太陽の下に出てはいけない。
 物心ついたときから呪文のように言われてきた言葉は私の魂に擦り込まれている。太陽の下に出てはいけない、もし出たら我々は死んでしまうのだ、と。
 死とは、謎に満ちた存在だ。命が死んだ時、その先がどうなっているのかなんて、生きている者は誰も知らないし、知る術も無い。
 死だけじゃない。本能と理性のメカニズムとか、精神とか、女に子が宿る仕組みとか、命に関することは謎が多い。私よりもずっと頭の良いカーズ様でも分からないと仰っていたから、きっと私が分かる事なんて到底無理な話なのだろう。他の生き物より寿命が途方も無く長い私達でも、恐らく永遠に解明出来ない、神秘的な謎だ。

「カーズ様。今日、太陽出てないみたいですよ」
「そうだな。今日は曇りだ」

 カーズ様は、大嫌いな太陽が顔を出していないというのに嬉しくなさそうだった。
 機嫌が良ければいけるかも、と考えていた私の作戦は駄目かも知れない。しかし、何事もやってみなければ分からないので、私はカーズ様の顔色を伺いながら、恐る恐る尋ねる事にした。

「あの、カーズ様」
「何だ」
「外、出て良いですか?」
「駄目だ」

 やっぱり駄目だった。がくりと項垂れる。作戦は失敗である。作戦と言っても、曇りの日なら昼間でも外に出て良いと仰るかも、という作戦とは程遠いものだったが。兎にも角にも、私が期待している方向へと事は進んでくれなかった。
 好奇心が旺盛な私は、太陽をこの目で見てみたいとずっと思っている。でも私達にとって太陽は、猛毒よりも圧倒的に致死性のある、決して望んではならない、忌むべき対象だ。決して打ち勝つ事の出来ない、神以上に絶対の存在だ。
 私よりもずっと長い時間を生きてこられたカーズ様とエシディシ様は、太陽の脅威というものをよくよく理解されているらしく、私が太陽を見たいと言う度に厳しく咎めた。私のように、愚かにも太陽の下に出た仲間達は、皆等しく死んでしまったのだと。決してそんな下賎な誘惑に負けてはいけないと。ワムウ達は私と違ってきちんと忠告を聞き入れていたので、わざわざ危険なものを見てみたいと駄々をこねる当時の幼い私に、カーズ様達はほとほと手を焼いていたらしい。時々聞かされる古い思い出話はそんな私のやんちゃなエピソードばかりなので、お酒の入ったエシディシ様が話す度に私は顔いっぱいに熱を帯びさせていた。

「日が沈むまで待て」

 厳しい声音でカーズ様はピシャリと仰った。その威厳たっぷりな雰囲気はとても怖い。普段は優しいと分かっていても、心臓が勢い良く飛び上がる。

「でも」
「死にたいのか」
「太陽が出てなくても、死んじゃうんですか?」
「日が昇っている以上は、どんなに雲が覆い隠していても駄目だ」

 どうして死んでしまうのか、どんな風に死んでしまうのかは、実際に見た事が無いから分からない。
 ただ、カーズ様に死ぬときの様子をお尋ねたら、砂のような粉塵になって消えてしまうのだと仰っていた。一般的に生き物が絶命するときの様子とはかけ離れているそのイメージには今いち現実味を感じなかった。それが、私が太陽に興味を持ってしまう一因なのかも知れない。

「そうですか……」

 結局今日も太陽を見るという私の願いは叶わなかった。カーズ様の厳しい叱責の目線に気持ちが沈む。
 その様子を見てか、カーズ様は私の元へいらっしゃると、ポンポンと私の頭を撫でた。その手は先程の目とは打って変わって、とても優しい。
 俯かせた視線を上へ動かすと、手と同様に目も優しくなったカーズ様の顔があった。優しいと言っても相変わらず切れ長の目は鋭さを感じさせるのだけれど、でも確かにその瞳は優しい温度を帯びていた。

「我々が太陽を克服する為の術を手に入れるまでの我慢だ」
「がまん……」

 低くて穏やかな声が私の耳に心地の良い振動を運んでくる。カーズ様に比べてまだまだ幼い私は、さっきまで抱いていた太陽への憧憬がカーズ様に緩やかに溶かされているような気がした。こうやって毎回上手く(上手くよりは良いようにって言い方が正しい気もするが)丸め込まれているのである。

「そうだ、我慢だ。忍耐を覚えろ」
「カーズ様に言われても説得力ないです」
「ほう、いつの間に口が達者になったものだ」

 カーズ様の両手が私の頬を引っ張る。ぐにぐにと力任せに伸ばされた頬は容赦無い痛みを私の脳へ訴える。カーズ様は、こういうときいつも遠慮が無いのだ。

「うっ、いひゃいれひゅ、やへへふらひゃい」
「うりうり」

 カーズ様は意地悪そうな笑みを浮かべている。これは、怒っているというよりは楽しんでいる顔だ。私よりずっと年上で、見た目もずっと大人なのに、カーズ様は時々こうして私よりもずっと子供のような笑みと行動をしてくる。
 やめてくださいとカーズ様の両手をぺしぺしと叩いていたら、しばらく頬を伸ばしたりつねったりした後にカーズ様は漸くその手を離した。頬はじんわりとその痛みを引き摺っている。
 カーズ様のいじわる、と少し涙目になりながら小さく悪態を吐いたら、カーズ様は、今度は宥めるように私の額にキスを落とした。私が拗ねる態度を取ると、カーズ様はいつもこうやってどこかにキスをして下さるのだ。それが子供扱いをされているようで腑に落ちないのだけれど、その一方で嬉しく思ってしまう私もいる。むず痒くなった頬を自分で軽く叩いたらぺちりと柔らかい音がした。

「うう、ワムウと外で遊びたかったなあ」
「日が沈んでから遊べば良かろう」
「夜じゃなくて、昼間に外で遊びたいんです」
「いずれ太陽の下でも遊べるようになる。それまでの辛抱だ」

 カーズ様の仰る「いずれ」はきっと何十年、下手をすれば何百年も先の事なのだろうと思ったけれど、口に出すのは止めた。たぶんカーズ様自身も分かっていらっしゃるだろうし、彼が私を慰めてくれようとしているのは重々知っているので、その茶を濁してしまうような事をわざわざ口にする程の間抜けにはなりたくない。
 あ、でも、ちょっと前に石仮面の力を強める石があるなんて仰っていたな。詳しい事は私には一切話して下さらなかったけど、ひょっとしたら太陽の下に出る事が出来る日は、私が思っているよりは遠くないのかも知れない。
 結局日が落ちるまでは今日も家の中に居なければならないので、暇を持て余した私はカーズ様が座っていらっしゃる椅子の肘掛けに腰を下ろした。行儀が悪いぞとカーズ様が仰るけど、そんな事は今更なので無視をした。カーズ様もしつこく言及はしてこなかったし、私の伸びっ放しの髪の毛を弄り始めたから特段気にしてはいないのだろう。

「太陽の下に出るのって、どんな感じなんでしょうかね」
「そんな事、じきに分かる」
「光って熱いんですかね。冷たいんですかね。でも夜より昼間の方が暖かいから、太陽の下もきっと暖かいんだろうなあ」

 私が、太陽について人間が書いた本の内容や夜に外出したとき人間から見聞きした事を話している間、カーズ様はずっと私の髪を弄っていた。私の髪はカーズ様のようにウェーブがかかっておらず、ほとんどストレートの状態に近いから弄り易いらしい。以前、女の子みたいだと笑ったら結構本気で殴られたので(少し頭蓋骨にひびが入って出血もした)髪の毛を弄る行為に対しては一切触れない事にしている。髪の毛から伝わる頭皮への振動がマッサージのように心地良いので、弄られる事自体は好きだ。

「お前のようにここまで太陽に執着する奴も珍しいな」
「そうなんですか?」
「少なくとも私の周りではお前が初めてだ」

 私達一族は太陽が毒だと知っているから、わざわざそれを求めようとする者は居なかったのだそう。触らぬ神に何とやらというやつだ。
 太陽の下に晒されるときというのは、その者が何か一族の掟を破ったり災いをもたらしかねない行いをしたときの罰として無理矢理という場合のみで、私のような好き好んで出て行きたがる者は、きっと一族が滅んでいなかったら異端者として迫害されかねなかっただろうなと、カーズ様はくつくつと喉を鳴らした。一族を滅ぼしたのは自分の癖によく言うものだ。でも、そう考えると迫害されていたかも知れない未来をカーズ様に助けて頂いたという事になるのかも知れない。ちょっと都合良く考え過ぎかな。

「カーズ様の初めての人ですか。やったあ」
「おい、言い方を変えるな」

 いつの間にか私の髪の毛は三つ編みになってまとめられていた。と思ったらカーズ様はするりと解いてしまった。解いた内の一束を手に取ると、カーズ様はそれをそのまま自分の鼻孔へと近付けた。そしてそのまま深く息を吸う。

「お前の髪は良い香りがするな」
「使ってるシャンプーはカーズ様と一緒ですよ」
「じゃあお前の香りなんだろう」
「カーズ様なんか変態っぽいたたたたたた申し訳ありませんごめんなさい!」

 カーズ様が私のこめかみを握った両手でぐりぐりと挟むように圧迫してきた。先述した頭を殴られた件もそうだけど、カーズ様は私に対して容赦の無い事が度々ある。物心つく前からずっと一緒に居て下さっているから、私の事は娘か妹のように思っているのだろう。私はワムウ達に比べてカーズ様に引っ付いて回る事が特に多かったから、殊更それが顕著なのかも知れない。
 私を生んでくれた両親の事を私は知らないけれど、私にとっての親はカーズ様とエシディシ様だから、殊に気にした事は無い。記憶にも残っていない実の親より、今一緒に居るカーズ様達が、私にとっての家族なのである。女の子が私だけというのはちょっと寂しいと思う事もあるけれど。女の子特有の生理的な事が相談出来ないし。そういう意味ではある程度身体の構造が同じである人間の女達が、私にとっての母兼相談相手と言って良いかも知れない。
 閑話休題。

「私、たぶん死ぬ事に興味があるんだと思います」
「ほう」
「あっ、本当に死にたいわけじゃないです。何と言えば良いのか、私達ってほとんど不死身な状態じゃないですか。だからこそ、死ぬって事がどんなことなのか興味があって、人間の色んな本読んでみるんですけど、でもそれって全部生きてる者が書いてるから、全部想像でしかないんですよね。いくらそうやって調べても、結局何も分からないんです。だから、その謎を持っているかも知れない太陽っていう存在に惹かれるのかも知れません」
「……フフ、つくづくお前は一族の中でも異端者だな」
「考え方が人間寄りなのかも知れないですね。一族滅んでて良かったあ」

 他の生き物にとって太陽は生命の、生きる事の象徴なのに、私たちにとっては死の象徴だ。死神だ。
 幼い頃、寝物語として、我々は途方も無く長い寿命との代価として神に光を奪われてしまったのだとカーズ様が話して下さったことがある。一族に伝わる古い伝承らしいから、それのどこまでが本当なのかは誰も分からないけれど。
 あ、でも死ぬ事とは関係無く太陽の下に出てみたい気持ちもあるんですよ、と付け加える。私には、太陽を克服した際にどうしても叶えたい願いがあるのだ。

「私、太陽の下に出れるようになったら、カーズ様とひなたぼっこがしてみたいんです」

 ひなたぼっことは太陽の光を身体いっぱいに浴びながら暖まる事だ。本で読んだ知識だが、日の下に出て昼寝をするのはとてつもなく気持ちが良いらしい。どこか、草の茂っている森の中で風に木々が擦れる音を聞きながらでも、川辺でせせらぎを聞きながらでも良い。昼行性の動物達の囀りを子守唄にしながら皆で昼寝が出来たら、それは細やかでも幸せな事に思うのだ。
 私の話に、カーズ様はくつくつと耐えきれないように笑みを浮かべた。たぶん小馬鹿にされているんだろうなあと思ったが、これといって腹が立つような心持ちにはならなかった。たぶんカーズ様にはご理解を頂けないだろうという事が予め分かっていたからかも知れない。

「随分と可愛らしい願いだな」
「一応私は女の子ですし」

 カーズ様は私をなんだとお思いになっているんだと頬を膨らましたら、カーズ様は再び私の頭を撫でて下さった。
 そのまま、今度は私の腰を抱えて軽々と持ち上げたと思ったら、自身の膝の上に置いて下さった。腰に置かれていた両手が私のお腹に回り、後ろから抱きしめられる形に落ち着く。家族と言えど、こうも身体が密着するのはちょっと緊張する。家族と称しはしたが、元来カーズ様と私は血の繋がりも何も無い他人同士なのだ。

「我々が太陽を克服するという事は、生命の頂点に立つようなものなのだ。神になる事と等しい。だと言うのに、お前の願いは随分と控えめなのだな」
「頂点に立つとか神になるとか、そういう事よりも、私にとって最も重要なのは皆で一緒に居る事です。頂点に立つのはカーズ様で、私達は傍に置いて下されば、それで充分ですよ」
「殊勝な心がけだな」

 カーズ様が私の肩口に顔を埋めて来られた。垂れてくる髪の毛とか、長い睫毛とかが肩に擦ってくすぐったい。ちょっと身を捩ったら、抱き心地が変わってしまったのかさっきよりもカーズ様の腕の力が一層強くなった。ちょっと苦しい。
 格好が格好だから仕方が無いのだけれど、剥き出しのお腹を直接触られていたり、カーズ様の剥き出しの肌が温かかったりするのが、私を何とも奇妙な気分にさせてくる。そういえばカーズ様達って性欲処理どうなさってるのかなあなんていう野暮な事すら考え始めてしまう始末である。きっと石仮面で吸血鬼化させた人間の女で済ませているのだろう。いや、済ませてから吸血鬼化させてるのか? どっちでも良いや。
 カーズ様甘えん坊みたいですよ、と軽口を叩いてみたらお腹をつねられた。今まで程痛くはないが、それでもやっぱり性別差を考えない力の入れ方だった。

「カーズ様、日が沈んだら散歩でもしませんか」
「私とか?」
「2人きりで冬の真夜中を歩き回るというのもなかなかロマンチックですよ」
「フフ、まるで恋人とするような事を言うのだな」
「家族でやっても良いじゃないですか」
「良かろう。付き合ってやる」

 カーズ様の腕の力が緩んだので、私は身体を左向きに少し動かしてカーズ様の右肩に頭をもたれ掛けた。カーズ様は右腕を私の背中から右脇に回して身体を支えて下さった。カーズ様の頬の横に垂れる髪の毛が私の鼻孔をくすぐる。

「あ、カーズ様の髪の毛も良い香りしますよ」
「そうか?」
「はい」

 皆で使ってるシャンプーと同じ香りだ。




どんより曇り空








2014.11.22
時間は丁度ジョセフ達が修行を始めたときくらい