28  



翌朝の朝食の場に、ローの姿はなかった。

きょろりと辺りを見渡すが、毎度飲み過ぎる奴らとそうでない奴が一目瞭然の宴会明けのいつも通りの光景。それもそうかと煙草をふかした。今日の仕事はなんだったか。掃除か、洗濯か、食料の調達か。視界の隅を掠めた姿を捕らえ、反射的に腕を引いた。

「なァ、俺を拉致った奴らどうしてる」

「先輩?どうしたんですか」

「ちょっと用があるんだ」

「いや、口の事…まあいいです」

納戸に閉じ込めてますけど、キャプテンたぶん忘れてますよ。清廉潔白な表情でそう言った後輩クルーに、鍵はあるかと問えば差し出されるそれ。海王類の巣で餌にしてやるって言ってましたけど、もう勝手に捨てていいんですかね。

爽やかな顔してえぐいことを言うなと肩をすくめ鍵を摘み上げた。

「ちょっと借りるわ」

「終わったら返してくださいね」

音を立てて席を立ち、煙草を灰皿に押し付け賑わう食堂を後にする。すれ違うクルーに挨拶を交わしながらたどり着いたそこの戸を開ければ、飯の為か顔面だけ組み立てられた二つの顔があった。

あからさまに顰められた顔に、俺の事を覚えているらしいと新しい煙草に火をつける。一口目の紫煙を吐き捨て、無造作に転がされた顔面の正面にしゃがみ込んだ。

「聞きたいんだけど、俺に寄越したあの男、どうして俺を庇おうとしてた?」

店長ではない、スカした顔した男に問いかければ鬱陶しそうに眇められる瞳。答えろよと煙草の火種を頬に近付ければ嫌そうにやめろと抗議の声が上がった。

「知るか。お前には手を出すなの一点張りだった」

あいつは生きてるのか。生きてると思う。ちっ。答えないかと思っていたが、案外饒舌な男らしい。殺されると踏んで自棄になっているのか、元からそうなのか。

「お前、どうやってあいつを抱え込みやがった。船長とデキてるなら人質にちょうどいいと思ったが、裏切られるとはとんだ誤算だ」

「俺は何もしてねぇよ。だから聞いてるんだ」

「…はっ、俺達を裏切った割に相手にもされてねえらしい。報われねぇな。いい気味だ」

碌でもねえ男に惚れたもんだな。あざけ笑う男。その横から、本当になと呆れたような声がしてそこを見れば店長だった男。

「報われないどころか同情すら覚えたわ、俺」

「…何がだ?」

「十年来の片思いだと言っていたけどな、あいつは」

男娼同士話していたのを聞いただけだが。そういった店長に思わず煙草を取り落した。てめぇ!灰を顔面で受け止めたスカした男が叫ぶ。は?呆気にとられた俺に店長はさらに呆れた顔をした。こんな奴の為に裏切られるとは。呆れる雰囲気がどことなく俺に対するペンギンに似ている。

十年前と言えば、まだ十代半ばだ。

どういうことだと問えば店長はさあなと鼻で笑った。俺たちを解放するなら教えてやるかもな。憎まれ口を叩きだした店長に落としていた火種を押し付ければただ上がる悲鳴。これ以上知らないかどうかは反応でわかる。

「あいつの出身はどこだ」

「…北の海だ。解放する気がねェならさっさと消えてくれ」

殺すなら早くしてほしいもんだとぼやいた店長に、掛け合ってやるよと腰を上げた。

納戸の扉を締め直し、ため息。そういえばと思い出した記憶。

心当たりが、無いわけではない。

初めて寄せられた恋心を拒絶したのは、若いと言うより幼い頃だ。

セックスを覚えるのが早く、どうしてか貞操観念緩く育ってしまった俺は十代半ばには女の家を転々とするような生活をしていた。最初に覚えたのが割り切った関係だったせいもあるかもしれない。好きだよ。かわいい。遊び相手はもっぱら金を持っていた年上の女だったことも相俟って、薄っぺらい言葉で機嫌を取れば、大概の願いは叶った。

「好きなんだ」

だから、一人の男の目が酷く異質で、印象的だった。

もう顔も覚えていない男が、酷く辛そうに訴えてきた。好きなんだ。そばにいて欲しい。何でもするから。一番でなくても構わない。言い募る男は嫌に必死で、対して俺は煙草片手に気の無い返事を返した。

俺が好きなのだと言い募る男がただ物珍しくて、興味本位でその時初めて男を相手にした。

言ったとおりに、それから男は俺のすることに口を出すわけでもなくただ俺に抱かれるのを待っていた。他の女を連れて歩く度傷付いた目をし、気まぐれに指を伸ばせば喜び、ただ嫌われたくないと従順な男。関係を持ってからさほど間を置かず、言葉にせずともその一つ一つの態度に咎められている気分にさせられて、段々と、それが鬱陶しくなった。

初めて、人の気持ちの重さを知った。

思えばあれから遊びと本気に、明確な線引きをしたような気がする。

程なく拒絶を告げた俺を見上げる目は、どうだったか。目一杯見開いたそこに涙を溜め、震える唇を引き結び、その顔で少し笑った。ごめんね。か細い声でそう言った。

ごめんね、好きなんだ。

今の今まで忘れていた、随分昔の話だ。

もし、この時の男がそうだとしたら最初からの気のある素振りにも合点が行く。あの恐いほどまっすぐな目も、知っているわけだ。十年も引きずっているなんて、誰が思うか。

「我ながら…ここまで来ると何も言えねェ…」

ローと言いあの男といい、こんな男のどこがいいんだろうか。いい加減身の改め方を考えるべきかと、胸ぐらを掴み上げられるような顔を思い出し深く息を吐いた。

どうやら俺は、人に言われる以上に酷い男らしい。






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