魔女は飢えていた。
詠唱する舌と口を削がれ、声や息が出ぬよう喉を縄できつく縛られ、鎖による雁字搦めの拘束を以って森の奥、聳える十字架に磔付られていたのだ。
死は訪れない。中世期魔女狩りのターゲットとなったアナスタシアだったが、異端審問に掛けられ、水責め、火炙り、八裂き、油茹など、その他様々な拷問を受けどその命が尽きる事は無かった。
水中では息を必要とせず、火の中でも肌に火傷の一つも付かない。八裂きでもがれた身体は一瞬で生え揃い、グツグツ煮えた油の中でも入浴をしているかのように平然としていた。
“本物の魔女が現れた”
当時王朝はそんな噂が国中で広がっているのを耳にして、これ以上の混乱を恐れた為にアナスタシアの処刑を諦めて永久に監禁する事を決めたのだった。
「(もう一体どれ程の時間が経ったのだろう)」
アナスタシアが今いるのは入る事を禁じられた森。積極的に広められた良くない噂とその近辺で人為的に放たれた多くの獣、入る者を拒む茨や毒草の植栽など大掛かりな計画の元禁じられた森を作り出し、王朝はアナスタシアを其処に監禁したのだ。
もう幾度となく同じ考えを巡らせ、幾度となく人の来訪を願い、そしてそれ以上に己の死を願った。
身も心も疲弊し、人と同じように持っていた感情すら忘れかける頃、ふと、獣とは違う木の葉を踏む足音を聞いた。
「(…!!!
人か…?)」
目を開けば、其処には全身黒尽くめの男。アナスタシアを見るや否やその顔は蒼ざめ強張り、申し訳程度の抵抗として銃口を向けて咆哮する。
アナスタシアはゆっくりと瞬きを繰り返し視線をその男から外すと、指先で自分を磔付けている十字架をトントン、と叩く。
その仕草に警戒を少し解いた男は近寄ろうとするが、そのすぐ後に仲間と思しき連中が十数人程来てその行動を止めた。
「…聞いた事がある。この森は凶悪な魔女が封印されていると」
「う、噂はただの噂だろ…!」
「火のない場所に煙は立たないだろう。間違いなく危険だ…あの女は」
その様子を見ていたアナスタシアはただ静かに涙を流した。落ちた雫はまるでブルーサファイアの宝石のように輝き、それが人の子でない事を示す。
しかしその様子は見ていた者の心を魅了し、不思議と先程までの猜疑心が取り除かれていつの間にかアナスタシアの拘束をその場にいた全ての者で解きに掛かっていたのだった。
ー食事ー
それはアナスタシアにとって、
久し振りの“食事”であった。