大丈夫だ。俺が言うんだから、大丈夫なんだよ。

いつだって自信過剰にそいつは言った。

他人の声も世間の常識もそいつはお構いなしで、しかしたちの悪い事にそいつは本当にどんな最悪な状況だってその言葉どおり凌ぐもんだから、いつからかだれしもそいつが言うなら大丈夫なんだろうと根拠の無い先入観が刷り込まれた。

「大丈夫だって。俺が言うんだ、大丈夫」

自信に満ちた顔でそいつが笑う。

音がするほど強く背中を叩かれたたらを踏めばそいつはガキみたいな顔で破顔して、鼻歌を歌いながら悠々と歩いて行く。

「大丈夫、大丈夫」

海軍預かりの、訓練校という名の孤児院でともに育った男はいつだって自信にあふれていて快活で、少しだけ横暴なところが兄を思わせた。

センゴクに拾われ泣いてばかりいた時も、入隊したてでヘマばかりしていた時も、初の遠征で指先が氷のように冷たくなっていた時もそいつは俺の横で当たり前のように大丈夫だといった。転けそうになったところを襟首で引き立たされ、ライターの火でボヤを起こせば頭から水をかけられ、熱いコーヒーを吹き出せば素知らぬ顔でさらりと避けて、俺のドジをからかい笑う。

気がつけば、ずっと一緒にいたものだからそれが当たり前だと思っていた。

大丈夫だと声をかけてくれる男がいないだけで、こうも心細くさせるとは思わなかった。

潜入捜査の最中に何を言っているんだかと、自身ですら呆れるような甘えだ。それなりの覚悟を持って任務についたはずなのに、時折ふとあの声が恋しくなる。

ドジをすれば助けてくれる手もからかう顔も、二度と会えぬかもしれぬと覚悟していたのに、会いたい。

「コラさん?海軍だぞ、逃げねぇのか」

白の斑を隠すように帽子を深くかぶり直したローがくいと裾を引いてハッとした。

そうだ、今はまだ、戻るわけにもバレるわけにもいかない。足元で自身を見上げるローが、どれほど海軍を忌み嫌っているかも知っている。だけど。

どこの海賊を追ってきたのか、ちらりと再び見やった海兵は刀を肩に担ぎながらきびきびと部下に指示を飛ばしていた。いつのまに正義のコートを羽織るようになったのだろうか。煙草を咥えながら、探るように辺りを見渡す横顔は記憶よりもあどけなさが抜けたように見える。

懐かしい顔だった。

「コラさん?」

「あ、ああ…行くか」

そう言って歩き出したが、ちらりと振り返るほどにはうしろ髪を引かれ、しかしその口惜しさをどうする術もなかった。それが良くなかったのだろう。路地を抜け、大通りに顔を出すと同時に足がもつれてぐしゃりと倒れこむと、腹の方からぎゃっと短い悲鳴が聞こえた。

しまったと慌てて起き上がると、目の前につきつけられたのは手入れのされた銃口だ。

「コラさん!」

手配書で見覚えのある、凶悪で名を馳せた海賊だ。

小柄で見えなかったといえば更に逆上するだろうが、まさしく小柄で見えなかったがゆえに潰してしまったらしい。

やばい、と思ったのとローを小脇に抱えて来た道を走りだしたのは同時だ。

「待ちやがれェ!!」

狭い路地を走り抜けると、ぎょっとした顔で数人の海兵がコラソンを見上げたがその後から追いかけてきた海賊を確かめると途端キラキラした顔で武器をとった。

「ナマエさーん!いましたよー!!」

「おーう!」

存外近くで聞こえた声にぎちりと筋肉がきしみ、咄嗟に声の方へ行こうか、否かで悩み、転けた。

道連れにされてぎゃっと悲鳴を上げたローに慌てて謝るが、ぬっと視界を陰らせた影にぎちりと体がきしむ。

「おいおい、怪我ねぇか兄ちゃん」

煙草を咥えながら器用に話しかけてきたナマエに言葉を失い、呆然と見つめ返すがナマエはこてりと首をかしげた。気付かれていない。それは安心すると同時に、妙に悲しさを感じた。

あっちいけと額を擦りむいたローが唸り、ぱちりと瞬いたナマエは丈夫だなと幼く見える笑顔を零した。

抜き身で肩に担いでいた刀がぎらりと脂の乗った光を弾く。

「ちょっと荒れるから避難しとくといいぜ」

「おれに指図するな!」

「これは助言ていうんだよ、ボクちゃん」

ぽん、とローの頭を空いた手で叩くように撫でつけて覗き込んでいた腰を正すように背筋を伸ばした。

じゃあな、と喧騒の勢いが増していくそちらへ向かおうとはためいたコートの裾を咄嗟に掴む。ぎょっと目を見開いたローも驚いて振り返ったナマエの視線も、正面から受け止めきれずにあわあわと慌てるだけだったが、それでもコートの裾を離さない手。

一言、言って欲しい言葉がある。

おそらくこれを逃せば、しばらく、もしかすると一生、聞けないかも知れない言葉が聞きたかった。だがそれを強請る言葉が思いつかずに、はくはくと音もなく唇を動かすしか出来ない。そんな男をどう思ったのか、ナマエはにかりとフィルターを噛み締めながら笑みを浮かべて見せた。

「大丈夫だから、あんまりコケんなよ」

じゃあな、なんて当たり前の顔してナマエが再び前を向く。今度こそ翻ったコートが手をすり抜け、まるで手を振るようにひらりと緩くはためいた。

「…おい、コラさん」

訝しむようなローの声に、はっと意識が引き戻される。わあわあと堰を切ったように始まった怒声混じりの大捕物に巻き込まれぬように、逃げた。

「なぁ、知り合いだったのかよ」

「え、あ…いや」

「…?」

騒ぎの及ばぬ町外れまで逃げ込み、歯切れの悪いコラソンを訝しみながらローは帽子を深く被り直した。帽子の影から見上げたコラソンの、泣き出しそうな顔は見てはいけないような気がした。

「大丈夫だ。行くぞ」

そう言って足を踏み出したコラソンに何が大丈夫なのか聞くのは、きっと野暮というやつだから。