ήρωαςの続き


 地上の星という言葉があるが、それはこの男のために作られた言葉なのかもしれない。

 戦場を駆ける彼は正しく星そのもので、跳ね上がる体が光を纏って眩い閃光のように煌めいていた。空を飛び回る姿は影を引いて残り、その様は息を飲むように瞬時に右から左へと移動し一瞬たりとも目を逸らすことは許されないような錯覚さえする。
 私を庇うようにして悠然と立つ、私よりも高いその背には橙色の布が風を受けて強くはためいて、右手に握り込まれた槍が魔力を帯びて煌々と光っていた。
 今夜は空に星がない。月もない。暗い夜であったが、まるで昼間のように辺り一面を見渡せる程に明るい。それはアキレウス自身が発光しているかの如き強い光に包まれているからだ。アキレウスは天駆ける騎兵であるが、地上でこそその煌めきが最大に達するのだと、壁のように立ちはだかる背丈を見上げながら思った。
 風のように舞って目の前に着地したアキレウスの圧力に負けた地面がひび割れて亀裂が入る。その鼓膜を突き破るような轟音に耳を塞ぎながら音の発生源を見ると、アキレウスが腰を落とし、右手に携えた槍が強く握り込まれたことによって穂先が勢いよく前方を向いていた。ジャリ、という目の粗い砂を踏む音がして、彼の右足が跳ね上がる。
 間抜けに口を開けたまま息をする暇も見つけられない私の前から、稲妻の如き速さで駆け出していくその速さはおおよそ人間の目では捉えることは不可能で、彼が通った後は風が吹いて砂が地から舞い上がり、固い地面がむき出しになったいた。細かな砂埃が魔力の残渣を受けて光り輝く様は、氷が陽の光を受けて輝く様相に似ていて、思わず見惚れてしまう。
 アキレウスの足は人智を超えていて、私の目では彼は人の形として捉えられず、緑色の光が動いているようにしか見えない。目の前を通り過ぎる緑光に呆気に取られていると、一拍遅れて血潮を吹き出す敵が目の前で次々と崩れていく。肢体が飛散したソイツが呻き声を上げて此方に手を伸ばして来る様が恐ろしくて、私は慌てて一歩下がった。足を失っているというのに、這いずるようにして上体を滑らせて此方に近寄ってくる醜悪なソイツの生命力がやけに恐ろしくて、私は悲鳴すら満足に上げられぬまま後ずさる。
 そんな、血の気を奪う程に恐ろしいソイツらから隠すように、アキレウスが私の前に立ちはだかる。未だ息のある敵の喉元目掛けて槍を一突きしたその背中の広さに、忘れかけていた安堵が蘇って、恐ろしくて竦んでいた足がようやく土着した感覚があった。引き抜かれた刃に付着する血を振り払う様に槍を振ったアキレウスが、首だけをこちらへ向ける。

「なあマスター。アンタは俺を信じてくれるか?」

 振り返ったアキレウスが私の震える手を握り込んで同じ言葉を呟いた。アキレウスはその後、とかくそれ以上の事を言っては来なかったが、私には彼がその先に続けようとしている言葉が手に取るようにわかった。
 アキレウスは宝具解放の有無を私に問うているのだ。苦渋の決断だった。私の魔力量では、宝具を解放したのちの彼の消滅は免れない。それでも、この状況を打開するにはそれしかないのだと、その目は言っている。目は口ほどにものを言うというが、これほどまでに意思の強い眼差しは見たことがなかった。だからこそ、私も覚悟を決めなければならないのだと、そう思った。
 開けたままだった口を固く結ぶと口の中に入っていた砂の存在を実感して顔をしかめてしまう。他に方法は、平和主義の脳内は未だ宝具という選択肢を外そうとそう思案するが、何も浮かばない。きっとこの場での最適解は、アキレウスの宝具を解放することのみなのだろう。マスターとしての真価を問われているような状況に、体中の力が入った。
 私は今一度、自身のサーヴァントを見た。その目には迷いも葛藤も浮かんでおらず、ただ打倒の闘志が色濃く渦巻いている。その目に後押しされるようにして、私は何も言わずに頷いていた。どれだけ考えても、もう方法が浮かばなかった。

「宝具を使うってことは、俺の宝具が走り出すまでの数秒間、俺はアンタを庇って戦うことが出来ないってことだ」

「アキレウスが全力を出すまでの間くらいなら何とかしてみせるよ」

 話している間にも関係なく襲い掛かる敵を片手で薙ぎ払いながら、アキレウスは影を落とした表情で言う。私は再びアキレウスの言わんとすることを察して、小さく頷いた。サーヴァントに余計な心配をさせるだなんて、マスターとしてまだまだだ。そう実感したが反省なら後でいくらでも出来ると、彼の闘志に負けぬよう瞼に力を込めてその強い眼差しを見返した。
 本当は、自信などこれっぽっちもないのだ。してみせるとは言ったものの、何とか出来るかもわからない。それでも、自身の消失さえ覚悟しているサーヴァントの前で彼のマスターである私が弱気になどなっていられないと、震える奥歯を押さえつけるようにして顎に力を入れて拳を突き出して見せると、アキレウスは笑って己のそれを合わせた。

「強くなったな、名前」

 不意打ちで褒められて頬に熱が上がる。合わさった拳の大きさの違いに跳ねる心臓を抑えて、アキレウスと共に遥か先に居座る敵を見据えた。



 指笛が鬱蒼とした空気を切り裂くように響く。空が開いて異空間から三頭の馬が姿を表した。いつもは嫌らしい笑みを浮かべて言う事を聞かないと手を呼招いている神馬が、主人に負けず劣らずギラギラとした目を光らせてアキレウスを見詰めている。一際力強く首を引いたクサントスが目線だけで乗る様にアキレウスを煽って、騎手が乗り込んだ戦車は次第に加速しながら上昇する。左手に手綱を握り込み、右手に槍を構えたアキレウスが心底楽しそうに口角を歪めていた。

「流れ星がなんだ。全部追い越してやる」

 怒号の合間に聞こえるアキレウスの落ち着いた声に耳を澄ました。鼓膜をすり抜けるその声は不思議とざわついた心を統制するようで、胸を抑えて目を瞑る。恐らくこれが最後の戦いになるだろう事は、誰に説明されるでもなくわかっていた。蘇るこれまでの戦場での記憶。その全てにアキレウスがいたこと。ここで私が少しでも手を抜けば彼は全力を出し切れずに私たちは負ける。出し惜しみは出来ない。“この一撃に全てをかける”という彼の力強い意思が、言葉にせずとも伝わって来た。だからこそ、マスターとして私が出来ることは、自身のサーヴァントを信じて、全ての魔力を預けること。そう決心して目を開ける。
 地面から足を離したアキレウスが、私の言葉を待つように此方を見ていた。私は、胸に当てたままであった手を静かに離して息を吸い込む。自身の手がアキレウスに引けを取らない程に煌々と輝いて、眩い赤色が線を引く。彼に向かって伸ばした腕の先で令呪が発動した。

「令呪を以って命じます。────奴を倒せアキレウス!」

 令呪の光が後を追う様に真っ直ぐに彼に向って流れていく。魔力が増大するのがわかって、アキレウスの体が一際強く光を纏った。彼がこちらを向いて口角を上げる。

「これが最後だ! ちゃんと見てろよ我がマスター。いや、名前! 」

 それから彼は、もう二度と振り返らなかった。
 アキレウスは戦車に乗り込んだ時こそ本領発揮、というところなのだろう。単騎でも十分過ぎる程に強い彼は一見するとそのクラスさえ忘れかけるが、間違いなくアキレウスは、最高のライダーだ。

「アキレウス!」

 喉が張り裂けそうな程、叫んだ。否、実際、張り裂けた。舌の上に鉄錆の味が広がる。長い人生の中で恐らくこれ程までの雄叫びを上げることは、そう回数があることではないだろう。

「我が戦車は星のように」

 宝具解放の合図と共に魔力が最大に達する。それは緑色の稲妻のようでもあって、溢れ出した魔力がビリビリと肌を焦がす。自身の魔術回路が軋んで悲鳴を上げるような感覚と、回路を伝って彼の方へと流れて行く膨大な量の魔力に体の中から焼き切られそうになって、腕で体を抱いて座り込んだ。アキレウスと私を繋ぐパスがあまりの魔力量に振りきれてしまわないか心配になる。座り込む私に集ってきた敵は、攻撃を仕掛ける前に魔力の残渣に巻き込まれて塵の様に砕けていった。初めての感覚に戸惑いつつ、耳に届く自身の口から吐き出される嫌な喘鳴音に眉をしかめながらアキレウスを見つめる。

「疾風怒濤の不死戦車」

 アキレウスの夜空を切り裂く声が鋭く響いて、遠くで光が爆ぜた。彼のその光の強さは大気圏をも突破しそうな勢いである。銀河系を飛び越えてどこか遠くまで行ってしまいそうだと、何となく、思った。地を離れ、月も星もない光を忘れた夜空を彩る眩い緑閃光は、直線状に残影を引いて次第に消えていく。

 地上の星という言葉があるが、それはこの男のために作られた言葉だと思う。

άστρο

あとがき

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