はら、と。
不意に溢れたそれを彼は拾いあげた。



「何泣いてやがんだぁ。」



暖炉の火が揺らめくのを見ながら、アナスタシアは一人物思いに耽っていた。

そこへ音も無く突然やってきてはすぐ隣へ腰を下ろしたスクアーロが、下を向くアナスタシアの顔を片手で包み覗き込む。



「何でも、ない。」



「んな訳ねーだろぉ。」


今にも再び流れ出しそうな程に涙を溜めている彼女が、一体今度はどうしたというのか。

呆れたように息を吐いて、アナスタシアを抱き寄せる。
実際、特に何があったという訳では無かった。



「…昔の事、未来の事、自分の事…考え始めたら収拾がつかなくなってしまっただけ、だ。
私も人として生まれたかった、なんて。

結局無い物ねだりなのは、分かってるのだけど。」



アナスタシアが言い終わると、僅かだが抱きしめる腕に力が篭る。

馬鹿が。と頭上で小さく吐き棄てる声がした。



「アンタが人なら、今この未来はねぇ。」




違う世界軸ではきっと人としての未来もあったかもしれない。
だがそうだとすれば。
二人の時間は決して交わる事も無かっただろう。

彼女は何世紀も前の者なのだから。




「考え方次第だぁ。これを幸と取るか不幸と取るか。少なくともオレは、アナスタシアが魔女で良かったと思ってる。」




「…また、慰められてしまったな。」



「…。
オレらが居なくなった後の事かぁ」


「っ…。」




マフィア然り、暗殺者然り、その運命はきっと暖かいベッドの上にない。
業を積み上げれば上げる程、楽には死ねなくなる。



いつそれが訪れるかも、分からない。




そんな危ういバランスでギリギリ生かされている彼らを、よりによってアナスタシアは愛してしまった。



スクアーロは以前後悔するなと言ったけれど、アナスタシアにとってはあまりに短く感じすぎて、どうしても毎日が恐ろしい。




「…任務中に不老不死の術や、街中で年老いて死んでしまった者に蘇生術が使えないか試したんだ」




人の世の理を乱す行為は気が引けたものの、試さずにはいられなかった。だけど結果は。




「運命は変えられなかったよ」



魔法も万能じゃない。
天に定められたものにおいては何の意味もない。





「そうかぁ。って事は、魔法が及ばねぇ範囲が存在する、と。中々面白ぇじゃねーかぁ」





そう言ってスクアーロはアナスタシアを抱き上げ、自らの膝の上に乗せた。


「な、何を…っ」



「アナスタシアが一人でいようとするならオレが邪魔してやる。今日もこんな所で泣きやがって」




密着する身体から、人肌の柔らかさや体温が伝わる。


体勢の恥ずかしさも相まって、顔に熱が集中した。



「お前はっ、全く…!
私をこんな風にするのは、スクアーロが初めてだ」




「そりゃ光栄だぁ」




背けた顔を掴まれ正面を向かされればすかさず唇に感触。


前にも一度された、けれどそれとは比べ物にならないような、濃厚な、蕩けてしまいそうな。




舌同士を絡め合い、言いようのない激情に陶酔する。




気付けばソファーに組み敷かれ視界が銀色で埋め尽くされていた。





「っはあ…す、スクアーロ…」




「魔女ってのは、其方はどうなんだぁ」





其方というのはつまり。
世情に疎いアナスタシアにも、スクアーロの言っている事は何となく理解出来ていた。



「い、いや…知識は無くはないが…」




「なら「ま、待てっ…!こんな、人が来るような所じゃ…」




熱っぽい視線を感じつつ、そこから逃げるように肩を押す。
するとタイミングを図ったかのように、部屋の外に人の気配がした。



「ああほら、言わんこっちゃない…!早く、そこを…」


「チッ」



気配の主はこちらに気付き無遠慮に近づいてくる。
アナスタシアはここはスクアーロに任せようと、ソファーに身を縮込めた。





「ん?そこにいるのはスクアーロか?」




気配の正体はレヴィであった。彼はアナスタシアの能力に嫉妬しつつ、その容姿の端麗さ、所作の品の良さに度々アナスタシアにとって不快な反応を示す。

悪い人物ではないが、アナスタシアはあまり得意ではなかった。




「なんだぁ、今は取り込み中だぁ失せろぉ」





「ええい失せろとは何だ!!
怪しい奴め。このレヴィ・ア・タン、不審な動きは断じて見逃さん、一体何を…


な…

なあぁあぬうぅあああっ…!!!」



「あーーーうるせぇぞぉゲロカスがあぁ!!!」






レヴィのオーバーリアクションとスクアーロの大声につられて、続々と人の気配が集中する。






「何だい、こんな時間に。うるさいな」



「あっ、アナスタシアじゃん。うししっ、何談話室でイチャついてんだよ、スクアーロ」




「んま!誰と誰が、イチャイチャしてるのかしらぁ〜?」




「う"お"ぉい、テメーらうぜぇぞおぉお!!!!!」




「ぅ……スクアーロ、そろそろどいてくれ…恥ずかしい…」





一気に賑やかになる談話室。
先程一人悩んでいたのが嘘みたいに、アナスタシアは顔を綻ばせた。




「フフン、アナスタシアは王子の隣な」




「勝手な事言ってんじゃねぇクソガキィ!!」




ソファーに座りなおすと隣にベルがやってきて、アナスタシアの肩へ腕を回す。

スクアーロとは違う、少し華奢で砕けた感じもまた心地よく、友人、という言葉が頭に浮かんだ。




「ホラホラ、ベルちゃんも絡まないのっ!
アナスタシア、泣いていたのね…
コ・レ。」



手を叩いてやってきたルッスーリアが床に転がる宝石を拾う。



「あ…すまない、集め損ねてたか。
…まぁ、大した事じゃない。大丈夫だ」



「そーぉ?
でも、本当に綺麗よねぇ〜
女の涙は武器なんて言うケド、貴女は格別だわん♪」



「そういや、何で宝石に変わんの?わざとって訳じゃないっしょ」



身を乗り出してマジマジとルッスーリアの手元の宝石をベルが覗く。



「私にも詳しくは分からないが…
色を見る限り、魔力の結晶化によるものだろう。
自分でコントロールは出来なくて、恐らく魅了系の魔法の性質が混ざっている」




最初の出会いの時。


磔にされているアナスタシアを見て警戒していた隊員達が、涙を見た瞬間警戒を解いて荊棘を解きにかかったのは、そのせいで。



「私の涙にそんな性質がある事を知ったのは、最近だ。
何せあの時、久しぶりの人間の姿が、懐かしくて、嬉しくて、それで初めて泣いたのが偶然にも彼らに術をかけた」




もしかしたら。アナスタシアが泣かずにいたなら、スクアーロの到着がもう少し早かったら。



理性も利かずスクアーロごと食らっていたかもしれない。



…そう考えると、やはり自分の存在を恐ろしいと思わずにはいられないアナスタシアだった。



「う"お"ぉい、また変な事考えてんなぁ?
今ここでこうしてるのが全てだぁ、余計な事考えんじゃねぇ」



まるで心の中を見透かしたように、スクアーロがアナスタシアの頭を右手でくしゃ、と撫でた。



「そうよ、アナスタシアちゃん。
話ならお茶でもしながらいくらでも付き合うわぁ、何でも相談してねぇ〜ん♪
ヴァリアーの母であるこのルッスーリアが!
パパッと解決してあ・げ・る♪」



「う"お"ぉいだがルッスーリアの部屋には行くなぁ!あそこは気味が悪ィ!!」



「その意見には賛成。ししっ、アナスタシアにはあの部屋は目の毒だぜ。相談なら王子にしろよな」



「ベルがまともに話を聞けるとは思えないね。
報酬次第ではアナスタシア、僕が聞いてあげてもいいよ」



「ぬうっ!
ならば俺も「ヒゲにはムリ」
何だとぉっ!ベル貴様…!!」



「悔しかったらボスに鬱陶しがられてんの何とかして来いよ」



「なっ!!俺は鬱陶しがられてなど…!!」






アナスタシアを囲んで口々にみんなの言葉が飛び交う中、こんな日々が側にある事をアナスタシアは本当に愛おしく思った。




今ここにあるものが全て。
スクアーロの言葉を、心の中で反芻する。



「…あぁ、そうだな」







ー宝石の輝きー





眩しいくらいのその煌めきの中に、私はいる。




2020.04.29 Yuz
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