かぜっぴき


「学校には連絡入れておいたからね」
「うん」
「それじゃ母さん仕事行くけど、何かあったら電話かメールしなさいよ」
「うん。いってらっしゃい」

 玄関の戸が閉まる音を確認して、長く細い溜め息を吐いた。最近妙に眠くて身体が怠かったのは疲れがたまっていたらしい。それに加えてあれだけ雨に晒されていたのだから私の身体はすっかり参ってしまったようだ。朝、目が覚めたと同時に尋常じゃない頭痛に襲われ、熱を測ってみれば39度オーバー。こんな高熱を出すのは何年ぶりだろう。こんな状態になりながら不良にぼろぼろにされた制服を何とかした昨日の自分を褒めたい。ちなみに制服は昨日の内にクリーニングに出してきた。両親には昨日雨が降った時に車がはねた泥水で汚してしまったと言った。たぶん納得してもらえた、はず。ちょっと自信が無い。
 仰向けていた身体をゴロンと右に寝返る。親戚のお姉さんが一人暮らしの時に熱を出すと寂しいなんて言っていたのを思い出した。両親とも仕事に行ってしまって家に1人の状態の私は、正に彼女が言っていた事はこういう事かーと二度目の溜め息を吐いた。人は弱ると人恋しくなるなんて話を信じていたわけではないが、強ち間違いではなかったらしい。
 枕元に置いていた携帯を開くと1限の真っ最中な時間だった。誰かにメールでも送ってみようかと思いながら携帯の連絡帳を開けば、両親以外には本田くんの電話番号と真崎さんのアドレスだけの寂しい画面が映った。こざっぱりとした携帯の連絡帳を見て私自身の寂しさも助長された気がする。駄目だ熱を出すと考え方がネガティブになる。こういうときは寝るに限ると携帯を閉じて毛布を被った。

 耳元で鳴る携帯の振動音で目が覚めた。すぐに音は止んだのでメールらしい。寝起きで開ききらない両目で携帯の画面を見るとメールが2通届いていた。母親と真崎さんからだった。母からは調子はどうだという私の体調を気遣うものだった。そういえば朝よりも頭痛は和らいだ気がする。熱、下がったのかな。体温計を取りにベッドから降りたら自分の身体が鉛になったのではと言う感覚に陥った。これじゃ熱下がってないのかもなあと思いながらタンスの上にあるペン立ての中にボールペンやハサミ等と一緒に突っ込まれている体温計を手に取る。再びベッドに戻り、ゴロリと寝転がりながら右脇に体温計を挟んだ。
 時間を確認すると12時半だった。なんだ、結構寝たつもりだったが3時間しか寝てなかったのか。あれだけ学校行く度に帰りたいとかニートになりたいとか思ってた癖に、いざ学校を休むと今昼休みだなとか今日の授業何やったんだとかそんな事ばかり考えてしまっていた。学生の仕事は勉強だと言うなら、これも一種の職業病なのかも知れない。
 そういえば真崎さんからもメールをもらってたんだった。メールを開くと、母同様に体調は大丈夫かと言う内容が書かれていた。わざわざ心配のメールをくれるという、私なら絶対しないであろう気遣いに感動した。真崎さん本当いい人だなあ何で私と友達してくれてるんだろう。
 体温計の音が鳴ったので脇から取り出した。うわあ全然変わってない。仕方ないので母には熱下がんないと返信した。
 真崎さんにも返信を打った。ついでに明日ノートを写させて欲しいという旨も伝えた。今日は実技系の教科が全然無かった気がするからノート写すの面倒臭いだろうなあと思ったが、数ヶ月前の私ならそもそもノートを写させてくれる相手すらいなかったのだから真崎さんという存在に感謝せねばならない。
 メールを送ってからほんの2、3分で返信が来た。授業大丈夫かと思ったけどそういえば今の時間は昼休みか。どれどれ。

「はあ!?」

 メールの文面を見て私は思わず飛び起きた。同時に頭にぐわんぐわんとした痛みが走ったので再びベッドに寝転がる。私が別のメールを開いてしまっただけなのかと思い、痛む頭を手で押さえながらもう一度送信者の名前と受信時間を確認しながら再びメールの文面を見た。

『ノートわかった。放課後お見舞い行こうと思ってるんだけど良い?』

 真崎さん私んちわかるのかな、じゃなくて、何でわざわざ。大病患って入院とかならまだわかるが、今の私はただの発熱だ。そりゃ両親とも仕事に出ていて高熱にうなされながら1人でいると言うのは寂しい。めちゃくちゃ寂しい。この上なく寂しい。でも見舞いは大袈裟だ。私なんぞの為に真崎さんの貴重な青春の時間を使ってしまうのは非常に勿体ない。私の所へ来る為のその時間は読書や勉強や友達と遊ぶ時間に使うべきである。

『ノートありがとうございます。ただの発熱に大袈裟すぎるよ』

 遠回しに断りの言葉を入れた。またすぐに返信が来た。今度は先程みたいに病体に鞭打つような事はしないようにしようと心を固めてからメールを開く。

『遊戯から聞いたんだけど名前ちゃんちって共働きな上に帰ってくるの遅いんでしょ? 寂しいだろうから少しの間話し相手になってあげる』

 バレテーラ! というか武藤くん私の家庭事情覚えていたのか。私の知らないところで私のことを話されていたという事実に何だかむず痒さを感じる。嬉しいような気もするし私なんぞの事を話題に出すならもっと有意義な話で華を咲かせて欲しい気もする。何か今日の私妙に卑下するな。熱が出てる所為だなガハハ。

『でも部屋汚いし』

 実際私の部屋は汚い。俗にいう片付けられない女である。汚ギャルとも言う。ギャルじゃないけど。両親は諦めてあまり口うるさく言わなくなったが、家族以外の人が入ってきたらドン引きされる自覚はある、くらいには汚い。本当に汚い。何だか自分で言って悲しくなってきたのでこれ以上は言わないでおく。
 そんな部屋に真崎さんをあげるのは恥ずかしい事この上ない。ドン引きする真崎さんの顔が容易に浮かぶ。友達辞められる可能性も否めない。熱が出ただけでも充分辛いのにそんな仕打ちされたら私は死ぬしかない。
 いくらか時間を置いて、再び携帯が振動した。真崎さんが諦めてくれれば良いなーと淡い希望を抱きながら携帯を開いた。

『遊戯に病気のとき押し掛けるのは迷惑じゃないのかって止められちゃった。あと別に名前ちゃんの部屋が汚くても玄関までで充分だったよ』

 私は携帯を閉じながら武藤くんにそれはそれはとても深い感謝の気持ちを念じた。届く訳がないのは分かっているが念じずにはいられなかった。これで真崎さんに友達の縁を切られる危険性は無くなった。でも来ないと決まった途端にちょっと寂しい気もした。めんどくせえ女だな私。男が出来たとしても男に逃げられるタイプだ。そんな機会が来る予定も無いけどなガハハ。
 あ、寝転がっていたら眠くなってきた、かも。母からメールが来てるっぽいけど駄目だ。眠い。起きたら返すよかーちゃん。



 テレビの音が聞こえてきて目が覚めた。あれ、私テレビ消してたはず。訝しみながら目をこらせば部屋の中が暗い。時計を確認すると20時近くになっていた。
 怠い身体を起こしてリビングに向かうと、母が帰ってきていた。普段よりも随分早い時間だ。早いね、と言うと、熱は大丈夫かと訊かれた。娘の言葉はスルーか母よ。

「頭痛はもうしないし、たぶん下がってると思う」
「そう。顔色もよさそうね。一応熱計ってみて」
「うん」

 仕事はどうしたのかと尋ねると、母は元々今日は早上がりだと言った。メールしたじゃないという母の言葉で、そういえば母からのメールを確認する前に寝てしまったのだと思い出した。部屋に戻り、携帯を開けば確かに母からのメールには今日は早上がりだと書かれていた。もっと早く気付いていればプリンの一つでも買ってきてもらったのに。ちぇ。
 再びリビングに戻り、体温計を脇に挟んだ。そういえば頭痛はもうしない。身体の怠さも随分軽くなった気がする。平熱に戻ってると良いな。

「そういえば玄関に、あんたの友達から? なんか置いてあったけど」
「え?」

 母は玄関に行くと、コンビニ袋を片手に戻ってきた。渡された袋の中にはお菓子とポカリが入っている。それと、一枚のメモ用紙が入っていた。

『寝てたら悪いし、これだけ置いてくね。明日は学校来なさいよ。 杏子』

 思わず、真崎さん……と呟きが漏れてしまった。まさか本当に来てくれるとは思わなかったし何で私の家知ってるのか謎だしお菓子はこの間ちょっと値段高めでなかなか買えないんだよねなんて話をしていたチョコだし、ただの友達にここまでしてくれる彼女は何なんだ。そもそも何で彼女は私と友達してくれているんだ。感謝を通り越して罪悪感すら芽生えてくる。いやでも素直に嬉しい。手放しで喜んでる。わーい。彼女だけは何があっても裏切らないようにしよう。フォーエバー真崎さん。イエス、フォーリンラブ。

「友達来たの?」
「いや、寝てて知らなかった……」
「あら、ちゃんと明日お礼言いなさいよ」
「うん」

 体温計の音が鳴ったので数値を確認すると、まだほんの少し微熱はあったものの、ほとんど平熱に近い数値まで下がっていた。寝てたお陰かな。完治とは言い難いが、この調子なら明日の朝には学校に行けるだけの元気は出ているかも知れない。
 真崎さんにお礼言わなきゃとメール画面を開いたが、ちょっと待てと思いとどまる。メールよりも直接お礼言った方が良いだろうな。緊張して噛まないように今から練習しておこう。

 翌日、無事熱も下がり学校に行けるだけの元気も戻ったので学校で真崎さんにお菓子とポカリのお礼を言ったら同じマンションに住んでる別の友達に用があったついでだったと言われて私は知らないままでいたかったと心の底から思った。








やまもおちもいみもない
2014.6.6