騒ぎが一段落して、アナスタシアは以前よりもほんの少しだけ穏やかな心持ちで日々を過ごしていた。

任務のない時間を談話室で小説を読みながら過ごす。それが最近のアナスタシアのお気に入りであり、今日昼間のこの時間も例外なく、紅茶を嗜みながら長編小説に読み耽る。




「アナスタシアみっけ。なぁ、何してんの?」



「見ての通りだ。小説を読んでいる」




「ふーん。…何だこれ。赤と黒…?」




何か面白いものを探しているかのように、暇を持て余すベルフェゴールが談話室へ入ってきた。
彼はアナスタシアを見つけ二ィ、とご機嫌に笑ったが、読書をしている事が分かると少々、つまらなそうにした。




「古い恋愛小説のようなものだよ。お前には少し退屈な読み物だろう」



「しし、そうだな。
そんな紙切れに構ってないで王子と遊ぼうぜ。ちょー暇してんの。この前の続きとか、どうよ?」



この前の、とは。それは時間を少しだけ遡り、出会った時の、アナスタシアが死の概念を持たないという事に対するベルフェゴールの疑念だった。

アナスタシアは読んでいた本を置き、紅茶を空にする。



「良いだろう。では私がお前のナイフの的となる。好きなように刺すといい。」



光の差すバルコニーから庭へ降りる。後ろから投げられるナイフを避けることもせず、背中で受け止めたアナスタシアはベルフェゴールの方を向いて目を閉じた。



「…なーんか。抵抗も何もないとつまんねーけど、いっか。お望み通りのサボテンにしてやるよ」



言葉と同時に飛ばされたナイフが容赦なくアナスタシアに刺さる。
目、口、鼻、耳。そして脳天、心臓、と次々に狙いを定めてナイフはアナスタシアを貫いていく。
血は噴き出て、皮膚も衣服もナイフの影響をしっかり受けているが、アナスタシアは立ち止まったまま微動だにしなかった。


所持していたナイフを全て刺し終わろうとする頃には、もう投げる事にも飽きて隙間を探しては直接刺すようになっていた。



「後3本〜。ししし。もうどこも刺すとこねーんだけど。これで生きてるとかマジで化け物かよ」



「う"お"ぉおい!!ベル、そこで何してる!」




そこへ任務帰りのスクアーロが通りかかると、血溜まりの中で楽しそうに戯れるベルフェゴールとナイフに包まれたアナスタシアが笑い合う。




「スクアーロもこっち来いよ。こいつマジで死なねーんだぜ。」



「何だぁ、ソイツは。」



「アナスタシアだって。しし。お前、そうしてる方が可愛いぜ」



「なっ…何してやがんだテメーらぁ!!!」



スクアーロは叫ぶと、アナスタシアに突き刺さるナイフを抜いていく。



「あーあ。可愛かったのに。アナスタシア。
…でもそのぐっちゃぐちゃな感じもそそられんな。ししし」


「見てねーで抜くの手伝え、ベル!!!」



ナイフが全部抜かれると、そこにいたのは文字通り立位を保持する肉塊だった。



「はあぁあ"あ"…アナスタシア…王子すっげぇ興奮する。お前の事好きになっちゃったかも。」



「チッ…ったく変態がぁ。おい、アナスタシア。」




スクアーロが声を掛けると、アナスタシアは淡い光に包まれた後、元の美しい姿に戻った。



「スクアーロ、すまないな。
ベルフェゴールが的になれと言うので、遊んでやっていたところだったのだ。」




「なぁ、そのベルフェゴールってやめね?なんか長ぇーし。ベルって呼んで良いぜ。」



「あぁ。ベル。気は済んだか?」



「んー。アナスタシアが死なねーってのは分かった。しし。王子満足」



来た時と同様ご機嫌そうにニヤニヤしながら、ベルフェゴールは屋敷の中へと戻っていった。

スクアーロはそれとは対照的に、アナスタシアをキッと睨み付ける。





「怒っているのか?」




アナスタシアがそう聞くと、スクアーロは何故か少し悲しそうな顔をした気がした。




「…死なねーとは言え、無闇に他人からの攻撃を許すんじゃねぇ。」



「……そうか。
実に軽率な行いだった。面倒をかけてしまって、すまない。」





反省して瞼を落とすアナスタシアを、スクアーロは複雑な気持ちで見つめる。
確かに誇りに欠ける行いであることを心内で非難もしたが、それだけが理由でない事に本人はそろそろ気が付いていた。




「…スクアーロ?」




沈黙が続いた事を疑問に思い、名前を呼ぶ。



スクアーロはそのままそっと近付き、自然な動作でアナスタシアに、

口付けた。





それは単に唇を合わせただけの軽いキスであったが、互いの鼓動は早く打ち、そこに特別な感情が存在する事を知らせた。








「…何故…」





「気付かねぇフリしてたんだぁ。
アナスタシア。」









「…。私は…
いずれ来るお前達の死が怖い。
だから、一線を引いて付き合おうと、そう思っていたのだ。


…頼む。まだ間に合う。
私の中でお前の存在を、これ以上大きくしないでほしい。
それ以上は…此方へ、近付くな。

怖い…ッ…。」






溜まった涙を誤魔化すように目を閉じるアナスタシア。その痛ましい願いは切実なものだった。






「そうしていつまでも一人で生きていくつもりかぁ。」





「そうだ。失って傷付くくらいなら、そんなものは最初から無ければいい。」





「アンタはそれで本当に満足すんのか…


つれぇ事を恐れて何もしねーなら、森に磔付けられてた時と何にも変わりゃしねぇだろうがぁ…!」




「お前には分からないよ!!残される事が定められているのに、愛してしまった苦しみは…!!」








「だったら…





“その時”になって後悔しねぇように、しっかり最後まで全力で愛しやがれぇ。」






「…っ。ぅ…っ…」






彼の何倍もの時間をアナスタシアは生きているのに、たった20数年しか生きていないスクアーロの言葉が、重たくアナスタシアの心に響いた。
本当は彼女自身も気付いていたのだ。このままではいられない、と。
アナスタシアはスクアーロの胸に頭を預けると、恐怖と幸福の狭間で、声を押し殺して泣いた。








「何処かで気付いていたんだ…
本当はもう既に、愛してしまっていた。

ヴァリアーを…



ーお前を。」









ー自覚ー






あぁ。気付いてしまえば、こんなにも苦しくて愛おしい。




2016.06.03 Yuz
2017.03.24 修正
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