二はまだ慣れないらしい。不器用な呼吸をして、時折脚を動かした。
「ん…、っ」
奥深くまで貪るようにキスをして、二人の混ざった唾液で口元が濡れていく。
それでも、離れなかった。


「っ、は…」
漸く唇を離したと思えば、蓮二はしがみつくように俺の胸に頭を擦り付けて項垂れた。
「仁王っ…」
圧迫されたような苦しい声に、蓮二の身体を強く抱き返す。
「れんじ…」
頭を撫でてやると、いよいよ俺にくっついたまま、微動だにしなくなった。
シャツを掴む左手だけが震えている。
さらさらした黒髪を頬で撫ぜた。
するとシャンプーか何かの良い匂いが鼻腔に充満した。
その心地よさが病みつきになりそうだ。
暫くぼうっとしていると、突然呼ばれた名前にはっとした。
「雅治…」
「ん」
「…笑わないで聞いてくれるか…?」
「うん」
「……好きだ…」
「うん。知っとるよ」
「大好きなんだ、本当に…もうこれ以上ないくらい、好きなんだ…」
「俺も好きじゃ」
「…本当か…?」
「当然じゃ」
「本当に俺を、好きでいてくれるのか…?」
「ああ。ずっと、蓮二だけじゃから」
「雅治っ…」
下を向いている顔に手を添えて、俺と向き合わせる。
部屋の明かりは薄暗いのに、その瞳が少し潤んでいるように見えた。
「蓮二…」
もう既に百回くらい呼んでいそうな名前を口にして、また唇を重ねた。
ねっとりと舐め上げるように口内で蠢く舌の感覚で、蓮二が肩を震わせる。
そのとき、少しだけ唾液の中に塩気を覚えた。

見ると、雫が蓮二の頬を流れていた。
それは一筋に留まらず、やがてこぼれるように落ちていった。
泣いているのだと知るのに、たった一秒も要さなかった。
こうして溶けるように絡め合って吸い付いてもひとつになれない切なさを、その涙で濯ぐことは出来るのだろうか。


end



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