“食事だよ、お食べ”
“…お姉ちゃん、元気、?”
"僕、入ってもいい?“
“また来ちゃった!母さんたちにナイショね…?”
“違う!!お姉ちゃんは魔女なんかじゃないから!!”
“坊や!!!!!!!!”
“お願い、連れて行かないで…ー
「…っ!」
懐かしい夢を見ていた。
朽ちる事がないとは言え魔女というのは不思議なもので、概ね人間と同じように構成された身体は時々アナスタシアに夢まで見せる。本部訪問前夜スクアーロに言われて以来最近は頻繁に睡眠を取るようになったためこのような事が増えてきたのであるが、それが起きる度アナスタシアはどうしようもなく胸が締め付けられてそのまま目が醒める。
「私は…何もしてあげられなかった」
今となってはもう何百年と前の記憶を手繰り寄せる。留めようともしなかった他が霞んでいるのに対して、その人物達の記憶だけが、まるで昨日の事のように鮮明だった。
「…危害が及ばないなんて、嘘だったのだ」
使い方を覚えれば、インターネットとは何と便利なものであろうか。アナスタシアの知りたい事が見つかるのは早かった。…あの頃。魔女狩りがまだ盛んであった頃。昨晩恐る恐る気になって調べた隠された歴史は、アナスタシアの信じた過去の全てを悉く裏切るものだった。
「魔女のいた村は皆殺し。私を庇う子供は洗脳されていると言われ御祓と称し拷問にて始末。そして他の者は魔女を匿った罪として総員処刑。…私一人の犠牲で他が助かる等、所詮はまやかしであった」
抵抗しようと思えばいくらでも方法はあった。それでも抵抗せず受け入れた理由は。
死の概念がないアナスタシアにとっては処刑や拷問、監禁など然程問題とならない。そして何よりも、当時大切だったもの達を守る為に、アナスタシアは導かれるがまま処刑台に立ったのだ。
「(どちらが正しかったかなんて、今でも分からない)」
魔術を以って最後まで守る為に戦うか、危害が及ばぬよう降伏し自分一人の犠牲を願うか。一瞬の間で選択を迫られ、出した答えは後者だった。まだ幼子だった“彼”を陽の下へ出られないような生活に引き摺り込むような事が、アナスタシアには出来なかったのである。
「私を救ってくれた彼らの墓などは、…やはりありはしないのだろうか」
画材はその家にとっては少し高級なもので、坊やである彼が唯一持っていた青色のクレヨンでよく描いていた花は庭に植わる薔薇らしくて。本物を目の前に作り出して手渡すと彼はいつも手を叩いて喜んでくれた。
「目覚めた私を、死人を喰らう私を、最終的に受け入れたのは彼だけだった」
アナスタシアの誕生は自分でも明確にわかっていないが、少なくとも記憶の始まりは中世期のその家にある。
目を開けると、数人の影がアナスタシアを覗き込んでいた。最初はその生き物が何かも、寧ろ発している音が言葉である事さえも分からなかったが、自分の形とその者たちの形が概ね一致していたために己と彼らは同じなのだという認識を持った。
その頃のアナスタシアには自身の名前と詠唱呪文だけが、最初から頭の中に備わっていた。
「?」
「お食べ。何日間も眠り続けていて何も食べていなかったんだ、腹が空いただろう」
「…?」
何も分からぬままに世話される日々。出される食事は最初の時に口から体に取り込むのだと教わっていたが、その行動が意味するものをアナスタシアは知らなかった。
厳密に言えば魔女は食事をせずとも生きていられるのだ。アナスタシアが人を喰らうのは、一定以上の思考力と体力を保つ為である。食事をしないでいると本能のままに行動する獣のようになる事から、理性的でいられるのはこの食事という動作のお陰であるとアナスタシアは考えている。
故に、アナスタシアは徐々に“人”を欲するようになっていった。
言葉などが段々分かり始めてきた頃、いつものようにその家の奥方が食事を運んできていた。
「どうぞ、今日はカボチャのパイだよ」
「…ありがとう。…しかし今日は、クラクラする。腹は恐ろし、く空いているのだが、あまり食べられそうに、ない」
「それは大変だ!どうしたものかね…取り敢えず、お食べ。食べればいくらか良くなるだろう」
「いや………………………………。」
その日アナスタシアの様子は何処かおかしかった。元々いくら食事をしても満たされるどころか飢えていっている事には奥方自身も気付いており心配していたのだが、特にその日は虚ろな目をして涎を垂らし、まるで獣のように意思が感じられなかったのである。
奥方が部屋にいる間、アナスタシアはじっ…とその腕を見つめていて、微動だにしなくなったと思ったらそのままその腕に、噛み付いた。
「ぎゃあああああああああっ!!!!いたい!!いたいいいいいい!!!!」
肉を裂く歯の感覚はアナスタシアの意思で離れる事が困難な程に甘美なもので。悲鳴を聞きつけた旦那に引き剥がされるまでアナスタシアは離れられなかった。
窓は目張りされ扉も頑丈に鍵が掛けられる。
旦那は外へ連れ出す事も困難と判断してアナスタシアを餓死させようとしたのだ。
数日経過して、それでもアナスタシアの様子が気になっていた奥方が一つ、思いついた事があった。
コンコン
「お前の食べたいものは、これだろう?」
鍵が外されて少し開いたドアの隙間から投げ入れられたのは、腐りかけた人の屍であった。
「先日墓に埋められたばかりのものだ。まだそんなに傷んではいないだろう。お食べ」
それはもう、無我夢中で齧り付いた。血肉を貪り髄まで啜り、可食部は全て喰らい尽くした。
それからというもの、奥方は数日に一度、屍体を運んでくるようになった。時には1週間それが無かった事もあったが、それでも漸く墓が増えたよ、と言って真新しい屍体を運んできてくれていた。その甲斐あってアナスタシアはもうすっかり自我を取り戻していた。
そのような生活が数ヶ月続いたある日。
コンコン、とノックする音がいつもより軽かったのである。
「お姉ちゃん、元気、?鍵が掛かってて入れないんだ、あと父さんと母さんがダメって」
部屋に閉じ込められる前まで毎日来て遊んでいた男の子。様々な事を教えてくれたその子が遊びに来ていた。
「久しぶり、坊や。私は元気だ。お前はどう?虐められたりしていないか?」
「うん!兄ちゃんがやっつけてくれるよ!」
「…そうか。それなら安心だ」
「お姉ちゃん、お部屋に一人ぼっちで寂しくない?」
「…寂しくないと言ったら、嘘になるな。でも大丈夫だ、心配しなくていい」
「…僕ね、お姉ちゃんにこれあげる」
心配そうにそう言って扉の下から差し出された紙。それを拾い上げると、其処には青い絵が描かれていた。見た事ある。これは鍵が掛けられる前に毎日見ていた、
「…庭に咲く赤い薔薇だな。凄く綺麗だ。ありがとう」
「…うん!!あっ兄ちゃん帰って来ちゃう、じゃあまたっ「待ちなさい」
「ん?なぁに??」
坊やを引き止めるとアナスタシアは扉の前に立ち、詠唱を始めた。
坊やの手元が淡く光り、そこには。
「ふわぁ…すごい…青いよ、僕の絵と同じだ…ありがとう、お姉ちゃん!」
青色の美しい薔薇が、あった。
「何、絵のお礼だ。…お前の母さんや父さんに見つからないようにな」
「うん!!!!また来るね!!」
それからと言うもの、坊やは毎日のようにやって来た。両親が仕事でいない間の、兄が近所に届け物をしていている間の、たった十数分程度。それでもアナスタシアにとって、これ程愛しい時間は無かった。
「こんにちは!
…ねぇお姉ちゃん。僕、入ってもいい?今日は母さんも父さんも仕事で遅くまでいないし、兄ちゃんも街まで出てるから遅いんだ。お姉ちゃんは魔法使いだから、鍵外せるんでしょ?」
「………」
正直、アナスタシアは坊やをその中に入れたくなかった。部屋の中は死の臭いが立ち籠め、骨が山積みにされている。そんな中に、彼を、入れたくなかった。
「…それは出来ない。部屋の中は、とても臭いから」
「ちょこっとでも良いんだ。ね?お願い。僕、臭い平気だよ、だってもうここまで臭ってるし中も大丈夫だよ!」
どうしても入りたがる坊やに折れたのはアナスタシアの方で。せめて骨だけは見えないようにしようと、クローゼットを創り出してその中へと仕舞い鍵を解いて少し、扉を開けた。
「っ!お姉ちゃん!久しぶり!!」
「あぁ。久しぶりだ」
そこには少しだけ大きくなった彼の姿があり。そして本当に嬉しそうに笑う坊やを今更拒む事など、アナスタシアには出来なかった。少しだけだ、と言いながら部屋の中に招き入れる。
「っちょっと、坊やっ」
部屋へ入るなり彼はアナスタシアに抱き着いた。
臭いなど構わないと言うように、離さないと言うように、しっかりと。
「お姉ちゃん、一人ぼっちにしてごめんなさい。お姉ちゃんには僕がいるからね。だから、寂しくないから、だから…」
ー父さんと母さんの事、兄ちゃんや僕の事も、嫌いにならないで。ー
坊やの隔てない愛情にその時、自分も彼にとって家族というものである事をアナスタシアは悟った。
無償の愛。それを持つ彼はいつの間にかアナスタシアのたった一つの居場所であった。
「通報を受けた。この家の二階の窓が目張りされ、何やら臭うとな。二階に何を隠しているのか教えてもらおう」
それが来たのは、あれから一年が経とうとしていた頃。魔女狩りの噂が蔓延し、噂を真に受けた近所の者が通報したようで。
教えてもらおうと言いつつ、武装した兵によって家ごと取り壊されんばかりの勢いでその者たちはアナスタシアのいる部屋を目指した。
怯える坊やを奥方が庇い、その前に立っていた旦那が、ふいに声を張り上げる。
「に、二階に、魔女が住み着いているのです…!私達は殺されるのが怖くて、魔女が外に出ないように鍵をかけて窓を目張りする事くらいしか出来なかった…!どうか奴を処刑し、私達を恐怖からお救いください…!」
「父さっ…んん!!」
何か言いかけた坊やの口を奥方が塞ぐ。旦那の言葉。それは、アナスタシアを国に売る事で家族の救いを得ようとする内容だった。
少し経てば階段より雁字搦めに拘束され兵に連れられたアナスタシアの姿が見えた。坊やは奥方の力が緩んだ隙に、そちらへ飛び出す。
「っ…!」
「坊やっ!!!!!!!!」
「違う!!お姉ちゃんは魔女なんかじゃないから!!お願い、連れて行かないで…」
「…その小僧も連れていけ。術に犯されている」
「違うこの子はっ!!どんなものにでも優しいだけなのです!!!どうか!!!どうか!!!!!!」
「心配するな、祓い清めるだけだ」
「あ…あ……」
「母さん!!!父さん!!!!兄ちゃん!!!!!お姉ちゃん!!!!!!悪者めっ!お姉ちゃんと僕を離せっ!!!!」
「大人しくしていろ!」
縄で縛られ荷車へ乱雑に放り込まれる。
祓い清めるといって坊やが連れて行かれたのは、薄汚い牢屋だった。
「お前も魔女からの洗脳を受けた1人として、異端審問にかけられる事が決定した。母親、父親、兄もだ」
「そん、な…あ、お姉ちゃんはっ?!」
「あの女は証拠を吐かせた後、処刑が決まっている。今夜はぐっすりと休むがいい。明日は楽しい尋問だから体力付けとけよー」
鉄格子が閉まりそこへ厳重に鍵が掛けられて、下賤に嗤った兵士が去っていく。坊やの心は、恐怖と悲しみ、絶望に支配されていた。それでも規則正しい生活の中で培われた体内時計だけは正常に機能していて、硬い石の上で涙を零しながら浅い眠りに就いたのだった。
「お前達の憶測通り、私は魔女だ。いずれあの家族は全員喰らう予定でいた。何故すぐにも殺さなかったか、か。村の者を先に食す為には一時的にも住処が必要だったのだ。あの家は食事を溜め込み息を潜める縄張りのようなものだった。それとお前達から伝えてやると良い、私は部屋を通り抜けられるため、あのような鍵や目張りは無意味だ。」
翌日、早朝からアナスタシアの尋問は開始されていた。あの時一階で旦那が叫んだ通りの内容を白状する。彼は家族を守った。それは正しい判断だったとして、アナスタシアは自身を国へ売った彼を恨んでなどいなかった。そもそも最初に倒れていたアナスタシアをこの家へ運んできたのは彼だと言う。見付けた時放置していれば、こんな事にはならなかった。それなのに、どうしてアナスタシアが彼らを恨む事が出来ようか。
「あの家族はお前の事を周囲に相談もしていなかったようだな。それはお前の術に掛けられていたからなのだろう?」
「そのような事はしていない。する必要もない。第一相談なんかしようものなら村から疎まれ迫害されるだろう。そうすれば私もあの家を拠点に村人を喰らう事が出来なくなる。あの家族なら恐怖で相談など出来る訳あるまい。魔女を見縊るな、住人の性質も考えて縄張りは選んでいる」
「…貴様、家族を庇っているな?おいそこの奴、アレ持ってこいアレ」
そう言ってアナスタシアに対する拷問は始まりを告げた。
内容は、アナスタシアが家族に術を掛けていたか。
それは、ただ単に兵士たち、聖職者の己の地位の向上目的であるのと、遊びであり暇潰しにすぎなかった。
「くっ…!何故死なない?!」
「手足が…は、生えてっ…?!」
「魔女が火刑で滅ばないなど!!そんな、ありえん!!」
「くそっ!心臓を穿てば死ぬんじゃなかったのか!!」
「落とした筈の首が、何処にもない!!「おい…首、生えてきたぞ…」
「チッ!あの家族は全員処刑だ処刑!!こんな化け物匿ってやがったんだから当然だよなあ!!」
「っ…!家族には、今死んでしまっては困る為呪いを掛けてある…手を掛けた者の魂が私に永遠に囚われる呪いを。私を処刑すればそれも解ける。奴らの処刑はそれからでも遅くないだろう。私は穢らわしいお前達の魂など要らぬ」
「何っ?!その魔法を解け!今すぐ!!」
「解けぬ永続魔法だ。残念だったな」
「くそっ!!!!」
己を魔女だと名乗る女が現れた。拷問しても、処刑しても、死なない。そんな噂がいつしか街全体に広がり、やがて王朝まで届いた。
「民は混乱しております。陛下。」
「うぬ…処刑出来ないというのが誠ならば、…最早永久に封印するしかあるまい。西には人が立ち寄らぬ黒い森があっただろう。そこを魔女封印の地とする。」
「は。では直ぐにでも手配を。それと、魔女を匿っていた家族は魔女の呪いを受けている為処刑をした者は死ぬらしく、兵士達は処刑したがりません。陛下、ご指示を。」
「そんなもの、魔女が家族を庇う口実であろう。何なら其方らを先に処刑台へ乗せても良いとの旨を伝え、死刑を執行させるがいい。」
「承知いたしました。」
アナスタシアの封印の計画が始まるのと、彼らの処刑が決まるのは同時であった。それをアナスタシアが知ったのは、それから何百年か経過した後。
ー記憶と真実ー
思わず溢れた涙は、相変わらず美しい宝石に変わった。
2015.09.13 Yuz
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