桜の木の横で






 桜の木の下には死体が埋まっているらしい。
 幼い頃、私は父のそんな冗談を本気で信じていて、桜を見る度に震え上がっていた。あの綺麗な桃色の下には、おぞましくて目にするのも耐え難いものが埋まっているのだとか、ゾンビ映画宜しく夜な夜なその死体が桜の木の下から這い出てくるのだとか、幼い子供の想像力の侮れなさをこの肌で実感したと思う。今思うと馬鹿馬鹿しいことこの上ないけど。


「アハハ。なにそれ」

 獏良くんがそうやって笑うものだから私は彼の肩を小突いた。自分でも笑いたくなる思い出だが、自分で笑うのと人に笑われるのとでは全然心持ちが違う。
 数年前に童実野町何十周年だか何だかの記念として公園に植えられた桜の木は、今年も綺麗な桜の花を咲かせていた。此処での花見は禁止されているので酒を飲みながら騒ぐ馬鹿な大人も居ない。数人の子供が楽しげに遊ぶのを横目に、私達は桜の木のすぐ横にあるベンチに2人並んで腰を下ろしていた。
 獏良くんはごめんと簡単に謝ると、私の頭をポンポンと撫でた。その行動に私が弱い事を知っているから、私が怒ると獏良くんは必ず私の頭を撫でるのだ。ちくしょーなんて思いつつもその手の平の心地良さに絆されてしまうのでつくづく自分は単純である。

「当時は本当に怖かったの。まあ、その後しばらくしてから、全部の桜の下に死体が埋まってたら日本は死体だらけじゃんって気付いて、そりゃありえねーわって思って平気になったんだけどさ」
「確かに」

 今こうして座ってる下に死体が埋まってたら大変だと、獏良くんはベンチを撫でた。
 私も桜の木の根元を見た。もしこの下に死体が埋まっていたら、きっと今頃その死体は掘り起こされていて、死体の身元が調べられて、警察が犯人を捜すのだろう。ニュースにも取り上げられて、小学生はこの桜は死体の呪いがかかってるなんて事を言いだしそうだ。そんな事ばかりが容易に想像出来てしまうように、私はすっかり世間に染まった考え方を身につけていた。
 桜は満開になってから少し経っていたので、風に揺れる度に花弁がひらひらと私達の頭の上を舞っていく。季節はまだまだ夏にならないけど、桜が咲く期間はもうすぐ終わりそうだ。桜吹雪(と言える程の量の花弁は降ってないけど)を浴びる獏良くんは綺麗だ。思わず見惚れてしまいそうになったところで、獏良くんが何かを思い出したように声をあげた。

「ねえなまえちゃん、その話の元って知ってる?」
「え? 元なんてあるの?」
「あるよ」

 どんな話にも元ネタってのはあるものなんだよと獏良くんは笑う。彼は本をよく読むらしいから、私よりはずっと博識だ。同い年なのに随分と差が出来上がっているんだなあと、時々卑屈な気持ちになってしまうけど、獏良くんは時々こうやってその知識を共有してくれるから、その気持ちはぐぐっと心臓の端っこの方へ押し込んでいる。知識を共有してくれるときの獏良くんの態度には、時々居るようなプライドの高いガリ勉みたいな嫌味を感じないし、彼のそういう所が私はとても好きだ。

「梶井基次郎って知ってる?」
「国語の教科書に載ってた気がする」
「その人がね、『桜の木の下には死体が埋まっている!』って小説の中で言ったんだよ。それが最初って言われてる」
「へえ〜」

 確か、檸檬って話が国語の教科書に載っていたような気がする。授業でやってないからちゃんと読んでないけど。
 そういえば城之内くんがレモン持ちながら爆弾がどうこうとか言って遊んでるのを見たことあるなあ。

「どんな内容なの?」
「えーっと、桜がこれだけ見事に美しく咲くには理由があるはずだ、きっと死体から吸い取っているんだ、みたいな感じだったかなあ」
「すごい発想だね」
「だからこそ小説家になったんじゃないかなあ」

 成る程。私達みたいな普通の人と違う感性だからこそ、そうやって著名な作家になれたのかも知れない。
 獏良くんの言葉は時々、私の中に当然のように鎮座している固まった考えを少しだけ柔らかくしてくれる。学校の勉強はつまらないけれど、獏良くんとこうやって色んな知識を共有して色んな考え方を知るのは楽しい。これが知識欲ってやつなんだろうなあ。

「なんで桜の下に死体があるなんて思ったんだろう」

 その小説はサスペンスなのかと尋ねると、全然そういうものじゃないと獏良くんは答えた。10分もあれば充分読み終わってしまうような、すごく短い短編小説らしい。それくらいなら私でも読めそうだなあなんて思った。

「命の下には夥しい数の死が潜んでるって事なのかもね」
「今あるこの命は沢山の死によって成り立ってるんですよ〜って事?」
「うぅーん、そういう説法じみた事じゃないとは思うけど。それよりももっと純粋な生と死の対比っていうか、美と醜の裏表の関係っていうか」

 獏良くんも考えがまとまっていないらしい。モゴモゴと呟きながら、ああでもないこうでもないと考え込んでしまった。私は物事を深く考える事は得意じゃないから、獏良くんの頭の中にどれ程の情報が駆け巡ってるのかは分からない。こういうところも同い年なのに全然違うなあなんて、心臓の隅に押し込んだ筈の卑屈な気持ちがムクムクと膨らみ始めるから、私は再びそれをぎゅううと潰して固めた。

「じゃあどうして桜? 他にも綺麗な花ならいっぱいあるだろうに」
「うーん。身近にあるものの中で一番綺麗で非現実的だったんじゃないかな」
「ふぅん」

 それは少し分かるような気がする。特に夜の暗闇に佇む桜は、全く関係無い事を考えている時でもハッと何かを気付かされるような、ガツンと殴られた時の衝撃のような、そんな暴力的な美しさを感じる事がある。たかが木に咲いた花だっていうのに、私のようなヘラヘラと余りものを考えないような人間でさえそう感じさせてしまうのだから、きっと何か強い力が桜には宿っているのかも知れない。
 梶井さんは、ひょっとしたら桜のそういう余りにも強すぎる美しさに当てられてそんな事を考えたのかも。そう考えたら、桜の木の下には死体があるんだって言いだしたくなる気持ちが少しだけ、ほんの少しだけ分かるような気がする。

「確かに、桜のあの花の色は死体から血を吸い取ってるからって考えると、なんか背徳的で不気味で、でもロマンチックだね」
「血っていうか、養分だけどね」
「良いじゃんどっちでも」

 桜の美しさは背徳的な美しさだなんて、何だか知ってはいけない事を知ってしまったような気分になる。
 こうして私と獏良くんが話をしているすぐ下や、向こうの河川敷で座り込んで酒を飲みながら騒いでいる若い社会人達の尻の下に、おぞましい死体が埋まっている。きっと桜の木の根がその死体を包み込むように伸びて、その先端から腐乱していく死体の全てを吸い取っているのだ。
 幼い頃あれだけ怖がっていた話の筈なのに、その話に美しさを感じてしまうなんて、私も大人になったなあなんて思った。まだ成人だってしていないけど、怯えていたあの頃に比べたら、高校生はずっと大人だって思う。そう言うと、なんだか余計子供じみているように思えてくるけれど。

「私が死んだら、桜の木の下に埋めてもらおうかなあ。次の年に見た事無いくらいの綺麗な桜の花を咲かせるかも」
「じゃあ、なまえちゃんが死ぬまでに土葬が大丈夫な場所を探さなきゃだ」
「獏良くんって変な所現実的だよね」

 日が暮れてきた。そろそろ帰るべきなのかも知れないけれど、夜空の下に佇む桜が見たくなったので、もう少しだけ此処で会話を続ける事にした。いつの間にか子供の喧噪は消えていた。









2014.11.13