「坊主、悔しかったら強くなれ!」

懐かしい、声がした。

処刑台に拘束される彼の息子を見たからだろうか。あの時彼はなんと言っていたっけ。飲んだくれの親父に虐げられていた俺を助けた男は自分の子供のことはほったらかすのだから本末転倒だと思う。いや、あの行動のお陰で俺は今海軍を裏切ろうとしているのだから少し違うような気もする。なんと言っていいのか分からないなと首を傾げた。

因果応報というやつだろうか。

それとも情けは人の為ならずと言えばいいのか、学はあまりない頭ではよく分からない。遠くで、マルコの声がした。あれが白ひげかと巨体の男を見やる。最強と謳われるだけの風格を備えた男は、巨人の中将を赤子のようにあしらい微塵の迷いもなくそこにいた。どこからかドフラミンゴの高笑いが聞こえる。

白ひげが起こした地震のお陰で瞬く間に見慣れた地形が変わり、崩れ落ちる建物の中に自身の居住区を見つけた。大した荷物は無いけれど、覚えてしまう一抹の虚しさ。

戦争が口火を切る中、俺の部隊は動かない。隊長、と小さく呼ばれる声にポケットに忍ばせた辞表をそっと撫でた。

大分強くなったとは思う。子供の頃に比べれば、格段に強くなった。それでもまだ足りないと思うのは何故なのだろう。足りない、何もかも。

「皆、――――すまないね」

足元に転がる元部下達は次に目を覚ましたとき何と思うだろうか。恨むだろうか、悲しむだろうか、怒るだろうか、それとも別のことを思うのだろうか。瞬く間に変化する戦場を眺めながら、青く輝くマルコを見た。

マルコがいなければ、海軍を裏切る決意なんてとうの昔に消えていただろう。

前世の記憶とこの世界の知識を持って生まれた俺を助けてくれた、後の海賊王への恩返しにと安直な考えで入隊した海軍だった。だが、月日が経つにつれ、仲間の心にふれるにつれ、自己中心的な俺の心から海賊王への感謝は残れど、今こうして海軍を裏切る決意など出来なかっただろう。

記憶の男が豪快に笑った。

「格好付けて歩け、男だろ!」

これはうじうじと下ばかり見ていた俺にかけた言葉だったか。本当に凄い男だと思う。何十年もたってその言葉が俺の背中を押すのだから、下手な説法より余程凄い。

うろ覚えの記憶の中と現状を照らし合わせれば、もう直ぐエースは解放されて一度は逃げる。そうだ。もう悩んでいる暇などない。やるしかないじゃないかと、一歩足を踏み出した。

一帯を、ルフィの覇気が支配する。覚醒したんだとぼんやりと思った。ここでエースが死ねば彼の礎となるなるのだろうけれど、やはり俺は自己中心的だからマルコの悲しむ顔が見たくない。

ゆっくりとエースに近づき、センゴク元帥に一礼をした。

「何のつもりだ、ナマエ准将」

「センゴク元帥…すみません」

これ辞表です。そういって差し出した辞表は腕ごと弾き飛ばされた。地の這うような声がもう一度問うた。何のつもりだ。別に、何ということはないんですが。鬼のような顔に予想通りだなと苦笑する。

「二つ三つ、火拳の親族に借りがありましてね」

刀を振るえば脆く砕け散る海楼石の手枷。

構えた元帥よりも早く、エースを抱えて処刑台を飛び下りた。

「ナマエ准将!海軍を裏切るつもりか!!」

「…ええ、まあ、そうなるでしょうね」

ちらりと横目で確認した大将黄猿は、白ひげの仲間に手こずっているようだ。黄猿さえいなければこちらのものだと着地の勢いを殺さずに膝を折り、反動で強く地を蹴った。猟豹と名を馳せた足は、過信ではなく海軍で随一を誇る。

舌を噛むなよと忠告する前に舌を噛んだらしい火拳に笑いながら、追撃を避け、待ち構えている海兵をかわし、向かう先は白鯨の船。遅い遅いと交わしながら突き進めばそこに広がる地獄絵図のような戦地。走って、走って、避けて、走る。

「おめぇら!一旦引くよい!!」

マルコの声が、どこからか響いた。

「ナマエ准将…!なんで…!!」

どこからか聞こえる声に、わずかばかり罪悪感。ごめんね。そう返した言葉は聞こえただろうか。

誰に追いつかれることなく辿りついた白鯨の船で火拳をそっと下ろしてやればあっけにとられたような視線となんでというセリフ。しばし悩んで、格好つけろよという海賊王に従うように笑みをこぼした。

「君が家族に恵まれてるからってところかな」

歓声をあげながら引き揚げてくる白ひげ海賊団の中に、確かにマルコの姿を見つけて瞳を細めた。辞表に綴った謝罪などでは到底許されないのだろうけれど、未練がないわけではないけれど、これでよかったのだと漠然と思う。もっとうまく立ち回れたら。もっと狡猾になれたら。もっと力があれば。もっともっとと思うことは尽きないが、それでもいい。

「ナマエっ!どういうことだよい!!」

保身も考えず駆け寄ってくる愛しい人が泣かずに済んだ。今はそれだけで十分だ。