02


 朝、学校への足取りがいつもより重い。
 昨日家路に着く時点ではまあ大丈夫っしょなんて能天気な事を考えてはいたものの家でよくよく考えてみると、事実なら事実で全く無関係な私が無関係な風紀委員に教えるというのは余計なお世話だっただろうし誤解なら誤解で余計なお世話だった気がしてきた。気がしたと言うよりは絶対にそうに違いないという確信に近い。余計な告げ口をしてしまったという後悔と武藤くんへの罪悪感で寝心地が悪く、お陰で瞼も重い。歩きながら両目をこすって眠気を誤摩化す。
 校門をくぐり校舎へ歩みを進める。玄関前では風紀委員が数人並んで挨拶をしている。昨日の風紀委員の人が居たらどうしようかと思ったが、その中に居ないことを確認して胸を撫で下ろす。居たところでどうと言うわけでもないとも思えるが、あの威圧的な雰囲気が無性に怖かった。
 玄関で靴を履き替え、階段を上り、教室に入る。始業前の騒がしい教室の中、いつも通り窓際にある自分の席へまっすぐ向かう。席に着いて鞄を下ろしながらちらりと武藤くんの席を見る。机には彼の鞄は無いのでまだ学校には来てはいないらしい。あの風紀委員は昨日校門前で彼に何を話していたのだろう。話し声こそ聞こえなかったが、恐らく私が風紀委員に話した内容について何かしら話していたのだろうという事は想像に難くない。私の名前は出したのだろうか。どこまで話したのだろうか。そもそも私が風紀委員に話した内容は正しいものだったのだろうか。我ながら実に保身的な事ばかりを考えてしまうものだと自分の考えに対して嫌気を感じていると、始業のチャイムが校内に響く。その音とほぼ同時に教室内に駆け込んだ数人の中に武藤くんの姿があった。

 昼休み。今日も相変わらずクラスの人達の大半は教室を飛び出して遊びに耽っている。私もいつもと変わらずやる事も無く教室の窓から外を眺め、どうやって時間を潰そうかとぼんやり考える。春の心地良い日差しとお昼を食べた直後であるという事が相俟って、じっとしていると瞼の重みが増してくる。こういうのを微睡むって言うんだろうなと考えながら頬をつねって意識を覚醒させようと試みるが、自分でやっても無意識に力加減してしまうようで瞼の重さに変化は無かった。
 ふと、窓から教室内へ視線を移す。私の席から向かって右斜め前に武藤くんが座っている。今日も彼は1人で机の上で何かおもちゃのようなものを置いて遊んでいる。今まで彼の事を気にかけることなんて無かったが、ひょっとして普段からああやってパーティー向けのおもちゃを1人で遊んでいるのだろうか。人の事をとやかく言える立場ではないが他のクラスメイトのようにもっと汗と涙で青春を輝かせる事をしたら良いのにと思う。
 昨日の事があったので午前の間も何度か彼の様子を伺っていたが、私のことを気にするどころか目を合わせる事も無かった。この様子だと恐らくあの風紀委員は私のことは話していなかったのだろう、と思いたい。まだ確証を得たわけでは無いので胸中を巡る不安は拭いきれない。
 小さく欠伸をすると、それとほぼ同じタイミングで武藤くんも大きな欠伸をした。午前中も眠そうだったから、もしかしたら私と同様彼も寝不足なのかも知れない。

「遊戯くん! ちょっといいかな…」

 あ。思わず声を上げそうになるのを咄嗟に飲み込む。昨日の風紀委員だ。武藤くんを呼び出して、2人で教室の外へ出て行った。大まかな内容に関しては察しがつくが、昨日の今日で何を話すと言うのだろう。考えても見当がつかない、と言うよりはこれ以上この事に関して首を突っ込みたくはなかったので考えないことにした。思考停止。

「お、苗字ー、お前で良いや、ちょっと手伝ってくれ。」

 武藤くん達が出て行くと同時に入れ替わるように担任が顔を出す。教室に置きっ放しにしていた自分の授業の資料を準備室に持ってきて欲しいらしい。黒板の下に置かれている箱を指差す。特に断る理由もなかった私は少し重たいその資料を抱えて教室を出た。
 担任の資料は箱にまとめられている。プリントや本やその他色々入った大きな箱を抱えて廊下を歩く。その肩幅と同じくらいの幅の箱には取っ手が無いので、思いの外運びにくい。苦戦しながらも近道をしようと思い、廊下の突き当たりにある非常口から外に出た。ここから校舎裏をまわって行く方が校舎内を歩いて行くよりも準備室までずっと近い。上履きのまま外に出てしまっているので、出来るだけ綺麗なコンクリートを歩くように注意を払う。校舎の角が近付いてきたのでそこを曲がろうとしたときだった。ただの会話にしては騒がしい男子の声が聞こえる。

 ドガッ

 何かがぶつかるような音に、反射的に私の足が止まる。やめろと叫んでる声も聞こえてきた。ふざけて遊んでいるにしては妙に切羽詰まっているように感じる。あまり風紀の良くない学校だとは思っていたがまさか暴力沙汰まで起きているのか。勘弁してくれ。
 しかし、人間の悲しき性かな、何が起きているのか気になる。とても気になる。ここをそのまま通り抜けることが出来るのか確認したいだけで別に野次馬根性が働いたわけでは無い。断じて無い。抱えていた箱をそっと地面に置き、気付かれないことを祈りながら曲がるはずだった角の先を覗く。
 壁の向こうには武藤くんがいた。武藤くんの視線の先には風紀委員が立っている。そして武藤くんの後ろには昨日の不良達が顔中傷だらけで壁にもたれ掛かるように倒れている。これは一体どういう状況なのだろうか。風紀委員が何か話しているようだが、上手く聞き取れない。

「友達にそんな事できるわけないだろ!!」

 武藤くんが叫ぶ。どうやら何かを強要されたのを拒否したらしい。昨日もそうだったが武藤くんは大人しい性格をしていそうな割には自分の意見をしっかり言えるようだ。私の場合、笑って誤摩化して自分の意見すらまともに言えないので少し羨ましく感じる。
 それよりも、武藤くんの言っていた友達とはまさか壁にもたれ掛かるように倒れているその不良達の事を言っているのだろうか。あの不良達は武藤くんの友達だったのか。そう思った瞬間に、昨日私がしてしまった行いがフラッシュバックする。もし本当に彼らが武藤くんの友人であったのならば、昨日の私の行いは本当に余計な事だったのだ。目の前の状況がどのようにして起きてしまったのかは分からないが、恐らくは昨日私が余計な告げ口をしなければこんな事にはならなかったはずだ。後悔と罪悪感と焦りが体中を駆け巡る。額に汗が滲む。暖かさの所為ではない。
 思わず彼らから隠れるように壁に寄りかかる。その間にも風紀委員と武藤くんの間で何かやり取りが行われているようだが耳に入ってこない。どうしよう。私の軽率な行いが武藤くんの友人に危害を加えてしまった。私の所為だ。せめてこの場に先生を呼んでくるくらいはした方が良いかも知れない。今なら来た道を戻って誰か大人を呼ぶことが出来る。呼ぶのなら気付かれる前に早く行かなきゃ。深呼吸をして冷静さを取り戻そうと試みる。大丈夫。行ける。足音に注意しながら一歩踏み出そうとした。



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