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 高校生。
 この言葉が遂に自分のものになるのだと考えると些か緊張すると、名前は入学式の最中に思った。彼女は中高一貫校のこの高校に、外部受験で入学した内の1人だった。家から一番近い高校だったという実に安易な理由で選んだこの学校の制服は、自身には似合わない可愛さだとも思った。この高校に、同じ中学だった人はほとんど居ない。新しい世界の開幕に、不安と期待が膝の上に置いた手の力を強めた。
 苗字名前という人間は、特に目立った個性も無い普通の女の子だ。周囲が目を見張るような美貌も、頭脳も、特技も無い、極々一般的な少女だ。加えて、引っ込み思案で、自分の気持ちを外へ出す事を苦手としていた。何か特別な背景があるわけでもなく、その考えを染み込ませる決定的な体験をしたわけでもない。幼い頃からの、もっと言えば、母胎から生まれ落ちたその瞬間からの、彼女の性格だった。それが、苗字名前という人間だった。
 入学式を無事に終え、めでたくぶどうヶ丘高校へと入学を果たした新入生達は各々の教室へと収まった。そのほとんどが中等部からそのまま上がってきた為、どのクラスも既に長い時間を共にしてきたような雰囲気で、とうに打ち解けていた。同じクラスだと喜ぶ者、最近発売したゲームや昨日のバラエティ番組の話をする者、周囲を気にかける事もなく読書をしている者。人の数だけの反応でひしめき合う教室の窓際の一番後ろ、ここが名前の席だった。
 名前にとって、この教室は運が悪かった。例えば、たまたま自分の席の周辺は男子しか居なかったり、このクラスに自分と同じような大人しい雰囲気の女の子が見当たらなかったり。周りの人達が時々向けてくる余所者を見る目が突き刺さって痛く感じた。
 隣の席に人はいない。風邪で欠席などで一時的にいないのではなく、クラスの人数が奇数の為に出来た空席で、机自体も置かれていない。名前にとって、それは救いでもあり、同時にこの学校へ馴染む為のきっかけを失ってしまう事でもあった。それでも名前は、きっと、その内馴染む事が出来るだろう、とどこか前向きな気持ちだった。まだ始まったばかりである上に、高校という環境に少し気分が高揚していた事もあった為だった。
 このクラスの担任になったという中年の男性教師が、明日からの予定や配布物の説明を淡々としていく。名前は、配られたプリントをぼんやりと眺めながら、ほおと小さく息を吐き出した。手に篭った緊張はまだ解けずにいる。

 入学初日という事もあり、今日は午前中で放課になった。
 名前が教室を出て玄関へ向かおうとしたとき、隣の教室前で同級生と思しき女の子が複数人で騒いでいた。中にはクラスで見かけた子もいる。彼女達の視線の先には一人の男子がいた。その男子の出で立ちは、所謂リーゼントと呼ばれる髪型で、制服は明らかに改造したものだった。名前はそれを見た瞬間、体を反転させ、通ろうと思っていた方向とは反対の階段へ向かった。明らかに玄関には遠回りな道の選択だったが、あの女の子達や、何より俗に言う不良にカテゴライズされる風貌の男子の前を歩いていく度胸は、名前には無かった。早足で逃げるように階段を下りながら、学生鞄を力一杯握った。
 玄関を出ると、母の車を見つけた。入学式が終わった後、保護者もPTAの役員決め等の決めなければいけないことがいくつかあったのだと言う。クラスはどうだったのかと尋ねる母に、名前はまだ初日だしと曖昧に笑った。

 きっと、大丈夫。見たところさっきの男の子は隣のクラスだ。自分のクラスには彼のような強い出で立ちの男の子はいないし、怖い人がいるような雰囲気も感じなかった。大丈夫、大丈夫。どんどん木や建物の陰に隠れていく校舎を横目に、名前は自らに言い聞かせた。きっと、大丈夫。
 クラスにも馴染めて、親しい人も出来る。入学式で校長先生が言っていた、楽しい高校生活というものを、自分だって手に入れることが出来る。
 だが、その数週間後、名前が抱いていた期待は打ち砕かれることになった。










2014.11.9