あいあるけもの
 パッショーネに入る前は母親と二人暮らしだった。ヤク漬けで禁断症状が出る度に俺を殴った母親との、二人きり。今になって思えば大人しく殴られる謂れは無かったけれど、それでもアレは母親だったし、優しいときもあったから、そういうことは息子の俺は受け入れなくちゃあいけないんだと、当時の俺は思っていた。世間一般様が宣う『良い親』では無かっただろうけれど、俺にとっては、腐っていても母親だったのだ。

 いつだったかは忘れたけれど−−確か、俺が十三のときだ。あれ、十四だったかな。十七だったかも。どれでもいいや−−母親が連れ込んで寝た男がギャングに追われている奴だったらしくて、騒々しさに目を覚ますと母親はその男共々ギャングに銃弾で頭を吹っ飛ばされていた。二人とも裸だったから、同じイタリア人でも男と女では肌の色が違うんだな、なんて思った。
「ガキがいたのか」
「チッ。こいつもやっとくか?」
「あー……忍びねえなあ」
 数人の男達が俺を囲んで見下ろした。そのうちの一人が俺の面前でしゃがみ、俺に目線を合わせて口を開いた。
「よお、ガキンチョ」
 死体が転がっている空間にはあまりにも不釣り合いな軽い口調だ。
「選ばせてやる。これのよォ、ここ。俺が引くのと、お前が自分で引くの、どっちがいい?」
 銃の引き金の部分を指差しながら、怖い顔の男は俺に尋ねてきた。その銃口がどこに向かうのか、という説明は無かったけれど、聞かずとも理解出来た。俺は、男から銃を受け取った。
「お、なかなか勇気があるじゃあねえか。勿体ねえなあ」
 何が勿体ないのだろう、と思ったけれど、その好奇心は受け取ったものに移ると忘れてしまった。
 本物の銃だ。テレビで見たり、たまに街中でも持っている人を見かけることがあったりしたけれど、実際に手に持つのは初めてだった。想像していたよりも重いし、大きい。引き金以外にも押したり開いたり出来そうなパーツがついてる。
 男は「あとは引き金を引くだけの状態だ」と教えてくれた。こめかみだと手がぶれるから顎の下の方が確実だぜ、とも。
 どうしようかな。
 少しだけ悩んで、俺は銃口を横たわっている死体に向けた。引き金は思ったより柔らかく、発砲の反動はテレビで見て想像していたよりもずっと強かった。弾は、母親だったものの頭に当たった。
 一瞬だけ室内が静まり、その後プッと吹き出す声が上がった。
「はははっ! オイオイ、こいつ正気か?」
 小太りの男はそう言って腹を抱えながら大笑いした。
 怖い顔の男は、銃弾が当たった死体に近付くと、俺を見た。
「これ、お前の母ちゃんだろ?」
 怖い顔の男は無表情で死体を足蹴にした。死体はぐにゃぐにゃと小さい女の子が遊ぶ人形みたいに歪みながら寝返りを打った。仰向けになった母と目が合った。
「うん」
「何で撃った?」
「……銃、撃ってみたかったから」
「俺はこれをでテメエのドタマをブチ抜けって言ったつもりだったんだが、伝わってるか?」
 俺は怖い顔の男を見た。男は俺の顔を睨んでいる。俺は無言で睨み返した。ムカつくガキだって殺されちゃうかもなあ、とも思ったけれど、それしかやりようが無かった。
 ところが、怖い顔の男は笑い出した。
「気に入ったよ。お前、俺たちんところに来ねえか? お前くらい肝が据わってるガキンチョはブチャラティぐれえだ」
 知らない名前を出されていまいち話についていけなかったけれど、褒められたみたいなので少し嬉しくなった。男が頭を撫でたときに感じた振動は、母のそれと一緒だった。
「どうだ? 来るか?」
「おじさん達のところ?」
「あー……俺、これでもおじさんって年齢じゃないんだけどよォ、……まあいい。お前、ギャングって知ってるか?」
「うん」
 怖い顔の男は再びしゃがんで俺と同じ高さで視線を合わせた。
「お兄さん達はそのギャングってやつでよォ。まあ、ここに来たのも、お前の母ちゃんが、一緒にお寝んねしてる男と二人で俺たちの商売道具を勝手に横流ししてたから、ルールを破った罰としてお仕置きをしに来たってことなんだけど」
「うん」
「表情筋のねえガキだなあ……」
 本当は泣いたり怒ったりした方が良かったのだろうか。でも、そういう気持ちが全然湧いて来ないのだから、表情を変えられないのもしょうがないと思う。
「父ちゃんはいるのか?」
「ううん。俺が生まれる前に別れたって母さんは言ってた」
「そりゃあ丁度いい。尚更こっちに来いよ。嫌だってんなら勿体ねえけど、母ちゃんとおんなじになってもらうしかねえしな。どうする?」
 つまり、死ぬかギャングになるか選べということなのだろう。デッドオアギャング。そんなの、選択肢があるようでひとつしか無いじゃん、と思った。でも、不思議と嫌な気持ちではなかった。
「だけどよ、こいつにテストさせて大丈夫か? 死ぬだろ」
 黒髪の華奢な男が言った。
「大丈夫だろ。自分の母親の死体に銃ぶっぱなすような奴が受からねえんじゃあ、誰も合格しねえよ」
 テスト、という言葉に不安を覚えた。学校のテストだっていい点を取れたことが無かったのだ。それを口にしたら、怖い顔だったはずの男は目元をしわくちゃにしながら俺の頭を撫でた。優しい手つきだった。
「ギャングになる為の試験がペーパーテストだったら俺も落ちてたなァ! 俺ァ学校行かなかったからよォ」
「善は急ぐとするか」男がそう言って、俺を連れて部屋を出ようと玄関を開くと、誰かがいたらしくて足を止めた。俺は男の後ろを付いて行こうとしていたので、ちょうど男が影になって見えなかった誰かの顔を見ようと顔だけ覗かせた。
「メローネ?」
 訪問者は隣の部屋に住んでいる友達だった。俺がここに引っ越してきてからの、唯一の友達。目が合ったとき、心臓がドキッと大きく鼓動した。今までそんなこと無かったんだけど。
 どうしよう。




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