いつも白いシャツに覆われていた背中の素肌が見えた時、ロシナンテの心臓は止まった。

ひゅ、と気道が締まった音にグレイが振り返り、いつもの歯切れの良さを幾らか減らしながらどうかしたかとロシナンテに声をかけた。しかし一気に血の気の引いたロシナンテはもつれる舌で何も答えることが出来ず一歩二歩後ずさる。

グレイという男は、ロシナンテよりも随分と前にロシナンテと同じくセンゴクに保護され多忙なセンゴクに変わりロシナンテの身の回りの世話をしてくれる男だ。盲目で常に包帯で目元を覆い、年の頃は青年と少年の境、言葉数は少ないが、ロシー、と呼ぶ声はどんなに警戒して怯えてもどんなにドジをして迷惑をかけても決してロシナンテを傷つけようとはしなかった。手放しで可愛がるようなことは無かったが父とも母とも兄とも違うぶっきらぼうな優しさが、傷ついた心に酷く心地よかった。やっと、その優しさに笑顔さえ返せるようになった。

しかしロシナンテは見つけてしまった。そんな男の背に我が物顔で鎮座していた、竜の爪痕。奴隷の印。

ロシナンテの脳裏に迫害された記憶が鮮明に蘇る。父と母と、兄の顔も。逃げなければ。ロシナンテは本能的にそう思った。ロシナンテの身元は、まだセンゴクにすら知られていないのだから今ならまだ逃げられる。でも、どこに。幼いながらに一瞬で色々なことが頭に過ぎり、ロシナンテの頭は諦めにも似た結論を弾き出した。

ああ、きっとこれは罰なのだ。ロシナンテは逃げるために走り出すことも出来ず思う。少しばかり気まずそうに頬をかくグレイにもきっと嫌われてしまうのは、自分が天竜人として生まれてしまった罰なのだ。

鼻の奥がつんと熱くなって、それが見えたようにグレイが首をかしげた。そうなるともうダメで、後はなし崩しにぼろぼろと涙をこぼすしか出来なくなってしまう。やだ。きらわないで。ころそうとしないで。ごめんなさい。おねがい。きらいにならないで。堰を切ったようにわんわんと声を上げて泣き始めたロシナンテに今度慌てたのはグレイだ。

もともと言葉数も子供相手の経験も少ない彼がなんと声をかけていいのかも分からずロシナンテの目の前で膝をつくが、むき出しの肌に走る無数の歪な傷にロシナンテの涙はますます止まらなくなる。

ああ、きっと自分はグレイに殺されてしまう。恨まれて呪われて、お前なんてとロシナンテの家族を追い詰めた人々のようなあの恐ろしい形相で睨みつけられるのだ。しかしグレイは見当違いをしたようでぎこちなくロシナンテの肩を撫でた。

「ロシー、ロシー、ごめんな、俺の身体は醜かったろう。ごめんな、驚いたよな」

彼にしては随分と言葉数多く慰められ、ひぐりと嗚咽を飲み込んだロシナンテはグレイの目を布越しに見つめた。違うといいたいのに選ぶ言葉が分からない。違うのだといえば拙い手つきでロシナンテをあやそうとする手を無くしてしまう。もう無くすのは嫌だ。

そんなおもいが思いが頭をぐるぐる回る中、ロシナンテは息苦しい喉でやっと「きらわないで」とだけ懇願した。

グレイはきっと、意味がわからなかっただろうにすぐさまいつもの歯切れの良さで嫌わないとロシナンテに返した。意味がわからないからこそだ。

バレたくない気持ちと裏腹、騙している罪悪感にきゅうきゅうと胃が締め付けられまたぼろりとロシナンテの目が大粒の涙を零した。

「ロシー、嫌わないから泣くな」

もう一度、ぴしゃりと言い切ったグレイに再度嗚咽を飲み込んで唇を噛み締める。もう言ってしまおうか。きっと騙し続けてもロシナンテの胃はきゅうきゅうと締め付けられ続け、最後にはドジをしてバレてしまう。

「グレイ、グレイ、きらわないで、ごめ、ごめんなさい」

だけれど結局、言ってしまう勇気は無かった。嗚咽おこらえながら謝るのが精一杯で、なんといっていいのか分からなかった。

そんなロシナンテの扱いに困ったグレイが、とりあえず剥き出しのままだった背にシャツを羽織り、その傷を覆い隠した。

「お前が俺に何をした、嫌う理由がない」