夜の目
 父が客人を連れて来たらしい。
 珍しい、という感想の前に、また畑仕事をしないで何処かへ出掛けていたのだという事実を察して向かっ腹が立った。きっと今朝獲れた兎を売りに行ったのだろう。一日ならまだしも、二日連続だ。お陰で、本来なら昨日の内に終わっていた筈の仕事を未だに私一人でやっている。
 そもそも父に友人なんていたのか。少なくともこの村にはいない。話を聞くに、毛皮を売りに行った先で偶然出会って意気投合した旅の人達だそうだ。家主である地主様に許可を取らずに勝手に家に上げるなんて、と言いかけたところで、既に話は聞いているからと地主様本人に言われた。−−父は、自分の関心ごとについてだけは手が早いのだ。
「すいません。父が勝手に」私が父の無作法を謝罪すると、地主様はにこにこと微笑んだ。
「いや、気にしなくていい。この村に他所の人が来るなんて久しぶりじゃあないか」
 地主様はとても人がいい。私達親子が住み込みの小作人として働けるのも、父が趣味の狩猟を−−仕事を放り出してまで−−満喫出来るのも、雇い主である地主様がそれらを快諾して下さったからだ。これは父の人当たりの良さや狩った動物を振る舞う器用さだけでは得られなかったものだと思う。良くも悪くも、普通の人は余所者にそう簡単に心を開かない。私がそうだから、尚更そう思う。
「仕事は中断していいから、客人を迎えに行ってくれんか? ついでに自己紹介してくるといい。女の子も一人いるそうだ」
「でも……」
「昨日からずっと一人でやってるし、休憩のつもりで行ってくると良い」
「わかりました」
 私は服に付いた泥を手で払って、慌てて玄関へ向かった。
 父も客人も、既に靴を脱いで玄関に上がっていた。玄関の奥からは地主様の奥方様が迎えていたので、私はここに来る必要は無かったんじゃあないかって思えて、無性に居た堪れない気持ちになったし、仕事をしないでヘラヘラと笑っている父の顔に苛立ちが募った。客人達の前じゃあなかったら一発叩いていただろう。
「こ……こんにちは」
 嫌々な気持ちを隠して挨拶をすると、客人の方達は私の心情を知らないお陰で一人を除いて快い挨拶を返してくれた。側にいた父に一人娘だと紹介され、客人との自己紹介を手早く終えた。
 一行は、旅芸人かと思ってしまうくらいには珍しい組み合わせだった。幼いアイヌの女の子のアシリパさん、顔に大きな傷がある杉元さん、坊主頭の白石さん、無表情の尾形さん。挨拶をしなかった人は、尾形さんというのか。こちらを一瞥して軽く会釈をするだけだったから、人見知りをする方なのだろう。
「主人から話は伺いました。どうぞ」
 奥方様が客人達を座敷へ招いたので、私は仕事に戻ろうと思ったら父に止められた。「さっきまで仕事してたんだろ。せっかく客人が来たんだ。休憩のつもりで一緒に話ししようや」なんて言ってくる。(仕事を二日も娘に押し付けた奴にだけは言われたくない言葉だ!)
 何故彼らがこんな父と意気投合などしたのだろう、と不思議だったが、家に入るとその理由はすぐに分かった。
「お! すっげーなおっさん! これが話で言ってた鹿の剥製か?!」
 杉元さんが興奮気味に剥製へ駆け寄った。玄関に入ってすぐの壁に飾られているその鹿は、確か、二年だったか三年だったか前に父が一人で獲ってきた鹿だ。今までで一番大きいからと、首から上はわざわざ大金をはたいてその道の職人に剥製にしてもらったのだ。−−ただでさえ少なかった稼ぎから出したせいで当時の私の貯金も無くなったから、私はその剥製を目にする度に複雑な気持ちになる。
 彼らは普段、道中で動物を狩ってお腹を膨らませているそうだ。アシリパさんがアイヌ直伝の様々な狩猟方法を知っているらしい。きっと、父もその辺りの話を聞きたくて彼らを招き入れたのだろう。
「こんなに大きいのは初めて見た! 一人でどうやって獲ったんだ?」
 アシリパさんが嬉々として目を輝かせている様子を見て、父は嬉しそうに微笑み、私にとっては耳に胼胝ができた自慢話を始めるのだった。

 杉元さんは既に除隊した元軍人だそうだ。不死身の杉元、という名前は軍人さんの間でも有名だったらしい。そういえば、この村からも数人の若い男が軍人として出兵した。誰も帰ってきていないけど。−−一度だけ、その内の一人と親しかった者だと名乗る方が、これを渡せと頼まれた、とタバコの箱を持ってきたことがあった。その箱の中にはこの村の者だった誰かの小さな指の骨が数個だけ入っていたという。
 杉元さんが戦場にいた、ということが何だか不思議に思えた。ほんの少し会話を聞いただけだったけれど、そういう環境が似合わない人だと感じた。
 結局、奥方様にも手を引かれ、私は彼らと一緒に座敷で会話に参加していた。杉元さんたちと父が今まで獲った獲物の話に花を咲かせている中、私と、私の隣に座っている尾形さんだけが無言のままだった。何か話題を振るべきなのだろうか。
「あー、その、杉元さんはもう除隊されているそうですが、尾形さんもそうなんですか?」
 私の問いに、尾形さんは数秒の間を置いて、目を合わさずに答えた。
「いや」
「……えっと、それじゃあ、杉元さんとは軍で知り合われたんですか?」
「違う」
「……そ、そうですか……」
「無理に会話をしようとしなくていい」
 苦手だ、と思った。元々初対面の人と上手に会話が出来る性格ではなかったが、この人とは殊更それが難しいと感じた。ひとりだけ黙ってたから気を使ったのにとか、折角招いたんだから少しくらいは会話に参加する姿勢を見せて欲しいとか、そういう自分本位な気持ちで胸がモヤモヤした。いやでもちょっとくらいはこっちに気を使ってくれたって良いじゃん。
「羆を倒したことがあるってェ! 嘘だろ!」
「ええー? やっぱりそう思いますゥ? でも嘘じゃないんですよこれがァ!」
 私の沈んだ気持ちなんて露知らず、父達は随分と盛り上がっているらしかった。酒を呑まずにこれだけ上機嫌になっている父を見るのは初めてだ。私ばかりがどうしてこんな気持ちにならなければならないのだろう、というぶつけようのない不満で胸元がムカムカしてきた。この場を離れた方が良いかもしれない。
「やっぱり兵士さんは力が強えから、羆やっつけるのも赤子の手をひねるようなもんかァ? ワッハッハ!」
「いやいやいやそんな大層なもんじゃあないですよ」
「銃で狙って撃つのは尾形の方が上手いしな」
 なあ尾形、とアシリパさんがこちらを見た。その横で杉元さんが「アシリパさん、俺の話してるときに尾形の話する必要ある?」と言っていて、聞き耳を立てていた私も同じことを思った。尾形さんの顔を見ると、それらに一切の感情も持たないように彼は手元の茶をすすっていた。
「俺の娘も結構狙って撃つのは上手えんだ。ちょっと動き回ってる兎程度なら簡単に脳天ぶち抜いちまう」
「そうなのか! 杉元とは大違いだな!」
「アシリパさん、どうして俺をいじめるのォ?」
 不意に会話の矛先が私に回ってきて、どう反応したらいいのか分からない私は自覚出来るくらいの苦笑いを浮かべていた。
 もう日が落ちようとしている。奥方様は夕飯の準備をしに台所へ行ってしまった。私も畑に色々と置きっ放しだし、奥方様の手伝いに行かなければいけない。父が少しは私に押し付けた分をやってくれないかと期待していたが、この様子では朝日が昇っても気付かないだろう。
「すいません。仕事を途中で置いてきてしまってるので、私はこれで」
 私は父に聞こえるように声を張って、逃げるように座敷を出た。
 座敷の襖を占める直前、白石さんが尾形さんに話しかけて無視されていた。可哀想。




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