「………………」
「…っくく、失礼。迷子、ですか。確かにこの学園、もとい正十字学園町自体が広い上に入り組んでいる部分がありますからね」
「………別に、そんなに我慢なさらず笑ってくださって結構ですよ」

 やっと笑い止んだと思ったら、自身が口にした“迷子”の言葉でまた噴き出しそうになる理事長。なんとか笑うことをこらえている様子がいたたまれない。許されるのなら理事長を放置してとんずらしてしまいたいくらいに。爆笑されるよりも見るからに引きつった表情で我慢される方が心情的に、辛い。半ば投げやりに、呟く。

「いえ、もう大丈夫、ですヨ」
「頬、引きつってますけど」
「……気のせいです★」
「……………………」

 どうしてこんなに惨めな気分を味わわなければならないのか。元はといえば、私の至らなさが招いたことなんだ、けれど。しばらく歪んだ表情を取り繕おうと悪戦苦闘していた理事長は、やっと姿勢を正し私に向き直る。それまでのやりとりを誤魔化すように、咳払いを、ひとつ。

「ごほん。……さて、浅葱紺さん。先にも言いましたがここは、そう簡単には立ち入れない場所なのです」
「はい」
「鍵を、拾ったと言いましたね。よろしければその鍵を見せていただけませんか?」
「はぁ、どうぞ」

 差し出されたピンクの手袋(…)をはめた手のひらに、ポケットに突っ込んでいた件の古びた鍵を落とす。つまみ上げた鍵をまじまじと観察した理事長は、ふむ、と一人納得したように頷くと、それを私の手のひらに押し付けた。戻ってきた鍵、もとは落とし物(…多分)であるそれを眺める。特に変わった様子は、ない。

「この学園や街には、特別な仕掛けで易々と立ち入ることが出来ない場所があるのです。ここも、その一つ」
「え、でも……」
「そう、貴女はここにやって来た。その鍵は少々変わった代物でして、どんな扉でもその鍵で開けばこの場所に通じてしまうのです」
「……………」
「やはり、俄かには信じ難いですか? でしたら実際に試してみるといい。その鍵は貴女に差し上げます★」

 落とし物じゃあ、ないの、か。勝手に貰ってしまっても、いいのかな。握りしめた手のひらに視線を落とす。
 そもそも、理事長が言ったことはあまりにも現実離れしていて、どうリアクションすればいいのか、わからない。だって、それは常識というか、世の中の摂理というやつからは逸脱している(一種のどこでもドア、みたいなものじゃないか)(色々と制限はついているみたいだけど)。
 云わば、魔法。
 ……からかわれて、いるのかしらん? 胸中の疑問に答えてくれる人は、いない。眼前に立つ唯一の人は、相変わらずの笑みで佇む。言いたいことがないまぜになったため息はかたちになることを許されず、鉛のように重たく、肺腑に沈んだ。
 結局、しばしの逡巡の後に鍵は私の制服のポケットに落ち着いた。たかだか、鍵。かさばるような物でもない、持っていたところで何か困ることもないだろう……多分。

「さあ、もう暗くなってしまいます。早く寮にお帰りなさい」

 心なしか満足げな理事長は私の後ろ、古ぼけた扉を指差し示す。そりゃあ、私だって帰れるものならば、さっさと帰りたい。あれだけ爆笑したのにもう忘れてしまったの、か。現在私は……迷子、である。帰り道が分からないのだ。それとも、敢えて気付かぬふりをしているのか。だとしたら、かなり性格が歪んでいらっしゃる理事長だこと。
 自然、皺の寄った眉間を指でほぐして顔を上げる。白い道化は扉の前に進み、ゆうるり手招いて、いる。促されて足を踏み出す。

「ここから寮まで帰るには時間がかかり過ぎますからね、特別に送って差し上げましょう」
「は、え、いや……だ、大丈夫ですよ、別に」
「本当に?」
「…………………」

 口にはしなかったものの、暗に迷子だろう、と示されれば黙るほかない。沈黙は肯定を如実に物語る。三日月の形に口を歪めた理事長は手にしていた傘を緩く振った。

「1、2、3!」

 日本語ではない響きの言葉。ポンと軽快な音とはじける煙(やはり、ピンクなのだ…)。何事かと目を瞠る私の眼前に突き出された拳。ゆっくりと開かれたそこから落ちた何かを、反射的に両手で受け止める。薄闇が忍び寄る中で、その“何か”は橙の光を受けて艶やかに煌めいた。冷たい感触、金属製のそれには見覚えが、ある。私の制服、そのポケットに収まっている鍵によく似た鍵が、手のひらの上に鎮座していた。
 理事長よりも、ピエロや手品師の方が向いているのではなかろうか。それほどまでに鮮やかな動作だった。

「その鍵を使ってみてください」

 言われるがまま、鍵穴に手中の鍵を差し込み、扉を開く。

「……っ、」

 絶句、した。扉の向こうは私が来た時に通った通路ではなく、ようやっと慣れてきた学舎の教室が広がっていたのだから。まさに、手品、魔法。有り得ない筈の光景に、私の頭がおかしくなってしまったのだろうか、としきりに瞬く。
 いくら時間を経ても、状況は変わらなかった。開いたままの扉に差しっぱなしの鍵を抜いた理事長は笑う、わらう。

「信じていただけましたか?」

 開けばどんな場所からでも同じ場所に通じるという、鍵。そんな馬鹿げた話、ある筈ないと思っていた。……だけど。現に私は、同じ扉をくぐって全く違う場所へ出る、というあり得っこない経験を、した。自身の経験が、何よりの裏付けだ。
 顎を引く。本当に小さく、頷いた。彼の話が本当ならば、ポケットに収まる鍵も同じく変わった力をもつものなのか。まじまじとポケットを眺める私に、白い道化は笑みを深める。
 静かに哂って、いた。





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