※3の世界観です
本能寺前。



水の流れる音がする。この部屋は池の上にあるのだから当然といえば当然だ。澄んだ水の中を、赤と黒を斑に散らせた身体をくねらせ鯉が泳いでいく。
美しい、と思うが自分の城では絶対にしないだろうな、と元親はぼんやりと考えていた。財力云々の前に、自が領地には海があった。海中を逞しくうねる魚達を見ていればこのような所に魚を飼おうとは思わない。

目の前の男とはつくづく思考も趣味も合わない。こうして呼び出され先程から同じ部屋にいるものの、相手と会話さえしていないのだ。しまいには相手の方が身分が上なのだから相手がまず話すべきだと自分らしくもない考え方をする始末だ。目の前の男と自分はよく似ている。
身分も趣味も思想も違うが、物事を受け入れる姿勢が酷似している。つまり、相手も自分も自ら積極的に動き相手の動向を探る性格ではないので自然と沈黙する事はわかりきっていたことである。

光秀も、自分と話をする時はこのような気持ちだったのかと考えた。元親とて多くの人間を見てきたが、光秀程変わっている人間もいない。旧体制を望みながら、信長の新しい天下を欲する。
そこには合理的な人間による駆け引きしか存在せず、光秀が必要以上に信長に恩を感じているのだと元親は常々思っていたがそれを口にした事は無い。光秀がそう思うならそれで良しと一介の友人として納得していた。
けれども光秀という人間を深く知れば知るほど、彼程悲しい人間はいないのではと思うようになっていった。光秀に天下を築き上げる力は無く、ましてそれを維持する力も持ち合わせてはいない。
究極まで鋭くなった合理主義は新しい時代を作れと彼の中から叫び続けるも、彼自身は旧体制を尊ぶ人間である。彼は武将にしては冷酷であり人を切り捨てる事が出来たが、彼の心はその度痛んだ。そこにあるのは矛盾である。
彼は自分で自分を制御できていない。いや制御できているというのなら、彼は自分の声に耳を塞いでいるだけなのだ。それを取り去ってやりたいと思うのは元親の傲慢さと反骨精神故である。領民や臣下達は大切だ。けれどもそれとは次元が違った、大切なものも元親にはある。


改めて、眼の前にいる信長を見た。呼び出された理由は分かり切っている。光秀に本当の事を気付かせた事を咎められるのだろう。光秀に見るべき現実を叩きつけ、彼に自由意思を持たせた。元親の罪は重い。
それを責める事は信長の権利の一つなのだろうが、先程から元親に避難の言葉は浴びされていない。何を考えているのか、というのが元親の本音でもあるのだがそういった素振りは見せない。それが元親の誇りでもあったし、唯一の信長への抵いでもある。
元親とて信長との自分の力の差はわかっている。それは兵力でも無ければ、領地の広さでも無い。もっと根本的なものだ。

「何故、あれを解き放った」
「解き放つべきだったからだ」
「されど、あれは死ぬ。うぬも助からぬ」
「魂が死なぬ限り、俺も光秀も死ぬことはない」
「ならば、心得た」

信長の気持ちが悪い所は、権力や金、まして死をもってしても彼の正義を揺るがす事が出来ない所である。同時にそれは彼の強さでもある。今、光秀が謀反を起こそうとしている事を知っても彼は動じない。まして光秀の死や元親の立場の危うさを心配する余裕さえもある。
元親は最初それが諦めかと考えた、けれどもそれが次第に彼なりの慈愛だと気付き、そのおぞましさに吐き気がした。あれだけの人間を踏み倒し、自分が歩んできた道には死体と血しかないような男が慈愛など。

「俺からも問おう」
「うむ」
「何故光秀の志を許す」
「許してはおらぬ」
「ほう?俺も許しているように見えるが」
「あれもまた、時代の贄だ」
「それならば、あんたもじゃないか」
「是非も無し」

満足そうに信長が笑うのを見て、ようやく元親は全てを理解する。これから起きる、光秀の自分の声に従った行為も、それから自分を越え新しい時代を創っていく大名達さえも信長は許すだろう。それが苛烈にしか自分の道を歩けなかった男の最後の抗いでもある。彼が倒れた後も、その躯からは太平が作られ続けるだろう。

「お前も、生きづらい男だ」
「是非も無し」

今度こそ、信長が微笑むのを見て元親は深いため息を吐いた。池を見れば鯉達が泳ぎ、水面にはいくつもの波紋が広がっていた。その波の一つに触れるように水に手を浸す。冷たいな、という元親の声にまた信長が笑った。







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