日に焼けた胸板に堂々と白ひげのマークを刻み込んだ男は、その前で腕を組みながら深刻そうな顔をしてクロコダイルを見つめていた。
白ひげに大敗を期し、満身創痍の体でもってクロコダイルは睨み返すが、男は余命の宣告をする医者のような厳かな雰囲気でもって口を開いたのだ。
「嫁に来ませんか」
「死ね」
それからである。妙な男に付きまとわれ始めたのは。
冒頭の一言こそ死ね以外の返しが見つからないが、それ以来男は存外紳士的にクロコダイルに付きまとっていた。事ある事に白ひげ加入を勧めながら、単身船を降りてまでクロコダイルに付いて回る。白ひげ海賊団の一員だけあると言っていいのか悪いのか、力ずくに遠ざけようが罠に嵌めようが、気がつくとクロコダイルの目に付く範囲にいるのだ。
「あ、もしもしオヤジ?オレオレ!ナマエ!そっちどう?オレは元気よ!」
「グラララァ、こっちも変わりねぇよ。それで、放蕩息子はどこほっつき歩いてんだァ?」
「今は前半の海だなァ。ああそうだ、聞いてくれよ!この間初めて名前呼ばれたんだぜ!進歩じゃね!」
「そりゃ大した進歩だなァ、グラララァ!!」
だから、こんな通話も意図して聞いているのではなく聞こえるのだ。船の薄い壁一枚では、馬鹿な男の大声と、巨体な男の大声相手に防音という意味をなさない。
思わず右手で額を押さえながら、クロコダイルはなんとも言えないいたたまれなさに静かに打ちひしがれた。
敵対し負けた男の息子に付きまとわれたと思えば、近況報告までされるとはどんな状況だと誰かに問い詰めたい気分だ。
「いきなり恋はいつでもハリケーンなんて飛び出していきやがるから何事かと思ったが、まァ楽しそうで何よりだなァ」
「うへへへ」
「帰ったらマルコには謝っとけよ。おめぇがすっぽかした仕事みな世話したんだ」
「おう、ごーせーな土産持って帰るわ!嫁もな!」
「グラララァ!期待しねぇで待ってらァ!」
グラグラワハハ、馬鹿丸出しの笑い声にいよいよクロコダイルは頭垂れ打ちひしがれる。
こいつらは馬鹿なのだ。そうに違いない。自身はその馬鹿に負けたのか。そうか。クロコダイルの脳内は最早匙を投げていた。
クロコダイルを女役だと決め付けていることだとか、飛び出した船員が他所の海賊船に乗り込んで容認していることだとか、男、ましてや命を狙った相手を嫁として受け入れる気満々なことだとか、クロコダイルの持ち合わせる常識はとおに破綻させられている。
遠い目をしながら、クロコダイルはゆらりと腰掛けていたソファーから立ち上がった。
「それでよう、この間なんか可愛くてー…」
「うるせぇぞ!!!」
ドンッ!!
壊さないぎりぎり、渾身の力を込めて殴りつけた壁の音に隣の部屋で驚いて転けたような音がする。きゃっという女のようなふざけた悲鳴と、あとを追うように響く白ひげの笑い声。
「元気そうじゃねぇか鰐小僧ォ。ナマエをよろしく頼むぜ」
「うるせぇ死ね!!」
それでも飄々と息子を押し付けようにかかる白ひげは、相も変わらずむかつくジジイなようでクロコダイルは再び壁を蹴り付けた。