07


「予約していた苗字です。えっと、フリータイムで…」

 久々にカラオケに来た。勿論……と言うと少し虚しさを感じるが、1人である。
 歌う事は人並みに好きなのだが、如何せんあまり上手ではない。音痴と言う程音を外すわけでは無いのだが、誰かに聴かれている状態で歌うと状況が苦手なのだ。友達と一緒にカラオケ、というのも憧れは感じるが、恐らくは叶わぬ夢だろう。
 カウンターで受付を済ませ、ドリンクバーでコーラを入れる。渡された部屋番号の方へ歩き出したとき、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

「あ」

 武藤くんだ。彼もカラオケに行くタイプの人間だったのか。ちょっと意外だ。城之内くん達と来ているのだろうか。話しかけようか迷ったが、1人でカラオケに来ている事が知られるのが少し恥ずかしかったのでやめた。
 部屋に入って、コーラを一口飲んだ。何から歌おうかと設置された機械をいじり始めた。

 好きな曲を歌いながらドリンクを飲んでいたらトイレに行きたくなってきた。リモコンの一時停止を押し、部屋を出る。トイレの近くの部屋から結構な音が聞こえてきた。
 ここのカラオケ店は値段が安めなのもあって少し防音が甘い。きちんとドアを閉めていても部屋の前を通るとそこの中の声や音が聞こえてくる。部屋に入ってしまえばわからないので気にする程の事ではないが。
 それにしても、この部屋は音漏れが酷かった。最早騒音と言うレベルではないのかとすら思う。こんなに騒ぐのはどこの馬鹿だと思いながらチラリと中を覗いたら、苦しそうに顔をしかめる武藤くんが居た。その前方には時代錯誤な風貌の大柄な男が居る。どこかで見たことがある様な気がするが思い出せない。この騒音の元は時代錯誤な風貌をした彼の声らしい。さながら某猫型ロボットアニメのガキ大将だ。
 城之内くん達とここに来ていたわけでは無いのか。彼の交友関係もなかなか謎だな。

 トイレで用を済まし、またあの騒音のする部屋の前を通ろうとした。ところが先程とは打って変わって全く音が聞こえない。それどころか、ドアのガラスからは中の様子が分からない程真っ暗だった。早々に彼らは部屋を出てしまったのだろうか。
 だとしても、いくらなんでも真っ暗すぎる。闇という表現が的確だと思う程だ。人はおろか、部屋の内装も全く見えない。ガラスに黒い画用紙を貼付けたと言われれば納得してしまうだろう。すごく不気味である。
 気にしても仕方が無いかと、自分の部屋に戻ろうとしたら覗いていたドアが開いた。やばい。咄嗟に身体を逸らし、何も知らない様に歩き出そうとした。真っ暗闇だったはずの部屋から断末魔の叫びの様な声が聞こえてきた事が、更に恐怖心をかき立てた。

「名前?」

 聞き覚えのある声で呼び止められた。恐る恐る振り返ると、この間ライブの券を売ろうとしていた男の子(名前を忘れてしまった)を肩で支えている武藤くんがこちらを見ている。

「あ、き、奇遇だね」

 挨拶をして誤摩化そうとするが、状況が飲み込めない。部屋が暗いのは退室したからではなかったのか。あの叫び声は何だったのか。そもそもその男の子は何故ここにいるのだ。どうしてボロボロになっているのだ。
 ふとバッグの中にハンカチが入っていた事を思い出した。ちょっと待っててと武藤くんを呼び止め、トイレに入る。手洗い場でハンカチを濡らし、部屋の前で待っている武藤くんに駆け寄った。

「だ、大丈夫?」

 ハンカチを男の子の腫れた顔に当てる。意識はあるらしく、ううと小さく声が聞こえた。

「…む、武藤くん……いつもの武藤くん、じゃない方だよね?」
「………」

 武藤くんからの反応は無い。だが、彼の顔はいつもの優しそうな顔とは違う。恐らく雰囲気が変わった方の武藤くんで間違いない。
 彼は部屋の中で何をしていたのだろう。あの叫び声から察するにただ事ではないはず。声の主はあの時代錯誤な男なのか。武藤くんが何かをしたのだろうか。考えれば考える程わからなくなる。
 牛尾とZTV局のプロデューサーを思い出した。彼らもこの武藤くんが出てきた後に気が違った様になっていた。直接何かをしたとは思いたくないが、関係がないとも思えない。

「………中で、な、何してたの?」

 恐る恐る聞いてみる。武藤くんは難しそうな顔をしている。訊いてはいけない事だったのだろうか。だが、彼に会うのも3度目である。会う度に何かおかしな出来事に遭遇したり聞いたりしている。知らないままでは余りにもオカルトじみていて不気味だ。

「……叫び声、聞こえたんだけど、武藤くんがやったの?」

 変わらず反応は返ってこない。言いたくないのだろうか。知られると不都合な事なのかも知れない。

「……言いたくないならいいけど」

 言いながらハンカチを鞄に仕舞う。男の子の顔は相変わらず酷い事になって入るが、冷やしたお陰かほんの少しだけ腫れが引いた気がする。ずれている眼鏡を掛け直してあげた。
 何となく、確証は無いが、恐らく中の叫び声は武藤くんが何かをしたのだろう。現に、あの部屋に居たのは武藤くんとあの男と、たぶんこの眼鏡の男の子だけなのだろうし。
恐らく牛尾とディレクターに対しても、彼が何かをしたのかも知れない。普段の武藤くんはこの武藤くんの事を知らない様だった。だとしたら、その2人の事も普段の武藤くんが知らないのは頷けた。

「…それじゃな」
「あ、うん……」

 眼鏡の男の子を引きずる様につれていく武藤くんを見送った。
 そのまま自分の部屋に戻り、リモコンで一時停止を解除する。スピーカーから快調な音楽が流れ出す。先程の事は気にしない様にしようとマイクを持つが、音が頭に入ってこない。
 少し考え、私は部屋を出た。やはり彼について知りたかった。彼の事が気になる、と言うよりは、今までの出来事との関係を知って安心したかった。関係があるかも知れない、と言うだけでは彼の存在は私にとってあまりに不気味だった。



← |