招待されたのは、廃墟に近い建物の一室だった。
質素なベッドと、気持ちばかりのダイニングテーブルに椅子が二脚。シケた生活感が溢れる、それだけの家だった。
「ところでさ、怒ってる?」
仕上げの剥げた壁に歪んだ床。昨夜のホテルよりも酷い有様に顔を顰めながらも、その言葉にクロコダイルは首を傾げた。
クロコダイルの機嫌を伺ってくる割に、男は汚れたままへらへらと締りのない顔をしている。
「何もしなかったし、ホテル代踏み倒した。だから追いかけてきたのかと思ったんだけと」
「おれはそんなチンケな男に見えるのか」
「分かんないよ、そんなの」
悪びれもなくそう言い切った男に、クロコダイル肩をすくめるだけでそれ以上の追求を止めた。
軋む椅子に腰掛けると、目の前に置かれたのは微温いコーラの瓶。
「勝手に寝たのはこっちだ。大体の奴はきっちり持っていくだろ」
借金に追われているくせに現金も装飾品も全くの手付かずで帰る馬鹿がどこにいるというのか。むしろ、それこそ、殺されて身ぐるみを剥がされても可笑しくはなかったのだ。右手に嵌めたままの指輪は、一つでもこんな生活をせずに済む額にはなる。
その言葉に苦笑じみた表情を浮かべながら、男はクロコダイルと斜め向かい合うように崩れそうな椅子に腰掛けた。
「正直、それもちょっと思った」
「度胸がなかったか」
「だってお兄さん、怒ったら怖そうじゃん」
「嘘つけ」
思わず鼻で笑ってしまうような、下手くそな嘘に思わずクロコダイルは肩を揺らして喉を鳴らした。
満身創痍とも言えるクロコダイルを怖いと思うような人間なら、ああも集団で囲まれて平然としているものか。
この家だって、恐らく自宅だろうにクロコダイルを招待するあたり、恐れられている要素が全くと言って見当たらない。
「えー…」
笑われたのが不満な様子で顔を顰めた男の手から、ヨレたタバコを一本攫う。咥えて、乱雑に置かれていたマッチを擦り灯した火。なんでもない一連の流れに、すげえ、と子供みたいな感嘆の声が上がった。
「なに今の、どうやったの」
「あ?」
「片手でシュッて!もっかいやってよ!」
「はぁ?」
マッチを片手で擦るぐらい、大したことではないだろうにと思いながらクロコダイルは言われるがままもう一本のマッチを擦って火を灯した。
きらきらとアンバーに写り込んだ火がゆらゆらと揺れて、安物らしくさっさと燃え尽きる。子供みたいに顔を輝かせた男と独特の硫黄の匂いに、クロコダイルはそっと目を細めた。
「貸して貸して、おれもしたい!」
「クハ…ほらよ」
投げて寄越したそれを男は嬉々として遊び道具にした。早々に軸木が折れたマッチが数本、哀れに灰皿に放り込まれていく。
片手で箱からマッチを取り出すだけでも四苦八苦し、取りこぼされぽろりと転がるマッチをクロコダイルがつまみ上げるのも早数度目。
「不器用だな」
「うー…!」
「こうやるんだ」
手本を示すように、再度マッチの箱を手中に収めた。横薬に頭薬を押し付け、擦る。それだけでゆらゆらと鮮やかな火はマッチに灯った。
しかしまじまじと手元を覗き込んでいた男はいまいち掴みきれていないようで、単に不器用なのか、再びマッチを擦ったが軸木が折れたところで諦めたようにマッチを放り投げた。
「お礼なにがいい?あいつら追っ払ってくれたお礼」
「いらねぇよ」
目障りだっただけだと、安いタバコ特有の、舌に残る後味の悪さを味わいながらゆっくりと紫煙を吐き出す。
何より、見るからにシケた生活を送っていそうなガキから貰うものもあるまい。
「えー、せっかく臨時収入も入ったのに」
「ならてめぇの、…臨時収入?」
「そ、あいつら集金の後だったみたい」
へらりと、いたずらに笑って見せた男はその手にシワだらけの封筒を振って見せた。厚くもないが薄くもないその封筒と男の顔を見比べて、クロコダイルは吹き出すように笑った。
「器用なやつだ」