「お前の手は、本当に壊すことが得意だね」

呆れた様に食卓に頬杖をつき、夕飯をフォークでつつくグレイに幼いキッドは首を傾げた。それは取っ手の取れたマグカップに言っているのか、経し曲がったドアノブに言っているのか、割れた窓ガラスに言っているのか分からなかったからだ。

「せっきょうか?」

なら聞かないぞとばかりに顔を顰めると、まさか、と年の離れた兄は兄らしく笑って見せたものだから、キッドは再度首を傾げた。じゃあなんだよ。嫌いなトマトを兄の皿に放り入れても、兄の書斎に悪戯しても、さらには彼女とのデートを邪魔しても怒らない兄だが、代わりに説教とも呼べないほど牧師のように優しく諭されるのがキッドは少々苦手だった。

まだ、近所の雷オヤジの様に容赦ない拳骨をくれた方がキッドとしては断然やりやすいというのに。

「心配なんだよ、いつか大切なものまで壊してしまわないか」

「…なおしてるじゃねぇか」

やっぱり説教だ、と顔をしかめて見せると、兄はくすりと笑いながら折角よけたトマトをキッドの皿に戻した。

取っ手の取れたマグカップは取っ手をくっつけたし、経し曲がったドアノブは強引に戻したし、割れた窓ガラスはテープで補強した。壊したのは全部キッドだが、修理したのもキッドだ。

「治せるものならいんだよ。だけどね、治せないものも一杯あるから」









無くしたはずの左腕が疼くように痛み、キッドは魘される様に目が覚めた。痛みを誤魔化すように抑え込もうにも、その左腕が無い事に喉から獣じみた唸り声がこぼれ落ちる。痛みにじっとりと脂汗が滲み、しかしそれでもキッドは堪える以外の術を持たない。

ろくでもない夢見のせいだと、キッドは内心毒づいた。年の離れた兄はキッドをいたく可愛がっていたが、兄弟だとはキッドすら信じられないほど似ても似つかなかった。赤毛は揃いだから、きっと腹違いだ。兄は育ちのいい正妻、自身は何処ぞの阿婆擦れの腹。実際のところは今も知らないが、子供の頃はそう信じて疑わなかった。

人の反抗期というには少々苛烈な十代を過ごしたキッドは、兄に言葉を残すわけでも、ましてや育ててくれた礼など言うわけでも無く兄を置き去りにし島を出てきた。

数年の時を経て、喉に刺さった骨のようにその事がキッドの心に引っかかり出したのは何故だろう。

痛む左腕が煩わしい。しかしそれは無いものに対する錯覚なのがタチが悪い。

「ほら、治せないものも一杯あるだろ」

まるで兄にそう諭されているようで、苛立ちの任せ乱雑に寝返りを打つが、痛みが和らぐわけでもなかった。壊すことが得意、と揶揄された腕を無くせば壊すことが減るのかと言えばそうでもない事が最近分かったが、それはキッドにとってはどうでもいい事だった。兄とて、そんなことよりキッドが腕を無くしたことを嘆くだろう。

「…いってぇな、クソ…」

さらに言うなら、兄は育てられた恩を忘れた様に勝手に海賊となった事に怒るよりも危険な航海を続けている事に肝を冷やしているだろうし、故郷まで響く様な悪行をしたところで顔をしかめるどころかキッドの無事を喜んでいるだろう。牧師のようだと思っていた兄だが、今思えば良くも悪くもキッドの兄だ。

痛みに朦朧としだした意識の中で、懐かしい顔を思い描く。キッド、キッド。当たり前にそこにあると思っていた笑みだが果たして今もそこにあるのだろうか。

「ああ、怪我をしたのか。見せてごらん」

痛む腕を、兄の冷たい手に撫でられたような気がして霞む目をうっすらと開く。当たり前のように兄の姿も左腕もそこにはない。それを確認し瞼を下ろすと、再び兄が痛む腕を嗜める様にさすった。

「な、治せないものもあるんだ」

反響する様に響く声。

労る様に、あやす様に兄に撫でられた腕から、少しずつ力と痛みが抜けていく。説教か?無意識に、居もしない兄に掠れた声が溢れ響いた。

「まさか」

瞼の闇の中で浮かび上がる兄が、朗らかに笑う。

「心配なんだよ、可愛い弟が」

兄が撫でる左腕は、不思議と痛みを忘れ安らかにそこにあるような錯覚へと陥り始めていた。そう言えば、幼い頃の寝付けない夜にはいつもこうやって兄がそばにいた。朦朧と、今にも途切れそうな意識の中で再び瞼を持ち上げるがやはりそこには兄も左腕も存在しない。首を動かす事すら億劫で、そのまま瞼を下ろすとキッドの意識はすとんと落ちた。

「おやすみ、キッド」

「おやすみ、にいちゃん」

左腕で握った兄の手は、記憶と変わらず心地よく冷たい。