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 武藤くんがパズルを返してもらいに行っている間、館内に残っていたら迷惑になるので外で待つ事にした。時間に対して外はまだ明るく、段々と夏が近付いているのだと実感させられる。今はまだこの時間帯は涼しいけど、その内じっとしてるだけでも汗だくになる時期が来てしまうのだろう。汗っかきには辛い季節である。
 買った図録を取り出し、パラパラと中身を見てみる。さすが厚みがあるだけあって、展示物の写真以外にも沢山の解説が収録され、読み応えは充分ありそうだ。暇で死にそうな時にちゃんと読もう。
 それにしても武藤くんが中々来ない。携帯で時間を確認すると、閉館してから既に30分程経過している。返してもらうだけにしては時間が掛かりすぎている様な気がする。先程バスが一本過ぎて行ってしまった。お腹も空いた。これなら武藤くんに付き合わずに図録買ってとっとと帰れば良かったと、武藤くんには失礼なのを承知で考えてしまう。
 はあと溜め息をつくと、苗字さーんという声とパタパタと走る足音が聞こえてきた。振り向くと、関係者用出入り口の方から武藤くんが来るのが見えた。首にはあのパズルが掛けられている。

「待たせてごめん〜!」
「あ、お疲れ。なんか遅かったね」
「うん。さっきのエジプト人に会ってさー」
「エジプト人?」
「ほら、ミイラの前で泣いてた人」

 ああ、あの文学的で流暢な日本語を話してた外国人。武藤くん曰く、その外国人はシャーディーさんという名前らしい。名前を知るまで仲良くなれたとは武藤くんはコミュ力高すぎる。1割でいいからその力分けて欲しい。閉館時間過ぎても館内に居たという事は、彼もこの展覧会の関係者だったのだろうか。それなら武藤くんのエジプト人という予想も納得がいく。
 美術館近くのバス停に向かう。美術館の出入り口からたった1、2分程度の道中だが、武藤くんが浮かない顔をしているように見えた。伊達に一時期彼をしつこく観察していたわけでは無い。パズルが返されて御機嫌になると思っていたのでこの反応は何だか気になる。併設されたベンチに腰を下ろすと、武藤くんが小さく口を開いた。

「……あのさ、苗字さん……」
「なに?」
「さっき僕にこのパズルはただのパズルなのかって訊いてきたよね」
「うん。なんで?」

 ドキリ。心臓が小さく跳ねた。この質問に深く突っ込まれてしまったら私はどう答えるべきなのだろう。変わった形だし、不思議な力が宿ってそうだよね。そう言えば誤摩化せるだろうか。口が裂けてもあの人格のことについて話すわけにはいかない。

「シャーディーに言われたんだ。もう一つの自分を見つけて、このパズルの真の力を解かなくちゃいけないって」
「……え、なに、それ、どういう、え?」

 あの外国人が絡んでくる事は全く予想だにしていない事だった。吉村教授も分からなかったこのパズルの事を、あのシャーディーさんという人は知っている? その上、武藤くんのもう一つの人格の事まで? 突如としてぶち込まれた情報に狼狽を隠すことが出来なかった。
 これなら武藤くんについて行くべきだったと後悔した。エジプト人がどこまで知っているのかはわからないが、少なくとも武藤くんのもう一つの人格を知っているのならば、私の知らないこのパズルの何かを知っている筈だ。

「苗字さんは、このパズルの事、何か知ってるの?」
「……わた、しは」

 言うべきなのだろうか。今ならもう一つの人格の事を話しても武藤くんは疑わずに耳を傾けてくれるかも知れない。
 だがしかし、だ。今までにもう一つの人格が行ってきた事を、何も知らない武藤くんに話して良いとは思えない。彼の性格を考えると、自分自身がしていないと分かっていても自責の念を感じないとは断言出来ないだろう。不必要にそんな事をさせる理由を私は持っていない。

「…………私、は、何も知らない、かな」
「そっか」
「ごめんね」
「え、いや謝る必要は無いよ。気にしないで」

 これならもう一つの人格の方に話しても良いのか確認取るくらいはしておけば良かった。知らない振りをした事に後ろめたさを感じるが、気にしないようにした。
 長い沈黙が続く。これ以上武藤くんに何を言えば良いのか分からなかった。武藤くんも私と同じ考えなのかはわからないが、ジッと首に掛けたパズルを眺めたまま黙っていた。
 シャーディーと名乗ったそのエジプト人は、このパズルについて何処までを知っているのだろう。武藤くんのもう一つの人格についてもだ。それがパズルと関係しているという事はわかっていたが、一体何処まで関係しているというのだろう。そもそもこのパズルは一体何なんだ。
 武藤くんは何者なんだ。

「……その、シャーディーさんって人、そのパズルの事知ってたのかな」
「さあ……」
「他には何か言ってた?」
「後は……もう1人裁かなきゃいけない人がいるって……」
「何それ怖い」

 つくづく不思議な言葉を残していく外国人である。得体の知れない存在なだけに、裁くという言葉にも妙に真実味を感じてしまう。背筋にぞわりと悪寒が走った。

「……あ〜もう難しい事考えるの終わり! それより次のテストまでに皆でハンバーガー食べながら勉強会しよーぜ!」
「それ勉強する気無いでしょ」

 考える事を放棄した武藤くんがくだらない話を始める。その後はバスが来るまでテストの話だったり今武藤くんがハマっているというゲームの話だったりをした。特に武藤くんがハマっているらしいゲーム(タイトルは忘れてしまったが、RPG系のテレビゲームらしい)については相当熱が入っているらしく、武藤くん家の最寄りのバス停に着くまでずっと武藤くんの独壇場状態だった。武藤くんの話に頷きつつも、内心ゲームはあまりやらないからなあと聞き流していたらバスから降りる頃には武藤くんが話していた内容のほとんどを忘れてしまった。ごめんね武藤くん。

「あら、ねえねえ童実野美術館だって」
「何が?」
「ほらニュース」

 久々の家族団欒での夕食中、テレビを見ていた母が驚きの声をあげた。促されるままにテレビを見る。速報として流されたその内容に私は思わず口に含んだ牛乳を噴き出しそうになってしまった。

「うわマジで」
「展覧会始まった矢先に大変ねえ」

 美術館の館長が死体で発見された。たった数時間前まで実際に動いているのを見て、会話まで交わした人が死んでしまった。今まで親戚の葬式にすら縁が無かった私にとってそれは衝撃的だった。
 ニュースによれば、死体は館内のオフィスで発見され、死因はショックによる心臓破裂らしい。しかし、通常では有り得ない死に方らしく、今後も警察が原因の調査を行っていくとテレビの向こうにいるアナウンサーが話している。番組に出演しているコメンテーターは発掘展の話題を出して、ファラオの呪いが云々なんて話している。

「不思議な事もあるのねえ」
「昔確かツタンカーメンの墓が発掘されたときも似たような話が出てきてたな。本当にエジプトの呪いだったりしてな」
「の、呪いなんてそんな非科学的なハハハ」
「朝の占い欠かさずチェックしてる癖に何を言ってるんだか」

 そんな事を言いながらも、私の脳内には武藤くんから聞かされたシャーディーさんの「もう1人を裁く」という言葉が反響していた。もう1人、ということは武藤くんと会った時に既に1人裁いていたという事になる。まさかそれが館長さんの事なのだろうかなんて考えずにはいられなかったが、心臓破裂を人為的に引き起こす事が出来るのか私には分からない為、確信はなかった。
 ご飯を食べ終わった頃、私の携帯が振動した。普段両親以外から掛かってくる事の無い着信に訝しみながら画面を見ると、真崎さんの名前が表示されていた。友達から電話が掛かってくるという(私にとっては)一大イベントに少し緊張しながら通話ボタンを押した。

「も、もしもし?」
「名前ちゃんニュース見た? 館長さんのやつ」
「うん」
「私達今から吉森教授の所に行こうと思うんだけど、名前ちゃんもどう?」
「あ、うーんどうしよ。行こうかな」
「わかった。じゃあ童実野公園の噴水の所で待ってて」
「うん」



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