お蔵入りした話
2019/05/18 10:02

まっちゃくんの話の中にはいくつか書かずにお蔵入りになった話があるのですが、その中の1つにのあさんがひかれた動物を調理して食べると言う話があります。

内容としてはのあさんの飼ってるウサギが車道に飛び出し、それをのあさんが調理して食べる話、そしてその調理されたお肉をまっちゃ君だけが食べれないと言う話でした。

話は飛びますが、風の谷のナウシカがとても好きで、特に漫画は私の中のバイブルの一つになっています。
漫画版でナウシカが、森と虫との愛情はお互いに食べ合うことなのだと言う台詞がありました。
それはものすごく的を得ていると思います。

種族の違うもの同士が寄り集まって、全体として一つの生き物として循環しながら生きる「森」のような場所では、個体間での食べる・食べられる関係は、食べる側だけが得をするという単純な利害関係では成り立っていません。
ものすごく分かりやすいところで行くと花の蜜と虫の関係のようなものですが、そういった分かりやすく単純な利害関係がない場合でも生き物は互いに共生をしています。

元は一つの生き物から始まったはずの私たちは、徐々に違う形に分化し、食べる・食べられるをお互いに繰り返しています。
大きな意味での共食いを繰り返しながらも成し遂げたいことは、最初に生まれた生き物が唯一してくれた行いである、遺伝子を複製し自己を保存するということです。
その唯一の目的を果たす為だけに、私たちは、共食いという形でお互いを支えながら遺伝子を保存しようと奮闘しています。

食べる・食べられるという行為は、ある意味で生きるということの大きな流れの中に入れてもらう行為です。
誰にも食べられずに朽ち果てることがあるかもしれませんが、朽ち果てるという行為もまた、その生き物を小さな細菌や虫たちが緩やかに時間をかけて生きることの輪の中に返してくれる行為だったりします。

つまり、食べると言う事は、死という形で生きるという大きな輪からはみ出してしまった生き物を、自分の体を通じてまたその輪の中に戻す行為であり、それはもしくは仲間意識というか、愛情なのではないかと思います。

そういう意味では、きっと真に悲しいのは朽ちることなく保存されてしまった生き物なのかもしれません。ホルマリン漬けや琥珀にされてしまった生き物たちとか。
だからこそ醜く、それでいて美しいのかもしれません。美しさとは、異質で誰も寄せ付けない孤独という側面もあるものです。

とまあこんな風にナウシカの台詞を解釈しているわけなのですが、(というか、話全体を通して生きるということそのものを伝えようとしているんだと思われる)
話を戻すと、のあさんがうさぎを食べるのは(彼はそこまで考えていないとしても)当然のことで、それはむしろうさぎを愛してたからなのかなと思ったりするわけです。

結局書くことは無かった話ですが、好きな話ではあります。
このときかけなかったことが、多分参班を考えることに繋がってる気もする。




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