真新しい制服に袖を通し、見知らぬ人に囲まれ、式典お決まりの堅苦しい話を聞き流す。テンプレート通りの使い古された式辞を読み上げる来賓を眺め、うっそりと眸を眇める。開式の辞から四半時、既に、意識を手放して居眠りと洒落込む新入生も多い。麗らかな、あたたかい春の一日だった。いくら自らが主役である入学式と云えど、退屈なものは退屈なので、ある。左隣でうつらうつらと船を漕ぐ新入生仲間を横目に、いっそ自分も彼に倣ってしまおうかと欠伸をかみ殺す。
 最初は、高校生活のはじまりであるのだからしっかりと起きておこうかと思ったのだが、どうにも退屈に過ぎる。中途半端な長さで頬をかすめる髪を払い、視線を壇上に向ける。気付けば、先まで長ったらしい式辞を読み上げていた来賓はそこからいなくなっており、代わりに私たちと同じ、新品であろう制服を纏った男の子が立っていた。
 つらつらと、新入生を代表して挨拶をする彼の些か緊張した面持ちが、頭の隅に引っかかる。既視感。以前、どこかで会ったことがある、ような。しかし、私の座す席から壇上で背筋を伸ばした彼までは些か距離があり過ぎた。遠目に見える彼の顔は朧気、はっきりとは視認出来なかった。……眼鏡、持ってくれば良かった、な。一人ごちて、凝らした目をまばたきで潤す。授業の折にはかけているものの、今日は必要ないと判断して眼鏡は寮に置いてきてしまった。正確な目鼻立ちまで分かりはしないし、きっと気のせいに違いない。他人の空似。割合よくあること、だ。

「―――新入生代表、奥村雪男」
「………、……」

 どうして彼が気になるのか。延々と記憶を辿っていた私が顔を上げた、その時。見計らったようなタイミングで挨拶が終わった。少し堅い、落ち着いた声が名前を紡ぐ。やはり、それは、私の心に引っかかるのだ。 何だろう、聞き覚えのある、名前。つい最近、ほんの少し前に、聞いた、ような……。

「………ぁ、」

 ぱちん、と。何かが弾けたような。かちり、と。歯車が、噛み合ったような。明け方になる、少し前。夢を見た。懐かしい、ゆめ。いつかの昔、会った……夢で見たその子に彼、奥村雪男はとてもよく似ていた。名前までも。私は、夢の中でその子を“ゆきお”と、呼んでいた筈だ。
 なんて、偶然。………或いは、それとも?
 ぐるぐると考え込んでいるうちに、奥村雪男くんは壇上を去り、長い長い入学式は終わっていた。ぞろぞろと、式典を行っていたホールから出ていく生徒の波にのまれ、流される。桜の花びらが舞う校舎へと伸びる道で、流れをかき分けため息を吐いた。自然と視線を巡らせ、目当ての人物を運良く探し当てる。
 長身で、眼鏡。レンズの向こうの眸は細められ、困惑を示すように眉はハの字になっていた。奥村くんは、複数の女子に囲まれ笑っていた(苦い笑み、だ)。わらわらとした固まりは人目に留まる、辟易した姿に足を止めた。人の流れに逆らう私の行動に、後ろを歩いていた生徒が苛立ったように歩調を乱した。制服の波をかき分け蟻のような行列から逃れる、ひと息ついて、思案。少し離れた場所の彼ら近付くには奥村くんを囲む女子の輪を突破せねばなるまい。はて。そもそも、私は彼と会ってどうしたいというのだろう?
 彼が私が幼い頃に会った“ゆきお”くんかなんて分からないし、仮にそうだったとしてどうなるというのだ。ただの一度、会ったということが何になる。そのことを彼が覚えている確証なんて有りはしないし、ましてや、人違いだったとしたら笑えない。
 同じ学校にいるのだ、縁があれば話す機会もあるだろう。しばしの逡巡の後、そう結論を出した私はだらしなく半開きになった(声をかけるか迷っていたからだろう)口を閉じて、校舎へと流れていく人混みに再度身を投じた。










 正十字学園は名門と称される学校である。親の(主に母の)強い勧めで入学した私だけれど、よく受験戦争を勝ち抜いて入学できたものだと我ながら思う。全寮制で、正十字学園町の中心に位置する学校の利便はよく、別段、特に不都合や不満があるわけでもない。心配していた授業の方も、恐れていたほど難しいものではなかった(まぁ、それは私が属する普通科の話であって、特進科ではきっともっと難しい授業が行われているに違いない)(そもそも、こんなことを言っているものの油断すればあっという間に授業に置いていかれそうな気もする)。
 とにかく、高校生活がはじまって数日。はじめての休日を明日に控え、私を含め新一年生はどこか浮き足立っていた。不都合はない、と言ったけれど親元を離れての寮生活。それも一人部屋ではなく複数人での部屋の共有は、プライベートの確保が難しく、ましてやいきなり見知らぬ人との相部屋。幸い、同室の子とはうまくやっていけているからいいものの、少なからずストレスは蓄積していた。やはり、息抜きは必要だと、思う。
 終業のチャイムが鳴るなり、教室からは休みを心待ちにしていた生徒が駆けていく。元気だなぁ、と。少々年寄りじみた感想を心に浮かべて、自身も彼ら彼女らに続くべく教科書を詰めた鞄を持った。

「浅葱さん」
「……なに?」

 ずしりと重い、教科書の類がひしめき合っている鞄に眉を寄せ、椅子から腰を上げる、と、柔らかい声に名前を呼ばれ首を傾げた。声が聞こえたのは私の右側。そちらに向き直れば、ピンクじみた茶色い頭が視界に入る。隣席の志摩くん、だった。
 声をかけられた理由がわからず、単刀直入に用向きを尋ねる。彼は、人懐こい……というより女好きの気があるらしく、入学直後から女子とあらば誰彼構わず話しかけていた。隣席、というだけあって私はその中でもよく声をかけられている方なのだろう。軽薄、とまではいかないけれど、とにかく軽い志摩くんは、だけど、憎めないだけの人の好さを持っていた。自分から進んで人の輪に入りたがらない私にとっては、手を引いてくれるありがたい存在、のような気もしないでもない。まぁ、兎にも角にも軽いのだけれど。

「なぁ浅葱さん、自分この後暇?」
「ああ、なるほど」

 志摩くんの疑問には答えず、納得したと頷く。反対に疑問符を飛ばす彼の、問いかけの答えを促す眸に従い、小さく首を左右に振った。途端、大げさにショックを受けたと身体全体で表す彼にゆるく笑いかける。
 京都、と言えば風流なあイメージがついて回るが、やはり京都も関西圏。彼のリアクションはテレビで見る芸人に通じるところがあるなぁ、とぼんやり思う(志摩くんは京都出身らしい、独特の訛りで喋る)。

「特に用事はないけど、ごめん」
「用事もないのに何で!?」
「一人で町を回ってみようと思ってて」

 正十字学園は広い。従って、学園がある町も、とても広い。寮で一人になれない以上、町か学校で落ち着いて一人になれる場所を見つけておきたかった。居心地が悪いわけではないけれど、だけれど、偶には一人になりたい時は、ある。だから、ちょうど明日は休みであるし、今日は学校の探索でもしてみようと思っていたのだ。
 “一人で”と強調したわけだから、察しのいい彼は諦めてくれるだろう。そう、考えていた。

「ほんなら明日は…!」
「あれ……食い下がるね。それより時間いいの? いつも授業が終わったらどこかに行ってるみたいだけど」
「あ、あかん! いつの間にこんな時間……坊に怒られてまう…!」

 予想に外れ、翌日の都合を尋ねられて目を丸くする。今日が駄目ならば明日だって町をふらつこうと思っていたから、確約はできない。さて、どうしようか。一拍、間を置いてから時計を指差した。
 入学してから今日まで、志摩くんは授業が終わればふらりと姿を消していた。何か、用事でもあるのだろうか。確かめたことはないから、分からないのだけれど。
 そんなことを思い出しての行動だったが、効果はあったようだ。時計を見るなり血相を変えて志摩くんは立ち上がる。せかせかと荷物を纏めるなり「おおきに!」とだけ言い残し、脱兎の如く駆けていった。残された私はただ呆然と、そんな彼の背中を見ているだけしか出来なかった。
 人のいなくなった教室で、馬鹿みたいに呆けているのも時間が勿体ない。ピンクの頭を見送った私は、のっそりと動きはじめる。目的は、当初の通り。一人で落ち着ける場所の探索。言うなれば、自分だけの秘密基地を探す。そんな、感じ。
 実に子供じみているが年甲斐もなく、わくわくと高まる気持ちに、自然、足取りも軽く歩き出す。人通りの少ない方、少ない方へと進んでいけば、あまり使われていない雰囲気の教室が並ぶ廊下。更には少々古びた階段を降りて、歩く。気付いた時には、辺りに人の気配はなくなっていた。
 広い学園の敷地内には、どうしてか、やたらと入り組んだ造りになっている場所が、多い。授業に使う教室への道を覚えるのにも、いま暫く時間がかかりそうだ、と。そこまで考えて、はた、と我に返る。
 恐る恐る振り返った道。私が、先まで歩いていた、道。どこをどうやって、今いる場所にたどり着いたのか、覚えて……いない。

「もしかして、もしかしなくても、……迷っ、た?」

 ざっと血の気が引いた。あは、あはは……と、誰がいるわけでもないのに場を誤魔化すように笑う。しん、と静まる廊下に笑い声が響くのが、更に哀愁を誘った。引き返すか、このまま探索を続けるか。今更戻ろうとしたところで、きちんと正しい帰り道を選べる気はしない。それよりは、続けて道を進んでいくことで誰かに出会えないだろうか。もしかしたら、運良く見知った場所に出るかもしれないし。
 進むか、戻るか。考え込んだのは僅かな時間。天秤は呆気なく傾いた。後ろよりは前に、戻るよりも進むことを。後退よりも前進の方が好ましいと、特に何の根拠もないまま私は行く道を決める。最悪、今以上に迷ってしまったとて、誰か探してくれるだろうし、どこか人気のある場所へ行き着くで、あろう。思えば、底無しに甘い見立てであった。





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