ぬるい両腕





 なまえが客間のソファで寝ていた。普段は部屋に籠っている癖に、稀にこうして館の何処かに居ることがある。そしてそれをわたしが見つけると、ほぼ確実にこいつは寝ている。たまたまというよりはなまえが寝過ぎなだけに思える。
 なまえの顔を覗き込み、軽く肩を揺すったがなまえが起きる様子は無い。もう一度、今度は強めに揺すってみた。なまえの瞼がピクリと小さく動いた。

「……おはようございます」
「もう日は沈んだ。早くこの部屋から出ろ。ベッドの方が寝心地が良いだろう」
「んー……母さんあと10分……」

 誰が母さんだ。
 どうやら寝惚けているらしい。間もなくして、なまえは再び夢の中に落ちていった。もう一度揺するが、反応はない。以前からそうだったが、こいつは眠りが深すぎる。
 このまま放っておいても良いのだが(というより、普段はそうしているのだが)今日は客間を使う用事がある。このままソファを占領されているわけにはいかなかった。
 仕方がない。





 目を覚ました私は仰天した。戦慄とか、衝撃とか、他にも色々当てはまりそうな言葉はあるが、言葉のニュアンスや今の私の気持ちを加味した上で、仰天、という言葉を使わせてもらう。
 寝起きでぼうっとする脳味噌を焚き付け、記憶を一生懸命遡る。確か、私は客間で転寝をしていた。窓から差し込む西日が心地良かった所為だ。そこから先の記憶は一切無い。
 まさか、と慌てて毛布を捲って自分の格好を確認した。服は着ていた。予想出来る中でも最悪なことは起こってはいないと分かり、でかでかと安堵の溜め息を吐き出した。こいつを相手に初めてを喪失なんて冗談でも死にたいし死ぬしかない。いや、顔は良いし良い身体してるし上手そうだけど、そういうことじゃ無くて、そういうことじゃ無いんだ。

「……えーっと」

 暫し迷った後、私は隣で眠るその逞しい身体に手を伸ばした。軽い力だとびくともしないので、そこそこに強い力で何度か押してその肩を揺らした。

「DIOさんDIOさん」

 私の呼びかけに応えるように、DIOは瞼を開いた。
 真っ赤な瞳と視線が交じり、思わず体が強張った。黙ってればイケメンなのにな。見た目だけは申し分無いのに性格と思想と行いがもう駄目。つまりは見た目以外の全てが駄目。

「ここまで運んでやったというのに礼の一つも言わないつもりか?」
「あー……えっと、おはようございます。お手数かけてすいません」
「運んだのはわたしではないがな」

 違うんかい。
 じゃあ誰が、と尋ねたらヴァニラ・アイスという返事だった。この館に常駐している人で人間一人を抱えて歩けそうなのはDIOとヴァニラ・アイスくらいなので予想は出来た。
 というか、今訊きたいのはそこじゃない。そこも気になったけど、尋ねるべき事柄の優先順位では上位に来ない。

「何でDIOさんも寝てるんですか」
「特に意味は無い。客間で用事を済ませたのだがな、少し疲れたから休んだだけだ」
「吸血鬼って疲れるんですね」
「極端に力と寿命が違う以外は人間と大して変わらん。疲れを感じることもある」
「普通の人間の男性は女の子が寝てるベッドに入りませんけどね」
「自分が女だという自覚はあったのだな」

 馬鹿にしてるのか。日頃からしてたわ。
 寝起きの怠い身体でDIOとする会話はなかなかに疲れる。早く部屋から出て行って欲しい。

「いつまで寝てるんですか」
「さあな」
「ここのベッドよりもDIOさんの部屋のやつの方が大きいし寝心地良いでしょう」
「口うるさい女だ」
「ここ口うるさい女の部屋。DIOさんの部屋違う」

 私がベッドから出ようと身体を起こしかけたとき、DIOが腕を掴んで引き止めた。大きな手はあまり温かくない。

「いつぞやのように一緒に寝てはくれないのだな」
「あ、あれは、その」

 いつぐらい前だったか、ヴァニラ・アイスにDIOの部屋へ放り込まれた日を思い出した。あのときのアレは事故みたいなもので、あんなことがそう何度も起こってしまったら困る。困るんだけれど。
 DIOは私の腕を引っ張ってベッドの中へと引き戻した。私も全身全霊の力を込めて抵抗したけれど、ジョナサンが生前に培った立派な筋肉に勝てる筈も無く、己の無力さを呪っている内に羽毛の詰まった毛布の中へと引きずり込まれていた。

「貴様のような貧弱な身体、抱く気にはならん。安心しろ」
「ひんじゃっ……いや、そ、そういうことじゃなくて」

 先程と同じくらいの距離で目が合った。視線だけで他人を殺せそうな目だ。身体が強張って心拍数が急上昇しているのは命の危険を感じているからだと思う。

「ちょ、っと、せ、背中、何して」
「触っているだけだ。血は吸わん。腹も空いてないしな」
「そういうことじゃなくて!」

 素肌に直接DIOの手が這っている。ニキビが結構あるのに、という悠長な考えがまず浮かんできた自分が阿呆らしくて悲しくなった。下着に何度かDIOの指が引っかかって、その度にぞわぞわとした、寒気とは違う変な感覚が背中を下から上へと走っていった。何だか、奇妙な気分だ。
 色々な意味で心臓に悪いと思った私は、せめて首から上だけでも距離を取ろうと、私とDIOの身体の隙間で硬直していた腕でDIOの胸を押し返そうとした。手のひらにぐっと力を入れたとき、私の思惑を察したのか、DIOは私の目と鼻の先へと自分の顔を近付けてきた。反射的に私の口からはヒッと悲鳴が漏れた。

「死にたくなかったら動くんじゃあない」
「しょ、職権濫用……」
「吸血鬼は職業じゃあないだろう」

 マジレスサンキュー。
 DIOは私の頭を自分の顎下に押し付けて、そのまま私の後ろ髪を片手で弄り始めた。美容師が客に対して触るように穏やかな力加減で髪を梳いてくる。DIOに似つかわしくない優しい振動が心地良いと思ってしまった。
 本当は殺す気なんて無いんだろうけど、そんな口ぶりだったけれど、憶病な私はもしもの可能性に怯えて動けない。たぶん、ちゃんと拒否をすれば抜け出せるようにも思うけれど、DIOのことを買い被っているだけの気もする。自分の中にある疑心の矛先がDIOに対してなのか自分の判断に対してなのかが分からなくなってきた。前者だと言い張りたいけれどそう言い切れないあたり、実は後者なのだろうか。少し前とは随分違うことで悩むようになってしまったものだ、とDIOの体温を感じながら思った。

「……人肌でも恋しくなったんですか」
「…………別に、単なる気まぐれだ。貴様の反応も揶揄い甲斐があるしな。クク」
「……そうですか」

 DIOが何を考えて私にこうするのかは知らない。本当に面白いからから揶揄っているだけかも知れないし、先ほど本人が言っていたように疲れているからかも知れない。深入りしたところでたぶん私に利益は無いのだろう。邪険にされていないだけ儲けものだろうと思った方がきっと幸せだ。
 ふと、私の後頭部にあった手が動きを止めたことに気付いた。背中を抱えていたもう片方の腕も力が緩んでいる。頭上に置かれている顔を確認することは出来ないが、DIOさん、と呼んでも間延びした気怠げな返事しか無かった。

「まさかこのまま寝るつもりですか」
「……さあな。それも良いかも知れない」

 DIOの声が鈍い反応になっている。果たして吸血鬼が寝るのかとか疲れるのかとかの疑問は置いておいて、人間ならこのまま放っておいたら寝てしまいそうな声だった。
 うっかり私を絞め殺さないで下さいよ、と呟くと、私の頭上でDIOの喉がくつくつと鳴った。

「何だ、満更でも無さそうじゃあないか」

 DIOにそう笑われて、先程の自分の言い方がこのままでいることを認めているような口ぶりであることに気が付いた。頬が熱くなるのを感じて、誤魔化すように声を荒げた。

「う、うるさい、ですよ! 寝るんじゃないんですか!」
「フーム……そうだな」

 疲れているだの寝るだの言っていた癖に、何を迷う必要があると言うのだ。
 DIOが思案している間、腕から抜け出そうとするも緩んだ筈の腕はピクリともしなかった。私が屈強な腕に悪戦苦闘していると、頭の上でDIOの笑い声が聞こえた。

「このまま『お前と寝』ても良いかもな」
「え、は、え?」

 DIOの何か含みを込めたような言葉に反応しようとしたら、背中にあった窮屈感が突然解放された。
 これ、ブラジャーの、ホック、外されてる。
 私の顔から血の気が引くよりも前に、DIOの手が先程迄とは全く違う動きを始めた。まるで身体のラインを確かめるように私の背中を滑り、先程迄は一度も触れなかった腰や腹にまで及んでる。嘘でしょ、とDIOの顔を見上げたら、冗談としか思えないことをしているDIOの顔には、馬鹿にするような笑みは無かった。

「えっ、ちょっと、あの」

 DIOの腕を退かそうとしても、私の力ではとても引き剥がすことが出来ない。それどころか煽りになったらしく、DIOの手は少しずつ下へと移動して、遂にはスウェットパンツのゴムに指が引っかかった。ずり下げられて、骨盤を指でなぞられて、いよいよ他人には決して触れさせたことが無い部位にまで侵入が及びそうになっていることに気が付いた。

「や、やだやだ待ってDIOさんダメやだ、あの、本当、お願い、します……」
「……冗談だ。貴様の貧弱な身体じゃあ抱いても抱いた気になれないしな。反応は面白さとしては合格だが……クク……随分と可愛らしい狼狽え方をするんだな……ふふ……ククク……」

 頼むから早く死んでくれ!
 恥ずかしさに全身の温度が顔へと集まった。自分のスタンドがDIOを殺せないことが憎い。
 DIOはそのまま身体を起こすと、ベッドから降りた。結局寝ないのか。いやそっちの寝るじゃなくて、スリープの方の寝るです。
 一瞬だけ名残惜しいような気持ちになって、そう思った自分を頭の中で戒めた。雰囲気に流されやすいのは日本人の悪いところだ。三人寄ればその場の空気って何かの本で読んだ。

「貴様のベッドは実に寝心地が悪いな。同情すら感じるぞ」
「庶民には充分なんで」

 髪を手櫛で整えながら出て行くDIOの背中へ心の中で唾を吐いた。いつ承太郎はこのクソ男を殺してくれるのだろう。早く母親が倒れてくれれば良いのに、と不謹慎なことを考えた自分に気が付いて、そういうことじゃないだろうと頭を振った。

「一緒に寝たければ来ても良いぞ」
「い、行きません! おやすみなさい!」

 我慢出来ずに枕元の文庫本をDIOに向かって投げた。私のコントロール力皆無な弾道は、DIOが防ぐまでもなく戸の横の壁に叩きつけられた。










2017.5.11



りひるとさんより『Damn you !の番外編(もしくはIF話)』というリクエストでした。
ちゃんといわゆる典型的な夢小説っぽい話を書こうと思ったんですが何か違うような気がします。
普段は一人で勝手にストレス溜めてる夢主なのでこういうところでくらい楽な気持ちになってもらおうと思ったんですが結局一人でストレス溜めてました。お前はそういうふうにしか生きれないんや。
リクエストありがとうございました!