噎せ返る様な色香というものは、こういうものを言うのだろうと思う。


酒のつまみにと、珍しく披露されたイゾウの舞いに見惚れた兄弟は俺のほかにどれほどいるだろうか。オヤジすらも、その手を止めイゾウに見入っていた。男が女の装いをし舞うことを女形というのだという。自身はワノクニには行ったことがないが、こんな色気を振りまいている輩が他にもいるのだとしたら、明日にでも向かいたい気分だった。

艶やかな纏め髪からわずかに垂れ落ちる遅れ髪だとか、その遅れ髪がコントラストを生み出す白いうなじだとか、裾から覗く手首だとか、着物が描き出す曲線だとか。

景気よく酒を煽っていた筈の手は止まり、息を飲む様にただイゾウに見入る。計算しつくされたような、わずかな動きすら視線を絡め取る力を持つ様な錯覚を覚え、ごくりと生唾を飲みこんだ音がどこからか聞こえた。わずかにしな垂れた首元から覗く鎖骨。見慣れた赤い紅が弧を描き、日ごろは女の様な柔らかさを持たないはずの目は、妖艶という言葉がぴたりとハマる、ぞくぞくとする様な挑発的な視線を寄越した。

「…っ」

その目はただこちらの方を向いただけであって、俺を見つめたわけでもないというのに、咄嗟に、逃げるようにイゾウから視線を外した。再度その目を正面から見てしまえば身震いするような何かに捕えられてしまいそうで、握りしめていたグラスを一気に煽りその勢いで立ち上がる。馬鹿、見えねェ。小さく飛んだ野次にうるせぇよと返しながら、依然舞うイゾウをなるべく視界に入れぬようにその場を離れた。船内に潜り込むと同時、扉越しに沸き上がった歓声に堪らず深く息を吐く。勿体無いことをした。最後まで見ればよかった。確かにそう思いもするが、それ以上に舞うイゾウの姿が脳裏に焼き付き離れない。美しい、とはどこか違うその姿に、若さと共に薄れて行った何かが掻き立てられるようだった。落ち着かないようなざわめきにもう一度深く息を吐き、ざわめきが何かを自覚しようとする己を誤魔化すように、少し早いが寝てしまえとその足を自室へと向けた。素直に寝られるかどうかは、別として。











案の定というか、寝付きに随分手間取った睡眠は、喉が渇いたというだけで随分あっさり目が覚めた。

宴も終わり静まり返った船内で、水を飲もうと欠伸を零しながら薄暗い通路を歩く。就寝前の心情を抜きにしても、今夜は随分と寝苦しい夜だ。蒸し返すような熱気に立っているだけでも汗が滲む。

途中前を通ったエースの部屋は今だ灯りが零れ、まだ起きてんのかと若者の元気に目を擦りながら感心した。

広すぎる船内も考えものだと漸く辿り着いた厨房。ごくりと、冷えた水で喉を潤すと同時に残り僅かだった眠気も晴れ、歳とともに眠れなくなるというのは本当だなと生あくびを零した。

「よぉ、盗み食いかい?」

グラスを濯ぐと同時、前触れなくかかった声に、びくりと心臓が跳ねた。振り返れば寝支度を整えたイゾウが扉により掛かり笑みを浮かべ、そのいつもの姿に少し息を吐く。

「まさか、エースじゃあるまいし」

「なんだ、てっきり仲間かと」

「サッチの野朗、俺に容赦ねぇからな。盗み食いがバレたらどんな目に合わされるか」

「そりゃお前、昔の自分の行いのせいだろ」

違いない、と笑えば釣られるように喉奥で笑ったイゾウが馬鹿でかい冷蔵庫から宴の残りであろう肉も切れ端を摘み口に放り込んだ。

肉を咀嚼しながら二、三の品を手際よく皿に盛り付けくすねていくイゾウから、これならお前でも怒られないかもなと悪魔の誘いが掛かる。

「エースが潰れちまってな。飲み足りないんだ、付き合わないか?」

「元気なこって」

エースの部屋の明かりはお前かと、合点が行く会話に肩を竦め寝起きから酒を煽る元気は無いさと悪魔の誘いを断った。お前の現役ぶりが羨ましいよと笑えば、この若年寄めとイゾウが呆れた顔をする。

「ま、その顔じゃ眠くないんだろ、飲まなくていいから付き合えよ。俺に独酌させるつもりか?」

「おいおい、ワガママな隊長様だな」

「当然」

にやりと強気に笑った顔は宴の女形で見せたものとは違う、兄弟で、悪友のイゾウそのものでどこか胸を撫で下ろす自身は見てみぬふりをした。

気の済むまで皿にツマミをくすね終わったイゾウが冷蔵庫を閉め、ついでだと宴で誰かが忘れて行ったであろう酒もくすねる。手癖の悪い野朗だよとグラスに氷を入れ込み、イゾウの手からその酒を拐い付き合ってやるかとその横を歩けば歩き食いするイゾウが強引に俺の口にまで肉を放り込んだ。これで共犯な。悪戯に笑った顔に、今更だと肩を小突けば軽快な笑い声が上がり釣られるように喉を鳴らす。

紅も何も引いていない男の顔に、宴の時のようなざわめきは覚えなかった。それと同時、兄弟相手にに何を思ったのかと自身を叱咤する。倒錯的な罪悪感に一方的な気まずさを覚えながら、若作りも兼ねて向かい酒と洒落込むかとイゾウの横を歩きつつくすねた酒に口付けた。

久方ぶりに足を踏み入れたイゾウの部屋は、相変わらず似合わないと言うか、物が少ないくせに散乱としていた。

「グレイが来るなら片付けとくんだったな」

「イゾウの部屋が片付いてたことあったか」

「はは、ない」

威張るなと、転がっていた酒瓶を蹴りやった。しかし部屋の一角、気に入っているのだと言う衣装だけは整然と仕舞われているのだから、片付けができないというわけではないのだろうに。

適当なところに腰を下ろし、結局飲むのかというイゾウの言葉は無視して酒をグラスに注ぐ。朝と言うには随分早いが、不寝番以外は寝静まる様な時間帯に飲み始めると言うのも妙な感覚だ。

「お前と飲むのも久しぶりだな」

つまみを頬張りながらちびちびとワノクニの酒を煽るイゾウの言葉に、そうだったかと記憶を辿り、確かにそうかもしれないと一つ頷いた。

「そう言われりゃ、そうかもな」

「なんだよ、冷たい言い方するじゃねぇか」

咎めるようなイゾウの視線に、弁解するように手を振った。それでも不満を隠そうともしないイゾウの顔に、話題を変えた方が良さそうだとつまみをイゾウの口の中に押し込めば存外素直に食いつかれるそれ。唇が指先に触れたかと思うと、指先に付いたソースまでぺろりと舐め上げられ、びくりと肩が跳ねたことに気が付いたイゾウがお返しだと悪戯に笑った。お前の悪戯は心臓に悪い。言葉にはせず毒づき、自身もつまみを口に放り込んだ。

「本当に最近つれねぇよなぁ。さっきだって最後まで見らずに戻っちまうし」

「気づいてたのか」

「猿でも気付くぜ」

兄弟と交流しようっていう気概はないのかねと、芝居掛かった動きで泣き崩れたイゾウに、こちらも芝居掛かった動きでその肩を慰めた。この愚弟をお赦しください兄上よ、なんてな。

「兄上があんまり色気出すもんだから、この愚弟はうっかり勃ちそうで見ていられなかったのです。可愛いだろ?」

「まぁた適当な事言いやがって」

け、と軽い舌打ちを零したイゾウが肩をさすっていた手を払い除け、しっしと犬猫を追いやるように手を払った。肩を竦め、素直に元いた場所に座り直せばイゾウが再び酒を煽り始める。しかしながら、相変わらずのザル具合だとその飲みっぷりに感嘆しきりだ。流石に量を飲む気にはならず、酒に少し口付けては手持無沙汰を誤魔化すようにグラスを揺らした。

途切れた会話に意味もなく部屋を見渡し、手元で伏せるように転がっていた小さな猪口に目が留まる。女が好みそうな、綺麗な猪口。こんなところにと指先で摘み上げひっくり返すと同時、その内側に塗られた玉虫色にぱちりと瞬く。

「なぁ、これ」

ん、と視線を寄越したイゾウが、ああ、と事も無げに言い放つ。

「紅だよ。小町紅」

「紅?こんな色で?」

「…貸してみな」

そうしてイゾウの手元に渡ったそれへ、グラスに伝う水滴で指先を湿らせたイゾウがそっとその色を撫でた。途端に映える、指先の赤。白い指先と相反したその色に、な、とイゾウが小さく笑った。

「水で溶くと赤になるんだ。高いんだぜ、コレ」

「へぇ」

まじまじとその指先と玉虫色とを見比べ、不思議だなと感心すればイゾウがやってみるかとその紅を寄越した。

イゾウを真似るように、グラスの水滴で指を湿らせ玉虫色を撫でる。とたんに色づいた指先に、おお、と感嘆の声を上げればイゾウが自慢げに笑った。

指先に付いた赤をまじまじと見やり、手酌するイゾウを見た時にふと悪戯心が芽吹く。注いだ酒を煽り、杯を置いた隙にその唇へ指を伸ばした。

「な」

続くはずの言葉は押し当てられた指先によって遮られ、柔らかな唇が指に合わせ微かに形を崩した。指先から唇へと場所を移した赤。呆れた顔をしながらも大人しく甘受したイゾウをいいことに、そのまま唇をなぞるように動かした指先が離れれば、歪に残る赤い痕跡。

「結構難しいもんだな」

「人の顔で練習しやがって」

「俺に塗ってもしょうがないだろ」

斑となった赤い唇は、少しばかりはみ出してすらいた。それが分かっているのか、指先で拭おうとしたイゾウの指によってなお広げられる赤。余計にはみ出した部分を汚れていない親指で拭おうと顎に手を添え、改めて正面から向かい合ったイゾウと視線が絡んだ時、静かに息を飲んだ。

グレイ。動きを止めた自身の名を訝しげに呼んだイゾウの唇の目が奪われる。まるで激しい口付けを交わした後の様な、レイジーな諸事の後の様な、凛とした赤が形のいい唇を汚す様はどこか扇情的で色めき、まるで俺を誘っているようで。

あ、と思った時には遅かった。

「…っ!て、め…っ」

突き放された肩が鈍い痛みを感じ取り、我に返れば目を見開いたイゾウが赤く染まった顔で唇を拭う。乱れた赤が、手の甲によって薄く掠れていった。真似するように手の甲で自身の唇を拭えば、僅かな赤が滲むように広がった。

「……わり」

口元を手で覆いながら俯けば、心臓が痛いほどに早鐘を打ち、今更顔に熱が集まってくるのが分かる。俺は今、何をした。

「……っ」

睨んでいるであろう視線に、頭を持ち上げることが出来ない。おいおい、たかがキスの一つでマジになるなよ。ジョーダンだよ、ジョーダン。そう茶化すように取り繕えば良かったのにそのタイミングを逃し、ただ頭を垂れ自身の心音を聞いた。

数秒の間すら、まるで数時間の様に長く感じる。おい、なんか言えよ。怒るなら怒れよ。じゃねぇと、何もできない。ぐるぐると自分に調子のいいことを考えながら、つむじに刺さる視線に意を決してちらりと視線を持ち上げようとし、それは敵わず終わった。

床に散らばった火花。それが何かを理解するより先に、後頭部を襲った衝撃に耐えきれず顔面から床に突っ込んだ。あ、と思った時には遅い。

「グレイ〜、起きないとサッチが怒ってるぞ〜」

「……エース?」

「おはよう」

「………おやすみ」

「あ、おいってば!」

気が付けば、朝日さしこむ自室だった。しつこく体を揺すり起そうとするエースに、盗み食いは俺じゃねェよと手を振れば、そうじゃねぇよとエースの声が煩く頭に響く。

「グレイ今日皿洗い当番だろ、みんな飯食い終わってんのに、早く起きて来いって」

「あー…エース、頼んだ」

「ヤダし!」

引きずり出そうとするエースに抵抗し布団にくるまっていると、燃やすぞと脅しすら混じった声に渋々布団から顔を出す。行くよ、行く行く、分かったって。重たい頭を無理やり持ち上げ、こりゃあタンコブになってるなと後頭部を擦る。

「アタマどうかしたのか?」

「酔ってぶつけたみたいだ」

「だっせ」

「うっせ」

着替えてから行くから早く行けよと追い払いながら起き上がると、目のあったエースの顔がぼっと赤くなった。

「な…な…っ」

「…ん?」

「うあああ!サッチィィィ!!」

「…んー?」

なんだってんだ、と首を傾げ頬をこするが何もない。訳がわからぬままガラスを鏡代わりに覗き込んでみると、いかにも諸事の後を匂わせ唇に残る赤。

ああ、と納得して唇を拭う。

一先ず、ご立腹のサッチを宥めるためにシャツを脱いだ。