小さな距離



 ちらりとその横顔を見る。綺麗な顔してるなあ、なんて考える。すると、彼は私の視線に気付く。私は慌てて逸らす。何回目なのか分からなくなるくらい繰り返している気がする。
 きっかけは実にあっけなかった。あ、ひょっとしたら、好き、なのかも。そう思ったときには、とっくに好きになっていたのだと思う。でも、この気持ちを告げる度胸なんて無いし、振られたら落ち込む事は火を見るよりも明らかなので、私はただ大事に大事に、小さな宝石箱に入れた宝物のように、この気持ちを抱えているだけにしておく事に決めた。恋は片思いの時期が一番楽しいなんて話もあるくらいだ。これが私の恋愛にとっては一番の策に違いない。情けない事は重々承知しているけれど、傷つく事が怖い私にとっては、これ以上の事は出来るわけが無い。

 カイトさんと私はいわゆる職場の同僚というやつで、いや、同僚なんて言って良い程私と彼は近い立場じゃなく、どちらかと言うと上司と部下という関係の方が妥当だ。だが、同い年という共通点のお陰で、他の人よりは親しい方、だと思っている。そうだと良いなっていう私の願望に近いけど。 

「なまえ」
「んぐ? ん! か、カイトさん」

 お昼休憩で冷凍食品だらけの弁当を食べていると、カイトさんが通りかかった。話しかけられた事に気付いて、慌てて口に入れたご飯を飲み込もうとしたら喉に詰まりかけた。失態に顔へ熱が集まる。カイトさんは少し笑っていた。死にたい。

「休憩か?」
「は、はい。あと10分くらいで戻らなきゃですけど」
「そうか」

 当たり障りの無い会話をしながら、とても自然にカイトさんは私の隣へ腰を下ろした。勿論、常識的な距離はその間に作っていたけれど。それでも、普段は1人寂しく昼食を食べている私は、カイトさんとお昼を一緒にするという出来事に激しく心臓を高鳴らせた。ありがとう神様。心の中で合掌した。
 私は座り直す振りをしてちょっとだけその距離を詰めた。これくらいは許して欲しい。誰にって? 誰だろう。お天道様かな。いや違うなカイトさんだな。ごめんなさいカイトさん。
 カイトさんのお昼ご飯はどこかで買ったらしい惣菜パンとペットボトルのお茶だった。カイトさんは細身だからもっとしっかりご飯を食べて欲しいなあ、なんて不躾な事を考えてしまう。カイトさんの分のお弁当を私が作る事が出来たらなあ。いやいや妄想は止めよう虚しくなるだけだ。本人が隣に居るってのに私は馬鹿か。

「あ、弟さん、元気ですか?」
「そうだな、元気と言えば元気だ」
「ご病気、早く治られると良いですね。私、今ちょっとずつ千羽鶴折ってるんですよ」
「そうなのか」
「はい。昨日やっと500羽目を折り終えて、折り返し地点です!」
「ありがとう。きっとハルトも喜ぶ」

 最初はカイトさんが喜ぶから、という邪な動機が大半を占めていた千羽鶴作りなのだが、最近はやりがいを見出してきて家族総出で作り始めている。テレビを見ながら鶴を折り、食事をしながら鶴を折る。家族揃って行儀が悪いのは家族全員で自覚している。

「あとなまえ」
「はい?」
「そろそろその敬語、取っても良いだろう」
「は!?」

 思わずその場に立ち上がってしまった。それと同時に弁当箱を入れていた鞄が膝から落ちた。食べ終わっていて良かった。
 そんな台詞を言われる事は、時々妄想はしても予想は全くしていなかった。聞き返すと、カイトさんは同じ事を繰り返し口にした。私のお花畑のような脳味噌が勝手に聞き間違いをしたわけでは無かった。
 口の中に何も入れていなくて助かった。もし水筒のお茶を飲んでいようものなら霧吹きの如くカイトさんに向かって噴射していた。弁当箱を落とした事も含めて、早食い癖がこんな形で役に立つとは思わなかった。ありがとう神様。本日二度目の感謝である。

「駄目ですよカイトさん私よりずっと上の立場じゃないですか。ハートランドさんに首切られます」
「だが、同い年だ」
「確かにそうですけど、そうじゃなくて、えーっと」

 正直な所私だってカイトさんと敬語を外したフランクな口調で会話をしたい。カイトくんとかカイトとか呼んでみたい。うわ駄目だ頭の中で想像しただけで脳味噌沸騰しそう。妄想だけで刺激的とかカイトさん劇薬すぎ。
 だが、そうは問屋が下ろさないのが現実である。

「カイトさん。ここは学校みたいな横社会じゃなくて、縦社会なんです。年齢より立場です。カイトさんは私よりもずっと上の立場で、私はただのアルバイトです」

 仕事とはそういうものだ。私でも分かる。カイトさんは直接の上司では無いけれど、私よりもずっと偉い立場にいる人だし、私はこのパークにはゴロゴロと居るアルバイトの1人だ。それにカイトさんは髪の毛こそ少し変だけれど、その顔と性格で結構モテているのは私でも知っている。そんな人と一介のアルバイトの私が親しげにタメ口で談笑しているなんて知られたら誰に何をされるか分からない。女子の嫉妬は世界で5番目くらいに恐ろしいのだ。ちなみに上位4つは地震雷火事オヤジ。
 私が右手で首を切るようなポーズを取ると、カイトさんはクスクスと小さく笑った。その顔がとても格好良いので、私の心臓は場違いにもきゅうんと高鳴ってしまうのだった。

「なら、仕事中じゃなければ良いんだな?」
「……ん? んん? つまりそれはどういう事です?」

 カイトさんの言葉に、私の頭に疑問符が浮かんだ。そもそも彼に私の説明は伝わったのだろうか。カイトさんは頭の良い人だから、伝わっていないとしたら私の説明が下手だったという事になる。頭の悪さばかりはどうしようもない。

「今日の夜は空いてるか?」
「えーっと仕事終わってからって事ですか? それなら特に予定は無いですけど」
「それなら良ければ一緒にご飯でも食べないか」
「え?」
「あー……外食が嫌いなら、無理にとは言わないが」
「えっ、あっ、いや全然嫌いじゃないというかご飯食べるのは大好きなんですけど、その、つまり、わ、私で良いんですか? ていうか何で私? カイトさん乱心されてます?」
「俺は至極まともなつもりだし真面目に言っている」

 カイトさんの凛々しい目が私を見た。その目で見つめられたらどんな事でも頷いてしまいそうだ。そもそも私はカイトさんから何かを言われたらどんな事でも頷く姿勢だ。つまり、カイトさんのこの誘いに、私が断る理由なんて何一つ無いのだ。

「えっと、じゃあ、あの、よろしくお願いします」
「ああ、よろしく頼む。終わったら事務室前で待っててくれ」

 カイトさんはそう言うと、立ち上がって歩いて行ってしまった。カイトさんの姿が見えなくなるまで立ち尽くしていた私は、カイトさんが見えなくなったところでようやく自分がどんな会話を交わしたのか実感した。
 ちょっと待って、これ、ちょっと待って、え? は?
 つまり、この仕事が終わった後、私はカイトさんと二人でご飯を食べるというわけで、話の内容から察するに二人きりで食べるというわけで、それはつまり、あの、いわゆる、男女がする、デート、と、捉えても良いのでしょうか。
 頬に熱が集まってくるのが自分でもよく分かった。夢なのかと思って頬をつねってみるが、痛覚はしっかり働いていた。
 ちなみに、仕事に戻るのが遅れて上司に怒られた。










2015.5.27



日向さんより『カイト相手で両片思い』というリクエストでした。
両片思いめちゃくちゃ大好きマンですがいざ書いてみると難しいですね?!片方からの矢印を伸ばすのは簡単ですがもう片方からも伸ばして尚且つそれがすれ違うように〜ってなかなかどうしてうまく出来ませんね……お気に召して頂ければ幸いです。お粗末様でした。
リクエストありがとうございました!