彼女の脳は、物事を記憶する能力が欠落しており、3日以上の記憶を保てない。それだけではなく、左腕も欠損していて、足も殆ど動かなくて、右目も見えてない。彼女は人間としての自由を、殆ど失っていた。


「…はじめまして、この部屋の人ですか?」
「…まぁ、そんなとこだ」
「そうですか。どうぞ此方にいらして下さい」


部屋の隅の白いベッドから起き上がり、彼女が俺に微笑んだ。その白い肌に巻かれる包帯はどこか痛々しい。ベッドの隣に置いてある椅子に腰掛け、俺は彼女を見据える。綺麗で澄んだ、美しい瞳だ。


「私、ナマエといいます。貴方の名前は?」
「…俺の名前を知らない奴もいるんだな」
「?あなたは有名人なのですか?」
「…何でもねぇ、リヴァイだ」
「リヴァイさん、ですか。ここで出会ったのも何かの縁ですし、どうぞよろしくお願いしますね」



そんな出会いから2日が経った日。草花の綺麗なところにいきたいという彼女の願いから、その日の夜、彼女を抱きかかえて近くの草原へ来ていた。月明かりに照らされた草花を見て、彼女は目を輝かせた。


「…綺麗です」
「そうか」
「えぇ、とても。つれてきてくださってありがとうございます」


彼女を下ろし、地面に座らせる。彼女から手を放そうとすると、彼女の手が俺の腕をつかんで放さない。俺の手を掴む彼女の手は、小刻みに震えていた。


「…リヴァイさん。私、怖いんです」
「…」
「私の記憶が曖昧で、これからどうしていいのかも分からなくて、」
「落ち着け、」
「私、っ、なんだか大切なことを忘れているような気がして…っ」
「ナマエ」


壊れないように、苦しくないように、そっと優しく彼女の体を抱き寄せる。その冷え切った指を暖めるように、自分の指を絡めれば、彼女はその手の感触を確かめるように俺の手に絡める指の力を強くした。


「ずっとそばに、いてください」
「…俺がいなくなると思ったか」
「…そうですね、リヴァイさんは強いですから」


なんて言って彼女は微笑んだ。

彼女は、今までの記憶を思い出すこともなければ、これから先の未来を記憶することもない。過去に笑いあったことも、互いに愛を語り合ったことを思い出すこともない。思い出したとしても、3日も経てばその記憶は消えるだろう。そして今この手を握り締めている感触も明日になればもう消えている。彼女の中の時間は、ピタリと止まってしまったのだ。


「不思議です、貴方とはずっと昔に会っているような気がします」
「…さぁな」


彼女のその柔らかい唇に、自分の唇を押し当てる。どうか、この感触が明日の彼女に届くように。























調査兵団本部の誰も立ち入らないその部屋。静かにノックをすれば、どうぞ、と透き通るソプラノの声が返事をした。部屋の中に入ると、ベッドから身体を起こして、彼女は此方に笑顔を向けた。綺麗で、美しい微笑みだ。




「初めまして」
「…あぁ」
「…?どうか、しましたか?」
「いや、何でもない」
「そうですか。どうぞ此方にいらして下さい」


俺たちは、同じことを繰り返す。それでもいい。それで彼女に報いることができるなら。それが彼女の幸福ならば。



唯一つ、願わくば暫くの幸福を。
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