夜に伏せれば


そっと勝家は息を抜いた。このように息を吐いたこと等、今までは無かったことだ。老いたのだと自分でも思う。あの利家や秀吉を失った戦以来、勝家は鬼とは呼ばれなくなった。善政を敷き、民を大切にする天下人に世間は喜んだ。これでよかったのだと勝家は思う。しかし時々、こんな深い夜には死んだはずの鬼が地獄から現れて、これでよかったのか、満足かと問う。勝家がその問いに応えたことはない。ただ、黙するだけだ。鬼はいつでも、そうしていると消えるのだ。あれは、あの鬼は自分だろうと勝家は思っている。泰平では生きていけない自分だ。

ふと、失礼しますという声がした。障子が開けられ、そこに座っていたのは妻である市だ。こんな時間に彼女が訪ねて来たことは無かった。少しだけ驚きながら席を勧めると、貴方はようやく私に上座を譲らなくなりましたね、と市は笑った。市は随分と無骨な夫に連れ添うのが上手くなったと勝家は思う。ふとこの美しい妻に勝家は疑問を抱いた。彼女は自分のような難しい人間と一緒で幸せだったのだろうか。前の夫を、長政のことをまだ思っているのだろうか。そうだとは思う。多分市にとって長政は誰にも代えられない存在なのだ。それは勝家でも埋まることは無いのだろう。

「儂でよかったのですかな。」
「何を今更。あなたでなくば、いけなかったのです。」
「よかった…。今夜は何故かそればかり気になったのです。長政のように華やかでもなくば、秀吉のように利口でもない。こんな不器用な儂でよいのかと。」
「勝家こそ、私でよかったのですか?」
「何を、おっしゃられます。不服など持ちようもない。」
「ふふ。私は前の夫に先立たれ、兄上にもこの世に置いていかれた女。市の周りは死ばかりです。」
「死ならば、儂の周りにもたくさんありました。今更増えたところで、痛くも痒くもありませぬ。」
「それならよかった。私と勝家は同志、だったのですね。」
「同志とは。」
「互いに亡くしたものをたくさん抱えながらそれでも生きたい、前に進みたいと思う同志です。」

その前に夫婦ですけれどね、と愛らしく妻が笑うので勝家は敵わないなと目元を緩めた。







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