「海賊が海の屑なら、私たちは何だと思う?」

からりとグラスに入れられた氷が音を立てた。ランタンの明かりに照らされた横顔を見やり、何でしょうねと返答をすればその横顔はくつりと笑みをこぼす。

「虚しいねえ」

「サカズキが聞いたら怒りますよ、それ」

「あの子は良くも悪くも純真すぎる。将来が心配だよ」

「本人に言ってあげて下さいよ」

「私はそこまで優しそうに見えるかい?」

いいえ。クザンがそう返せばまたくつりとグレイが笑う。ぐるぐるとグラスを回しロックアイスを弄び、残り少ないアルコールを飲み干した。唇を湿らせたアルコールを舐め取りながら再度弄ばれるそれが、まるで自身のようだと思った。高見と言うには少し近い、かといって対等ではない。

空になったグラスに注がれる琥珀色の液体。甘さのない匂いが、やたらとこの男に似合う。

虚しいねえ。もう一度噛みしめるように呟いたグレイが琥珀色の上澄みを舐めた。

小難しいことをやたらと考えているというのに言葉数の少ない男の言いたいことは、予測でしか判断が付かない。考察したあげくの予想も、自己申告していたように優しくない男は答え合わせなどさせてはくれない。

その答えが合っていようと間違っていようと、ただ笑って頷くだけだ。

「今日は随分しおらしいですね」

「そう見えるなら、そうなのかもね」

「何かあったんですか」

いいや、別に。からりとグラスと氷がぶつかり音を立てた。その割に。また残り少なくなった琥珀色を盗み見て、真似するように氷が溶けて薄まった淡い桃色を飲み込んだ。その割に、随分とグラスを傾けるペースが早い。

「クザン少将」

反射的に、背筋が伸びた。

「私は君の直属の上司ではないけれど、ちょっと頼まれてくれるかい」

「はい」

「…君は本当にいい子だ」

素直に返事をしたというのに、苦笑じみた笑みを返され少し眉が下がる。

「やはり止めておくよ。すまないね」

「…いえ」

「大したことじゃないんだ。そんな顔する必要はない」

からりと、グラスから音が響く。

あんたの言う、悪い子ならば。

喉までせり上がったそれを冷たいそれで飲み込み、溶けて小さくなった氷を見た。

あんたが言うほど、俺は良い子じゃない。

「海賊が海の屑なら」

「うん」

「俺らは海の難破船だと思いますよ」

「それは似たり寄ったりってことかな?」

「まあ、そんなところです」

「それこそサカズキが聞いたら怒り狂いそうだ」

はは、と小さく笑い声をあげたグレイに、クザンも少し口角を釣り上げた。侮辱地味た言葉を吐いても許されるのは、彼が言うところの良い子だからだろうか。

彼の言う悪い子の基準が分からない。告げられることなく流された頼みごとも、悪い子ならば告げられたのだろうか。氷が解けた薄いそれを舐めとった。香りが混じっただけの液体は、物足りなさと共にアルコールで乾く喉を潤す。

「難破船か…いいね、それ。気に入ったよ」

「え」

「屑をかき集めても船にはならないが、難破船が朽ちれば屑の出来上がり。屑はあちこち漂うが、難破船は動けない」

いい揶揄だと笑ったグレイ。そこまで考えていたわけではなかったがと、クザンはへらりと笑みを零す。小難しいことを考えるのが上手い男だ。再び注がれた琥珀を見て、自身も桃色を継ぎ足した。

しばしの沈黙を味わう様にグラスを傾け、クザンは先ほどの頼みはなんだったのだろうかと思考を巡らせた。いい子にはさせたくない仕事。汚れ仕事か使い走りか。なんでもいいがとアルコールを口に含む。なんでもいいから、させてくれればいいのに。

「グレイさんは」

「うん?」

「あんたは、悪い人だな」

この恋心に気付いていないわけでもなかろうに、突き放すでもなく受け入れるでもなく弄ぶ。諦めようにもこうやって構われるのが嬉しくてずるずると引きずる様が面白いのだろうか。あんたの頼みならば汚れ仕事の一つや二つ出来うるぐらいの悪ガキだというのに、いい子だいい子だと甘やかして隙を見せる。

「悪い人、か」

「悪い人だ」

「そうかもな」

氷が解けたグラスに雫が伝い、指先を湿らせる。溶ければいいのにな。俺も、彼も、この氷の様に溶けてしまえばいい。

溶けたら合わせて固め直せば、離れようがなくなるから。

子供のような考えだと笑われそうだなと、クザンは自嘲的に笑みを零した。後で恥ずかしくなるような、安っぽいフレーズ。

「ねえ、グレイさん。悪い人は罰を受けなきゃならないですよね」

「なんだ、突然」

「俺、潰れるまで飲みますからちゃんと連れて帰って介抱してくださいね」

「…悪い人にお願いすることじゃないな、それは」

いいんですよ。返事の代わりにグラスに桃色を注ぐ。小さくなった氷では冷え切らないそれを乱暴に煽り、胃に収まっていくのを感じながらグラスを置いた。間を開けずに再度桃色を注ぐ。

制止するようにその瓶を奪われ、非難がましく視線を向ければ困ったようにグレイが笑った。

「分かったから、無茶な飲み方するんじゃない」

「流石グレイさん、お優しい」

「…敵わないな、全く」

ゆっくりと琥珀を舐めとってグレイが小さく笑う。ほら、これのどこがいい子だと半端に注いだ桃色を舐め、本当に潰れてしまおうかと悪戯心が芽吹く。潰れて、煩わせて、酔いに任せて襲ってみるのも一興。

「他の皆には内緒だよ」

悪戯っぽくグレイが言う。なんだ、とクザンが視線を上げた。

「この間、海賊取り逃がしたんだ」

「珍しいですね」

「まあ、わざとだから」

え、とクザンが目を見開く。何故?と言葉が付いて出た。理由はないんだけどとグレイが首を振り、言わないでよと唇に指を添えて困ったように言う。言いませんけど。クザンがそういえば君はいい子だからねとよく分からないことを言う。

「面白いんだよ、そいつ。ガープさんがロジャーに入れ込む感じってこんなのかな」

「…バレたらどやされますよ」

「だから、内緒」

まだ君にしか言ってないんだからとグレイが言い、クザンは動きを止めた。口に運びかけていたグラスを止めグレイを見つめ直す。

「それで俺らは何かと思ったんですか」

「そうそう。君が一番詮索してこないからね」

「…はあ」

妙な理由だと、止めていたグラスを傾けた。この男はこんな酔狂を好む男だったかとクザンは首を傾げる。余程その海賊がお気に召したらしい。

ズルいなァ。

音にはせずに、呟いた。口内で溶けたアルコールに混じるように独り言が腹へと落ちる。その海賊は彼の言う悪い子なのだろうか。しかし彼の周りは彼がいい子と評するものが多いのだから、飛び切りのいい子なのだろうか。詮索しようにも先手を打たれては聞くに聞けなかった。

「辞めるとか、言いださないでくださいよ」

「可愛い部下が巣立つまでは上も辞めさせてくれないよ」

「…グレイさんは言いだしたら聞かないですから」

よくわかってるじゃないかと、グレイが笑った。

アルコールに浮かされ始めた頭が熱を持つ。その時は。音にするつもりの無かった言葉が唇をついて出た。

「その時は、連れて行ってくださいね」

からりと、溶けた氷が小さく泣いた。