偽善者と偽悪者
今日はずっと雨が降っていた。
やむことのない雨がずっと、ずっと。
「………………」
次第にそれは空から降ってくるものじゃないことに気付いた。空じゃないからといって地からそれが湧いているわけでもない。
じゃあこれは何か…。
ずぶ濡れなんだ。でも冷たくない。ぐっしょり濡れてるんだ。
ボクはどこにいるんだろう…?
目の周りに何か巻きつけられてる…。…布、だよなァ…。一体誰がこんなことをしたんだろう。
不思議な、朦朧とした違和感に襲われる。…何かがおかしい。今までこんなことってあったっけ? ボクはとりあえず目の周りを覆っている布を外して現状を知るために手を顔に伸ばそうとした。
ガシャッと金属音が擦れたような音がした。手を見ることはできないけど、背中でそこにあるものを確認した。何だろう。円柱っぽい。のかな…。
「…?」
両手首付近からガシャガシャと音を上げていることから、もしかすれば手錠でもかけられているのかもしれない。力任せに円柱に鎖をぶつけて壊そうと試みた。鳴るのは大げさに鳴る金属音だけで破壊される傾向がなかった。
「誰かー…、誰かいませんかーー………」
もしかしたらボクを捕まえた犯人が近くにいる可能性をふまえて、ボクは普段の声より少し小さめに辺りに助けの声を求めた。
返ってくる音は嫌に冷たい静寂な音ばかり。背筋がぞくりとする。耳がキーンとする。
「こんな鎖くらい…ボクの魔法で…」
静寂の中僕は自分を励ますように自分に語りかける返ってくる返事はどこにもなかったが、それをふまえた上で自分に言い聞かせたんだ。間違っても気分を悪くするなんて自己中心的な考えはしたくはない。
ファイヤーで徐々に鎖を柔くして千切ろう。少しの熱さくらいは我慢しよう。
一人後ろどころか前も見えないのにそう考え、ファイヤーを唱える。
…。どうしてだろう…ファイヤーが使えない。
ボクは何度かファイヤーを唱えてみる。だけど無反応。どうしてかはわからない。魔力を吸い取られてしまったのか? またはごく単純に魔法を使うことが封印されてるのか。分からない。分からないから余計に不安になる。ここがどこなのかも、どうしてここに居るのかも、こんなことをされているのかも、全く分からない。怖い。怖い…!
(嫌だ…、誰か…誰か助けて…)
今世紀最大一度と感じたことがないような不安が体中の、農中に駆け巡る。ぐるぐるぐるぐる。吐き気さえしてしまう。声を出そうものならこのひんやりとした空気が体を全て支配してボクを殺しそうになる。
(助け…だれか…助けて…)
気が狂いそうになる。最初はそんなに恐怖も感じなかったのに今になってこれがどんなに恐ろしい出来事なのか骨の髄まで浸み浸みと伝わってきた。それにこんなに体がずぶ濡れなのって…なんだか変だ。ここは限りなく室内に近い空間だとボクは思う。いや、ここは室内だ。手枷をしている手を動かしてみたらすぐにわかる。後ろに壁みたいなものがある。コンクリのように冷たくて、この壁の影響で空気が冷えているかのように。そんな中どうしてボクにこの生温い液体をかけているんだろう。
待って。
なんでボクは水をかけられたのに起きなかったんだろう?
まって、まってまって。
これ本当に水なの? 液体だよね。
何の?
ちょっと待って、落ち着いて。
ボクは一旦二、三回深呼吸をした。こんな状況に置かれていたらどんな人だって冷静にはいられないはずだ。
…よし、少しだけ…落ち着いた。
落ち着いたところで、もっと冷静になって考えよう。ここからどうやって逃げる、だとか、ここはどこ、だとか。
何度も同じことを考えていればそのうち秘策だって浮かんでくるはずだ。
そもそも、
こうなる少し前の記憶が ない。
となると…さぁ、いよいよ大変になってきた。
(これじゃあ誰が犯人か分からないや…)
途方に暮れかけたときだった。
遠くで重い扉が開いたような音がした。遠い。でもそれはまりにも近くにいるような気がした。冷たい地面をコツ…コツ…と響かせながら歩いて来ている。もしかしたらボクにこんなことをした犯人かも知れない。「かも」はよけいかな。絶対犯人に決まっている。
余裕めいた足取りは、まるでボクを助けに来たような足音ではない。ずっと前からボクがこうなっているのを知っているかのように、安心しきっているかのように。
これからボクはどうなってしまうのだろう。魔法だって使えない、逃げ出すことさえできない。何より一つと抵抗するすべがない。口を開いた瞬間ボクを殺す…そんな悪人だったら…。どうしよう。
足音は僕の不安とは裏腹に少しずつ、少しずつ近づいている。遠くで扉を開ける音がした。足音が明らかに少しだけ音量を増している。間違いない、こっちに来ている。
ボクは最後の悪あがきで鎖を背もたれ代わりにしている柱でガンガンとぶつける。派手な音はするのに壊れない。来る…怖い。きている…!
「ひゃ…が…ぁぅああ…ぁぁ…こ…壊れて…早く…!!」
自分の体とは思えないくらいガタガタ震える。目が見えない。耳がよく聞こえる。
バターンと勢い良く扉の閉まる音と、足音がさらに大きく聞こえる。
「助けてぇ…いやだ…助けてぇぇぇ!!!!」
声を荒げる。しかも助けを求める声を。足音がピタッと止まった。ボクの泣き声も同時に止まる。
(ぁ…もぉ…ダメぇ…だ…)
扉の音と共に布越しにうっすらだが光が差し込む。真ん中に真っ黒な影がある。これが…ボクを捕まえた…。
『アルル』
ボイスチェンジャー…っていうのかな。声がおかしな感じになってる。ボクは涙ながらにそいつを布越しに強く睨んだ。
『あるる』
足音が聞こえる。ふらふらと黒い影は揺らめている。…なんだか様子がおかしい。
どうすれば…、どうすれば…。
『あ』
黒い影が左下から何かを出してボクの左耳のすぐそばで音を立てた。…横を向いた。うっすらだが、光の加減で見えた。これは…ナイフだ…。もしも、ボクが左に寄りかかっていたら…ボク…は…。
そこでふと気づいた。
なんで体が濡れているのか。浴びせられたんだ。誰のか分からない、いつかけられたのか分からない
ボクの考えが間違っていなかったら…これは…これって…。
「〜〜〜〜〜っっっ!!!!」
言葉にならない悲鳴を上げた。左の耳から全身に向けてムカデが体を這うような寒気を感じた。
『ある・・・る』
ボクの名前を呼びながら気持ちの悪いそれはナイフを引き抜いた。
今度こそ…殺される…。そして…この液体になる…。
「いや…いや…やめて…お願いだから…やめ…て…」
横に首をぶんぶん振って拒否するが、そいつは何かをぶつぶつ呟いて、ゆっくりと付く姿勢に入り始めた。
ボクはここで死ぬかもしれない。どうしたらいいんだろう。
死ぬのは嫌だ。死ぬのは嫌。…死ぬくらいなら…強い人の名前でも呼んで助けてもらおう。
助けてくれるのかな…。
「助けて…サタン…」
目の前の影はボクにナイフを突き刺す瞬間ピタリと動きを止めた。それと同時に反応が遅れて今更ボクは目を瞑った。
遠くから足音がした。
「アルル! 助けに来たぞ!」
絶妙なタイミングで聞こえた声は紛れもない。
「…ぇ…」
「さぁ! この悪い奴め! アルルを離せ―!」
『グ…ぐぉぉぉ…!』
ボクは目を開けた。そして、その明りでいっぱいの風景に悪寒が走った。
『ぐぅ…覚えておけ!』
ボイスチェンジャーの声はそこで切れ、足音はしなかった。代わりに、サタンがボクに駆け寄る足音だけはした。
「アルル、大丈夫か?」
ボクは一番に目隠しを取られた。あまり明るい部屋ではなかったが、なんだか眩しいような滑稽な気分になった。
服をみる。青い袖も赤くなってる。…あれ、あっちに何かが倒れてる…。水色の髪をした…赤い腕が…気のせいかな…。頭がふらふらする。
「サタン…」
「アルル、もう大丈夫だ。私の傍に居れば、またアイツが来ても私が守ってやるからな」
サタンはボクを強く抱きしめて、安堵の声を漏らしていた。
ボクはとてもサタンにお礼を言えるような気にはなれなかった。
ボクが目隠し越しに見た光景は、サタンと悪い奴が戦っているはずなのに、「そこには影が一つしかなかった」からだ。
了
じゃあ、あの黒い影って…
全く締りのない書き方が私なりの書き方なんです許してください
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