知らないふりをしていてよ





 私はマキマさんのことが大好きなんだけど、マキマさんは私のことを好きじゃないと思う。「思う」という曖昧な言い方に留めているのは、他人の気持ちは自分ではない以上決して完全に分かることは出来ないという私の価値観に基づいているからと、ちょっとでも好きだと思っててくれているといいなあという諦めきれない未練がましさがあるからだ。でも、たぶん、マキマさんは私のことは好きじゃない、と思う。黒に近いグレーという感じ。

「マキマさん、今日の分の報告ですが……」
「ああ、明日早くてもう上がりたいから、報告書だけ置いておいて」
「分かりました」

 仕事の話の中に上手に世間話を混ぜる人がいる。ああいうのはどうやってやるんだろうっていつも不思議で、技は盗めという職人の世界のように私も観察していれば出来るようになるかなあなんて思ったけれど、そもそもその土俵に立てたことがない。マキマさんはいつも余裕があるようにしているけど、実際はとても忙しくて、私がマキマさんとの会話を試みても、いつもキャッチボールは一往復するかしないかで終わってしまう。
 私が報告書を整えてマキマさんのデスクに置くと、コートを羽織ったマキマさんが部屋の扉の前に立っていた。私をじっと見ている。

「あの……」

 どうしましたか、と言うより前に、マキマさんが私に微笑んだ。マキマさんが、私に、微笑んだ。

「ごめんね。その内ゆっくり話が出来たらと思ってるんだけど、最近少し忙しくて」
「え、あ、いえ。大丈夫、です。気にしないでください」
「ここには慣れた?」
「な、なんとか、少しずつ」
「そう。私、今週はもう出張でいないから、その間いい子にしててね」

 マキマさんは私の頭をポンポンと撫でると、じゃあね、と言って部屋を出た。カツンカツンと廊下で響くマキマさんの革靴の音が、マキマさんを格好良く飾っていて、コートの裾はマキマさんを見ている私の心臓と同じリズムで左右に揺れていた。