なれ*
もう、慣れてしまった。
「苗字!」
そう言って、私の席の前に座る姿を見ることも。
「さっき杏ちゃんがさ!」
好きな子のことを嬉しそうに話す姿を見ることも。
「わかったから、もっとゆっくり話せば?」
その話を何でもないようなフリをして聞くことも。
全部慣れてしまった。
慣れっていうのは怖いもので、最初はどれだけ嫌だったことでも、慣れてしまえばなんともなくなってしまう。
すごく、嫌いだった。
杏ちゃんの話を嬉しそうにする神尾の顔が。
杏ちゃんのことを愛しそうに見つめる神尾が。
あんなに嫌いで、聞くたびに胸が痛んでいたのに。
苦しくて仕方なかったのに。
今は、何も思わない。
その話を聞いて、笑顔を向けることも苦にならなくなってしまった。
今、何が嫌なのかと問われれば、神尾を嫌いになれないことだと、きっとそう言うと思う。
前だったら、神尾の話を聞くことって答えてたはずなのに、そこまでも変わってしまった。
せめて、嫌いにはなれなくても、好きじゃなくなればいい。
そう、ずっと思っているのに。
「苗字?具合悪いのか?」
これだけは、どうにも慣れなかった。
神尾に優しくされるのだけは、どうしても慣れることなんてなくて、いつだって、胸がドキドキと音をたてるのだ。
自分でもよくわからなかった。
神尾の恋が叶えばいいって思ってる。
それなのに、神尾のことが好きだなんて。
矛盾しているにもほどがある。
「神尾」
「お、復活した?」
「うん。私さ、本当に、神尾には幸せになってほしいから」
「突然だな。まあ、幸せになるけどさ、俺は!」
「うん」
「お前も、幸せになれよ!お前に好きな人できたら相談のるし…って、杏ちゃん!!」
神尾と、杏ちゃんのことは本当に応援してるんだ。
それでも、泣きたくなるのは、きっと、神尾が優しくするから。
私は、幸せにはなれない。
私は、神尾の彼女にはなれない。
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