完全な盲目というのは少ないのだそうだ。

ちかり、ちかり、まるでモールス符号のように指先を発光させればグレイは漸くボルサリーノを見る。殆ど仕事を辞めてしまった視神経も、ある程度の光になると毛細血管を通し赤い光として拾うのだとグレイは言っていた。

もっとも、こんな事をしなくても本来ならグレイは周囲を把握できる筈で、それが分かっているからこそボルサリーノはグレイの前で上手く笑えない。上手く笑えないからこそ、この時だけはグレイの失われた視力が有難いと、薄情にも思ってしまうのだ。

「調子はどうだった、大将。大物は取れたのか」

「そりゃァねェ〜、大漁だったよォ〜」

「おお、そりゃあいい。流石だなァ」

ヘラヘラと、どこか視点の合わない目をボルサリーノに向けながら微笑むグレイにボルサリーノは僅かながら泣きたくなる。仕方が無いことだ。どうしようもないのだといくら自身に言い聞かせても、もしかしたら当人以上にボルサリーノは失われた視力を悔やんでいるのかもしれない。

同期で、仲が悪いというわけでも無いがどちらかといえば馬の合わない二人だった。

若い頃のグレイはサカズキとはまた違った尖り方をしていて昔からヘラヘラと事勿れ主義だったボルサリーノをどこか嫌厭していたし、ボルサリーノはボルサリーノで嫌厭されてまでグレイに近寄ろうとは思っていなかった。

しかしそれでも同期の中で、サカズキ、ボルサリーノ、グレイという三人の実力は台頭していてそれだけは互いに認めていたように思う。

サカズキとはまた違った尖り方といったが、グレイは海軍と言うより海賊と言われた方がしっくりくるような男だった。特徴的な八重歯をいつも剥き出し、討伐に出向く様はさながらお宝を得ようとする海賊だ。

馬鹿騒ぎが好きで上司受けが悪い、この男の為にG5という支部までが作られるような、そんな。

「なァ、土産話は無いのか。最近は訪ねてくる奴もめっきり減ってろくな話が聞けやしねェ」

どいつもこいつも薄情だ、とヘラヘラ笑うグレイが窓辺に腰掛け先程までボルサリーノがいた場所へ顔を向ける。

開け放った窓から吹き込む潮風と波の音。そうだねェ、とソファーで腰掛けたボルサリーノは移った居場所を示すように発光した。光を追うように顔の向きが変わる。ちかちかと、途切れぬように光り続ける体。

「この間、クザンって言うのが大将になったよォ〜」

「へェ、強いのか?」

「そうだねェ、グレイよりは弱いんじゃないかァい」

「はは、嫌味にしか聞こえないな」

「そうかァい?わっしは結構本気だけどねェ〜」

馬鹿言え、とグレイは苦笑を零す。細まった目。傍から見れば、その目が暗闇しか映さないことを疑ってしまうかもしれないほどその目は澄んでいた。その眼球に、発光するボルサリーノが映り込み光が弾かれる。

グレイが視力を失ったのは、唐突ではなかった。

積み重なった戦闘の傷は本人すら気づかぬうちに、着実にその体に蓄積されていたのだという。もしかすればボルサリーノのあずかり知らぬ所で決定打となる衝撃を受けたのかも知れない。

蓄積したダメージが蝕んだのは、神経だった。

視力が落ちたとボヤいていたと当時の部下は言う。視力が落ちたというよりは、段々と光を光と認識できなくなっていたとグレイは振り返る。まず視力、次いで触覚。

痛みを痛みと認識できない。暑い寒いが分からない。人の気配に気づかない。月日を追うごとに感覚は段々と鈍感となっていき、それはグレイが得意としていた見聞色の覇気すら鈍らせた。

弱くなってしまった。弱くなったグレイは若くして一線を退かざるを得なかった。

ちかちかと、ボルサリーノは光を絶やさない。

ボルサリーノは、弱くなったグレイが苦手でたまらなかった。

加齢からではない、あの清々しいまでの唯我独尊さがなりを潜めてしまえばグレイがグレイでなくなる様な気がしてならない。自信を根本から失ったグレイは噛み付く事を止めた。それがたまらなく悔しい。

多分、どっちつかずな自身は、どこまでもやりたい様にやるグレイにどこか憧れていたのだと思う。

当たり前のように喧嘩をし、次の瞬間当たり前のように笑いあっている自身にはない豪胆さが、ボルサリーノは単純に好きだったのだ。

グレイが視力を失った当初は、見舞いも多かった。だがそれも月日が経つにつれ、一人は死に、一人は辞め、一人は忙しさにかまけ、段々と数少ないものへとなった。

然しそれが自身だった場合、もっと少なく、もっと呆気なかったろうと思う。人徳の差とまでは言わないが、グレイは嫌われやすい代わりに好かれる時はとことん好かれた。

もしかしたら、皆グレイの弱った姿が辛く逃げたのかもしれないとすら思う。そうして減った見舞いの代わりとでもいう様に、今更顔を出し始めたボルサリーノをグレイは以前の様に嫌厭するわけでもなく受け入れた。暇だったのかもしれないし、単純に嫌厭していたことを忘れたのかもしれない。

「なァ、全身光ってみてくれよ」

「全身かァい?」

「今、手だけだろ?全身光ってくれよ」

分かるのか、と目を瞬いたボルサリーノが見えたかのようにグレイが八重歯を見せて笑った。

「お前が光るとな、輪郭が分かるんだ。赤い手がこう、ふわふわ浮いて見えんの」

相変わらずささくれた古傷まみれの手がボルサリーノの仕草を真似し、ひらひらと宙で振られる。見えてるみたいだとボルサリーノは思い、見えると言ったのかと次いで苦笑が零れた。

いいよォ、と全身を淡く光らせ、段々と強く光を調整していけばグレイの顔が嬉しそうに綻んだ。

「ああ、お前、そんなんだったなァ」

「忘れてたのかァい?酷いねェ〜」

「いいじゃねぇか。お前が光ってる間は、よく見えるよ」

良いなァ、見えるってのは。

そう零したグレイがあまりに嬉しそうに言うものだから、ボルサリーノは思わず言葉に詰まる。

しかしそれに気づけぬグレイは、嬉しそうな顔のまま言葉を続けるのだ。

「感覚がいかれちまって、初めて自分で気づけたのはお前なんだぜ。お前が光ってる間はそこにいるのが分かるからな、それだけで、すげぇ救われる。昔は眩しくて敵わなかったのになァ」

「…らしくない事を言うのは止めなよォ」

「なに光るのやめてんだよ、光ってくれよ、ほら」

「疲れたから、後でねェ〜」

嘘つけ、と笑ったグレイは昔に戻ったような笑みを浮かべた。強気で傲慢な笑み。

やっぱり、グレイの視力が失われて良かったのかもしれないとボルサリーノは自身の薄情さを認識した。火照った頬とか、上手く笑えぬ口元だとか、グレイの闇の中で自身だけは認識できるのだというほの暗い優越感だとか、見られたくないものは山ほどある。

だけれどそれ以上に、グレイが視力を失わなければこうして近づくことも出来なかったろうから。

「言った端からお前も薄情だなァ」

「今更知ったのかァい?」

「いいや、知ってた」

自身の薄情さだとか、変わってしまったグレイだとか、近づけた距離だとか、ない交ぜな感情に今日もボルサリーノはグレイの前では上手く笑えない。

それでもグレイは見えないのだからかまいやしないのだけど、昔の様なグレイの笑みが見られるのならいよいよ全てがどうでもよくなる。

その笑みを自身が引き出せたのだと言う、歪な悦楽に浸れるのなら薄情だろうが何だっていい。

「薄情者め」

からかうように言ったグレイが思う以上にボルサリーノは薄情なのだと、グレイが気付く日はきっと来ない。