「…今日が山場だろう」
眼下に隈を作りながら、医者が目を伏せそう告げた。ぽたり、ぽたり、透明な液体がベッドに横たわるラルゴに点滴されていく様を見ながら、バルトロメオはそうかと頷くしかなかった。ラルゴの指先に巻かれた包帯から、うっすらと血が滲み微かに黒ずんでいるのが嫌に目につく。海賊というのは無茶をしなければならない病気にでもかかるのか、と医者が面白くもないジョークを言って肩をすくめた。
「その墓が誰の墓かは、誰も知らないんだ。気が付けばその墓があって、気が付けばラルゴさんが住み着いていて、それだけだ。あそこら辺は何もないから、誰も寄り付かない」
何故掘り返そうとしていたのかは分かりかねると医者が言う。バルトロメオはもう一度そうかと返して、処置を終えた医者と入れ替わるようにベッドの横に腰を下ろした。
腕や鼻に繋がれた管が、その老人を酷く弱々しいものに見せる。
無機質な電子音がラルゴの鼓動をバルトロメオに伝えるが、心なしかそれすらも弱弱しいものに感じられた。がじがじと意味も無く牙を歯噛みしてみるが、気持ちが晴れない。その寝顔に悪態の一つでも吐き捨てたい気分だった。
先の時代を生きた海賊の末路。それが、こうも呆気なく、世界の片隅で幕を降ろそうとしている。
乳呑み児、とバルトロメオを言いきった第一印象のままだったならば、ざまあみろと思っていただろう。嫌いな相手に向ける同情は持ち合わせていない。それでも、耄碌ていたのだとしても向けられた笑みや、無言で交わした酒の味に、もう他人ではないのだと生来の人懐っこさが顔を出す。
その海賊が涙を流したのだ。どうしてそれを捨て置けるというのか。
混濁しながらもラルゴは、ここに居てくれとバルトロメオに言った。ならば、ここに居てやろう。掛ける言葉は見つからずとも死にぎわに、イヴ、という男に会えたと錯覚できることが喜ばしいのであれば成りすましてやろう。そう思いながら襲われた疲労感に、ベッドに突っ伏すように上体を預けた。
あの墓を何故掘り返そうとしていたのかは知る由もないが、峠を越えたら掘り起こしてやろう。余計な事をするなと怒らせるだろうか。どうせ連絡船が来るまで時間はある。また酒を飲んでもいい。無言で飲んで居心地が悪くないと思えたのは初めてだった。
そんなことを思いながら、閉じた視界の中規則的な電子音を聞いた。
異様なほどにゆっくりとした、まるで停滞しているかのような時間の流れ。ぴ、ぴ、ぴ、ぴ。
ぴ、ぴ、ぴー、?
「…寝心地が、悪いわけだ」
「ジ、ジジイ…!」
無造作に引きちぎられた管が数本、床に打ち捨てられ機械が甲高い警告音を叫ぶ。その音に医者が慌ただしくかけつけ、ぎょっとその目を見開いた。
「ラルゴさん!なにを…!」
「手ェかけさせたな、治療費は払う」
「そんなことより今は安静にしてくれ!」
「あんたにゃ悪いが、今更だ」
死んだら海にでも捨ててくれと、ベッドから降り立ちラルゴはお世辞にも死にかけとは思えない力強さで真っ直ぐと背筋を伸ばした。ちらりと覇気に漲るような、海を生き抜いてきた男の目でしてラルゴがバルトロメオを射竦める。
「小童の分際で俺の邪魔しやがって」
「その小童に助けられたくせによく言うべ」
「頼んじゃいねぇ」
つんけんするにも程があるだろうにと、思わずバルトロメオの眉にシワがよる。耄碌している以上仕方が無いのかもしれないが、時折見せる無邪気な笑みと本当に同一人物か疑わしい程だ。
だけれど、とバルトロメオは腹を括ってぞんざいに腕を組み横着な態度でその目を見つめ返した。
「いいべ、最後までジジイの我侭に付き合ってやるよ」
「な…!」
どうせとうに腹は決めていたのだ。今更ではないか。その横で驚いたように口をはくはくと開け閉めして言葉を探していた医者が、少しして覚悟を決めたように息を吐いた。
「なら、俺もそうしよう」
「…なに?」
「どうせ逃げ出すなら、端からついていこうと言っているんだ」
何が出来るわけでもないが、と気難しい顔で言い切った医者とともにバルトロメオはラルゴを責めるように見た。なんなりと付き合うぞと言わんばかりの覇気に、僅かに驚いたように目を見開いたラルゴは、一泊おいてかさついた目尻の皺を一層深めてふいと反らされる。
「…お節介どもめ」
わざとらしく不貞腐れたような、不満そうな顔は、どう贔屓目に見ても照れ隠しで、思わずバルトロメオは医者と顔を見合わせた。