サカズキの父は海賊に殺された。

サカズキはその現場を間近で目撃した、唯一の目撃者でもあった。

その日父は、サカズキを抱き上げ遊びにつれていってくれた。海兵として多忙だった父に、後にも先にも遊びにつれて行ってもらった記憶はない。唯一の父との思い出だ。

あの海賊は父を殺し、怯えるしか出来なかった幼いサカズキの目を覗き込んで言ったのだ。

「可哀想になぁ、お前も似たような目に会うんだろうなぁ」

幼心に見た、あの澱みきった目以上の恐怖をサカズキは未だ知らない。後にも先にも、怒りでも憎しみでもないただどす黒い病をあそこまで率直に瞳に滲ませた男はいなかった。

サカズキがどんなに畏怖の視線を向けられて、非難されようとも憎まれようともここまで過激に生きられるのは、あれ以上の恐怖を知らぬ故かもしれない。

男は海賊だった。

父の率いる部隊と海賊との抗争に巻き込まれ両親を失った、いわゆる孤児上がりの賊だった。

ああ、父は守っていたはずの市民に殺されたのか。正義とはこうも容易く覆るものなのか。

ならば、父の掲げていた正義はなんだったのか。

サカズキは一般市民を顧みない。

それは知っているからだ。守ろうとしていたはずの誰かが、サカズキの正義を簡単に覆す事を。

だからサカズキは、何も顧みずにただ己の正義を貫ければそれでいい。

父を殺した海賊が憎い。守られるばかりの市民が疎ましい。海軍の力が及ばなければ、市民の矛先は海軍への非難となる。その非難が賊へと姿を変え父を殺したのだ。守られるばかりのくせに。

「次はオマエの番だよ」

サカズキが突き付けた死に際の、父を殺した男が嗤う。

「サカズキ大将の分ですよ」

書類を手にした部下が言う。

「分かっちょる」

回ってきた仕事を手に取りながら、サカズキは部下の顔をちらりと見上げた。

半身を覆う重度の火傷痕。天涯孤独の身の上。海賊と海軍との抗争に巻き込まれた哀れな元一般市民。

そう、次は自身の番なのだ。

この男が自身の部下に当てられたのは、サカズキを快く思わない多数の有力者の意図が含まれている。牽制、忠告、それから戒め。

サカズキはいつか、この男に殺されるだろう。

「大将、どうかなさいましたか」

「…いいや、茶ァでも入れてくれんか」

「珍しいですね、ついでに休憩にしますか。クザン大将の後始末は大変ですから」

「ああ、構わん」

部下の目は、いっそ不気味なほど真っ直ぐにサカズキを見る。幼子のような純真さを持ってして、サカズキの正義の真価を問う。その目で見られると、たまに勘違いしてしまいそうで恐ろしい。

この男は、サカズキを恨んでなどいないのではないかと勘違いしてしまいそうで恐ろしい。

どこまでも出来た部下は、サカズキの功績を手放しで賞賛する。凄い流石だと誉めそやし、犠牲になった一般市民に目もくれない。純真で無邪気で冷酷なまでにサカズキの右腕を演じる。

ここで心を許せば、サカズキはきっと楽には死ねない。それは少しばかり嫌だった。

お前に殺されるつもりだったのだと笑って死にたい。いままで散々に他者を無下にしてきたサカズキには過ぎた願いかも知れないが、この男に殺されるなら、サカズキは素直に殺されるだろう。

「…大将?どうかされましたか」

心許した相手に勝手に幻想を抱き、分かっていた敵意を向けられた時勝手に幻滅するような無様な真似だけはしたくない。

知っていた。ずっとそのつもりだった。そう言って、笑って殺されるなら、サカズキの人生としては上等だ。それでいい。それがいい。

「茶菓子はあるか」

「ありますけど、珍しいですね」

「そんな気分じゃけ」

「はは、今日は丁度私のお気に入りなんです。お口に合うか分かりませんけど」

差し出された桜を象った和菓子は、食べ慣れぬサカズキには甘ったるく胃もたれしそうだった。

「私、これ好きなんですよね。皆甘過ぎだって言うんですけど」

「…わしにもちと、甘過ぎるわ」

「そうですか?じゃあ次は、もうちょっと甘くないものも用意しておきます」

サカズキは殺されるなら、この男がいい。それまでは胃もたれしそうなほど甘ったるいこの部下のままでいて欲しい。いつかもわからぬその時までサカズキはサカズキであり続けるけれど、殺されるその時だけは、少しだけ生ぬるい男になるだろう。

甘過ぎるこの部下の仮面の下にどれほどの化け物が潜んでいたとしても、サカズキは笑って、その化け物が安らかに朽ちる事を願うだろう。

ああしかしと手にした湯呑みの湯気くゆる茶を見下ろしてサカズキは思う。

「次はお前の番だよ」

それは駄目だ。それだけは駄目だ。

サカズキは選んで修羅の道を歩んだが、この男に歩んで欲しいとは思わない。この男がサカズキ以外の誰かに殺されるのは嫌だ。海兵か、海賊か、それとも天災か事故か。この男は、安らかに死ななければ駄目だ。

サカズキのそんな我侭な心情を表すように、甘ったるい茶菓子が舌に絡み付いて胸焼けしそうだ。

「今日中に終わりますかねぇ」

「終わらせるしかなかろうが」

「クザン大将も、もう少しでいいんで仕事してくれませんかね」

「今度、絞めちょく」

「ははは、お願いします」

一つだけ、サカズキが思いつく方法がある。

それは結局、サカズキが死ぬまで修羅でい続けるだけなのだけれど、サカズキが殺されずに生き続ければ、この男はサカズキを追いかけ続け、あの男が言う「順番」は来ないだろう。

今日もどこかで生まれ途切れる恨み辛みの連鎖。サカズキが生き続ければ、サカズキが引き受ける連鎖はそこで止まる。

少なくとも、この男の連鎖だけは止まる。

なんて、いくら触りのいい理屈を並べ立てたところで、要は安い独占欲なのだと自覚しながらサカズキは舌に残る甘さを渋い茶で飲み干した。

横で笑う男に、今しばらく、そこで笑っていて欲しい。ただそれだけだった。