エジプトの呪い






 私が好きだった人はなんと三千年前のエジプトの王様だったと言うのだから人生何が起きるのか全くわからないものである。よくよく考えてみると、確かに他の人とちょっとずれていると言うか少し天然臭いところというか、真面目さが飛び抜けていて普通の人よりも面白い人だったから、あの人なら仕方ねーわなんて納得してしまうのは、恋というフィルターがかかってしまっているからなのか王様だからこそのカリスマ性によるものなのか、私には判断出来ない。
 そんな三千年前のエジプトの王様は本日をもってあの世へ旅立ってしまった。旅立ったと言うのは私達から見た言い方なので、本当は帰っていったと表現した方が正しいような気もする。兎にも角にも、私の恋はどう足掻いても叶う事など無かったのだ。気持ちの滾るままに勢い余って告白なんかしなくて本当に良かったと本当に思う。

「なまえは強いね」

 遊戯はそう言いながら赤く晴らした両目に私の顔を映した。先程まで泣いていたのだろう。常に肌身離さずつけていたあの仰々しいパズルが遊戯の首にかけられていない事への違和感はすぐには拭いきれない。
 晴れている事もあり、ホテルのベランダから見える夜空は満天の星空で、恋人たちのロマンチックな雰囲気を醸し出すにはぴったりだ。生憎、今ここで一緒にいる彼とは友人という関係以上も以下も無いのだが。
 ホテルで同室の杏子はすっかり気持ち良さそうな寝息をたてていた。今は夜更けと言える時間帯だし、長旅の疲れが溜まっていただろうから、杏子がそうなるのも当然だ。こんな時間に未だに寝る気配を見せない私と遊戯がおかしいのだ。身体は疲れている筈なのに不思議と目が覚めてしまっていた。時間を持て余すようにベランダで黄昏れていたら、同じく寝れなかったらしい遊戯が隣のベランダに出てきたので、こうして柵越しに黄昏れ合っているのである。黄昏と言える時間はとっくに過ぎてしまっているけども。
 最初は初めての海外旅行だなんだとはしゃぎながらやって来たエジプトだった。見慣れない風景や文化に興奮を覚えながら時間の許される限り観光を楽しんでいた。だが、もう1人の遊戯を見送った後は、喪失感からか皆の空気は妙にしんみりとしてしまっている。いくらお互い後腐れの無い別れ方をしたと言っても私達は所詮高校生だ。大人と言うにはあまりにも幼いその精神に、今まで一緒にいる事が当たり前だった人との今生の別れと言うのは、いくらわかっていてもその衝撃と寂しさは、そう簡単に受け止めきれるわけがなかった。

「そう?」
「だって、もう1人の僕を見送ったときも、その後も、全然泣いてないじゃん」

 僕なんてホラ、と、頼り無さそうな笑顔で彼は自分のむくんだ目を指差す。
 もう1人の遊戯を見送る儀式を終えた帰り道、遊戯は誰よりも泣いていた。いつまでメソメソしてんだと遊戯の背中を叩いた城之内も泣いていた。杏子は言わずもがなだったし、日本から見送りにやってきた他の皆も遊戯や城之内程じゃないけど泣いているような顔をしていた。それだけ、三千年前からやってきたという彼の存在は私達の中で大きいものになっていたのだ。
 私は何故か泣けなかった。絶対に泣いてしまうと思っていただけに、自分でも戸惑った。お陰で同伴していたイシュタール一家にやせ我慢をしているのではないかとかえって私が一番心配されてしまった。我慢なんてしているつもりは全く無かった。

「実感が湧かないだけなのかも」

 ペットボトルの水を一口飲む。言いながら、その言葉がすとんと腑に落ちていく実感がした。そうだ、私には実感が無いんだ。だって、こうして遊戯と話している今も、呼びかければ姿を現してくれるのではと思えるのだ。遊戯と同じ姿の、三千年前の王様が。

「正直、僕も呼びかけたらひょっこり出てきてくれそうな気がする」
「ああ一緒一緒。私もそう思ってた」
「でもね、出てこないんだ。何度か試しに呼んでみたけど、出てこないんだ。当然だよね」
「もうパズル、無いもんね」
「そうなんだよなあ……」

 そう言いながら俯いた遊戯から鼻をすすっているらしき音が聞こえてきた。恐らくまた泣いているのだろう。男子のくせに情けない奴だと思ったが、もう1人の遊戯と誰よりもずっと一緒に居たから、私なんかよりも全然思い入れや抱いていた気持ちの量は違うのかも知れない。背中をさすってやろうと手を伸ばしたが、柵に邪魔をされて届かなかった。代わりにポケットティッシュを渡した。名前を呼びながらティッシュを持った右手を伸ばすと、遊戯は俯きながら受け取った。

「ごめん、城之内くんにも散々言われたのになあ」
「……まぁ、仕方ないんじゃない」

 そういえば、杏子も寝る直前までずっと泣いていた。彼女も私と同様に、もう1人の遊戯が好きだったから、無理も無いだろう。約束された失恋にすぐに心の整理がつくはずがない。それを言ったら私はどうなのだとも思ったが、きっと意識に差があるのだろう。
 杏子はあの王様があの世へ行ってしまったと言う事をきちんと認めているからこそ、泣く事が出来たのだ。現実を直視せずに、まだ遊戯の中に隠れてるんじゃないのかなんて馬鹿な事を考えている私なんかよりよっぽど彼の事を慕っているだろう。私の気持ちを杏子に言わずにここまで来て良かった。ひょっとしたら気付かれていたかも知れないけども。
 ありがとうと遊戯がティッシュを返してきたので、受け取ってスウェットのポケットに乱暴に突っ込んだ。遊戯はまだ少しだけ鼻をすすっているが、先程よりも全然落ち着いている様だった。

「……もう1人の僕ね、僕と一緒でハンバーガーが好きだったんだ。三千年前のエジプトの王様なのにだぜ?」
「そう」
「だから、バーガーショップ行く時はいつももう1人の僕と代わりばんこだったんだ。僕ばかりがハンバーガー食べてるともう1人の僕が味わえないからね」

 ぽつりぽつりと、遊戯がもう1人の遊戯との思い出を話し始めた。その様子は、三千年前の魂と歩んできた2年にも満たない時間を確かめているように見える。遊戯なりの気持ちの整理の仕方なのかも知れない。遊戯しか知らないエジプトの王様の趣味嗜好考え方手癖口癖エトセトラ。長いようで短い時間だったが、遊戯は本当に彼の事を理解しているようだった。
 暗いながらも遊戯の表情が少し嬉しそうに見えた。あぁ、遊戯はあの王様の事が大好きだったんだろうなあ、四六時中一緒だなんて家族よりも密接だもんなあ、性格が合わないなんて不運に見舞われなくてよかったなあ、なんて呑気な事ばかりを考える余裕が自分にある事に気付いて自分に呆れた。泣きもしなければ、こんな事ばかりを考える余裕もある私は、果たして本当にあの人の事が好きだったのだろうかなんて自問を始めてしまいそうだ。しないけども。

「そういえばね、なまえ」

 散々もう1人の遊戯との思い出話をしていた遊戯が私の名前を呼んだ。ボーッと聞き流していた私は突然名前を呼ばれた事に反応しきれず、ぎこちない返事をしてしまった。

「もう1人の僕はね、なまえの事が好きだったんだよ」
「……は?」
「もちろん皆の事も好きだったけどさ」

 なまえの事だけは特別だったみたいだよ。
 はっきりと私に聞こえる声で遊戯が言った。と言うよりも、真夜中のエジプトはそれはそれは実に静かなので、小さな声であってもそれは私の耳までしっかり届いてしまった。
 いやいやいやいやいや。ちょっと待って意味が分からない。いや意味はわかる。そうじゃなくて、それをこのタイミングで言ってくる遊戯の考えと、私に対してそう思っていたというもう1人の遊戯の考えが理解出来ない。

「……それは、あの王様が自分で言ってたの?」
「言ってたっていうか、なまえが一緒にいる時の態度でバレバレだったっていうか……前に直接聞いたら否定してたけど顔真っ赤にしてたし」
「……あっそう……」

 先程も述べたように、遊戯はもう1人の遊戯の事は充分に理解している。理解している遊戯が言うのだから、恐らくあの王様が私のことを好きだったと言うのは本当なのだろう。
 爆撃のように突然放り込まれた情報を、ゆっくりと脳が認識した。そんな事、知りたくなかった。直感的に思った。知らないままでいたかった。
 私の片思いのまま終わらせておくつもりでいたので、というか、あの王様が私のことをそういう風に思ってくれていただなんてこれっぽっちも思っていなかったので(どうやら私は鈍感らしい)、片思いのまま青い春を堪能したなと完結させる気満々だったのだ。それを、突然遊戯の一言がぶち壊してしまった。
 そもそも何故遊戯は私にそんな事を言ったのだろう。よかれと思ってやった事なのだろうか。ちらりと遊戯の顔を見ると少なくともネガティブな考えをもっているような表情には見えなかった。思い出話の延長だったのかも知れない。大好きだったもう1人の自分が気持ちを伝えないまま旅立っていってしまった事に何か思うところがあったのかも知れないし、ひょっとしたら本人から気持ちを伝えてくれと頼まれていたのかも知れない。そこは私が遊戯に尋ねない限りわからないことなので、1人で考えていてもどうしようもない。だからと言って遊戯に尋ねる気にはなれなかった。

「……なまえは、もう1人の僕の事どう思ってたの?」

 遊戯の声には戸惑いが混ざっていたように感じた。私の反応が予想と違っていたのだろうか。残念だったなざまあみろ。
 だとしても更に地雷を踏みしめていく様な質問を投げかけてくるあたり、遊戯は女心がわかっていないのだろうか。いや、杏子が王様の事好きなのは気付いてるらしかったから、女心と言うよりは私に対して空気が読めていないのかも知れない。それに関しては、私があまり自分の気持ちを周りに話してこなかったから、何を考えているのか計りにくいと思われてても仕方の無い事だった。恋愛に臆病だったからというよりは、ポーカーフェイスな私カッケー的な厨二風を吹かせちゃった結果なので、こればっかりは皆に対して申し訳なさの極みであると厨二病をようやく卒業しかけている今思いました。作文。
 脳内でそんな小学生並の感想を述べている間も遊戯は私の回答を待っていた。もしここで、私も好きだったんだよ、なんて言ったとして、それは何の意味があるのだろう。本音を打ち明けたとして、もう相手のいない恋心を吐露して、ただ虚しくなる以外にあるのだろうか。そう考えたら、とても本当の事を言う気にはなれなかった。遊戯に気を遣っていると言うのもあるし、杏子に対して裏切ったような気もしてしまうからというのもある。別に杏子から直接気持ちを聞いたわけではないが、時々協力する様な素振りを見せてしまっていた為、今までの私の行動を裏切るような気がするというだけだ。とどのつまり、自分本位なわけだ。

「好きだよ皆と同様に」

 嘘は言っていない、つもりだ。他の皆の事も好きの種類が違うだけで、同じくらい好きなつもりだ。少し早口になってしまった気がするが、地雷を土足で踏みしめていく遊戯なら気付いていないと思いたい。
 私の言葉の内容に安心したのか、遊戯の方から溜め息の音が聞こえた。

「……まさかあの人が私のことそういう風に見てたなんてね」
「結構態度バレバレだったけど気付かなかった?」
「うん」
「獏良くんすら気付いてたのに」
「マジでか」

 うわあ、あの超ド天然電波少年すら気付いていた気持ちに気付かなかった私って想像以上に鈍感すぎないか。馬鹿なの。死ぬの。
 いやでもまさか自分の好きな人が自分の事好きだなんて、そんな都合のいい考え、いくら浮かんでも信じないのが普通ではないのか。私のような、その辺にゴロゴロと溢れ返っている平々凡々な女子高生が、たまたま特殊な出来事をはべらせていた武藤遊戯という少年と同じ場所に生まれ育ち同い年で同じ高校で同じクラスになって、更に知り合って友達になって、尚かつその特殊な出来事の元凶に恋をして、更にその元凶が私のことを好きだった、なんて物凄い天文学的な確率なのでは。理系脳じゃないので具体的な確率の計算は出来ないが、相当稀有な数字になるのだろうなということは想像に難くない。そんな天文学的数字分の1の確率を引き当ててしまったのだから、私はこの事実だけでも一生分の運を使い果たしてしまったのではないかと先の見えない未来を心配した。

「そっかー……そうなんだ……」

 何を言えば良いのかわからず曖昧な返事ばかりが口から溢れる。想像以上に自分が鈍感だったという事実にショックだと言う事もあるが、この事実に対してどう受け止めれば良いのか分からなかった。両思いであったことを喜ぶべきなのか、もう居なくなった彼の事を想い嘆くべきなのか、とっとと気持ちを告げるべきだったと悔いるべきなのか。
 だが、どれにしても、私が好きだった、そして私のことを好きでいてくれた人は、この世にはもういないのだ。どんな気持ちを抱いたところで、それをぶつけることが出来る人はもういない。どう足掻いても会う事が出来ない。死ねば会えるかも知れないが、そこまで出来る程私は彼に傾倒していないし人生に絶望もしていない。
 右手にあるペットボトルを強く握った。ベコッとプラスチックが軋む音がした。中身の量を確認して、蓋を開く。徐に頭上でひっくり返した。

「え、ちょ、なまえ!?」

 半分程残っていた中身がびちゃびちゃと音を立てて私の上半身を濡らした。突然の行動に遊戯はどうすれば良いのかわからず狼狽えている。驚かせてしまって申し訳ないが、こうでもしないと泣いてしまいそうだった。いや、既に泣いていた。濡れてるお陰で遊戯には気付かれていないがめちゃくちゃ泣いてる。目の前で彼が行ってしまったときも皆が泣いているときも遊戯から思い出話を聴いているときも、どんなときも一切泣かなかったのになんてざまだ。堪えたいという私の意に反して、両目からはボロボロと涙が溢れてくる。ちくしょう、ちくしょう。
 知らないままでいたかった。小説の中のお話みたいな淡い恋として青春の1ページに刻んでおきたかった。大人になったときにあの頃は若かったって1人で思い出してくすりと笑える記憶にしたかった。
 私は今後、三千年前の王様の気持ちを背負いながら人生を往生していかねばならないのだ。もしこれから、別の人に恋をしても、付き合う事も振る事も振られる事もなかったあの人の気持ちが、永遠に宙ぶらりんのまま私につきまとうのだ。なんて呪いだ。永続魔法よりも質が悪い。
 潰す勢いで握りしめたペットボトルは私の握力じゃうんともすんとも言わなかったから、腹いせに遊戯に投げつけた。軽快な音と共に遊戯のイテッという悲鳴が真っ暗な空に馴染んで消えた。







2014.2.24