「マスター、おはよう。朝だよ」

 微睡の中に響く聞き慣れた声が鼓膜へ届く。抑揚のない優し気なその音を聞きながら覚醒しきっていない頭でぼんやりと考える。今日は完全にオフの筈だ。だというのに、何故私はこんな早くに起こされているのだろう。カルデアは雪に閉ざされているから今が夜なのか朝なのかも太陽光での判別は出来ないけれど、昨晩、正確にはもう今日だが――布団に入り込んだのが三時を回っていたし、眠りについてから数時間しか経っていないことは体感で何となくわかる。ユサユサと体を揺らされる感覚に唸り声を上げてその揺らぎから逃れる様にして寝返りを打つと、枕元に置かれたデジタル時計が目に入って薄ら目で時刻を確認すれば、まだ夜も真面に明けきっていないような時間で、私は現実逃避をするように欠伸をひとつ漏らした。

「マスター、名前ってば」

 私の顔前にカーテンのように降りた前髪を指先で払ったエルキドゥが静かに溜息を吐いてベッドに向けて屈めていた体を起こしている。欠伸の所為で溜まった涙を拭いながら目を擦ると、眉を下げたエルキドゥが優しく笑っていた。私は涙を拭いた指先をベッドに力なく落としながら駄々を捏ねる子どものような気分で口先を尖らせると、ベッド脇で私が起きるのを待つエルキドゥに向かって手を伸ばしながら固い口を何とか動かした。

「眠すぎておはようできない」

 何とか目は開けられるが、それも片目だけだ。体の方は一切動かせる気がしない。昨晩、明日は休みだからと調子に乗って夜更かしをし過ぎたのが祟ったのかもしれない。ドクターには休みとは言えいつ何が起こるかわからないからいつでも出られるように準備をしておいて欲しいと言われているし、実際こんな世界が滅亡するかもしれない状況下において本来であれば休息など取っている場合ではないのだろうが、私とてまだまだ夜更かしをしたいお年頃、というやつだ。こんな大業に身を置く立場であっても、いくら住んでいる場所が世間と隔離された人里離れた山奥の中であっても、同年代の子らと同じように、休みの前日には寝ずに夜を明かしたいのだ。大みそかの夜、寝ずに朝を迎えたいあの気持ちと全く同じである。ドクターも「あまり君を縛り付けたいわけじゃないんだ。常に張り詰めていたら休めるものも休まらないからね」なんて言ってくれたのだし、何も私は悪いことをしたわけではない。ただ単に昨日は夜更かしをしたというだけのことだ。
 未だ確りと覚醒してはいない頭を夢うつつの中で回転させながら、何故こんな時間に自室にエルキドゥがいるのかを模索するがわからない。一体全体どんな案件でエルキドゥは今そこに立っているのだろう。
 そう思ったが、最早それを聞くことすら面倒で、私は再び目を閉じると布団を被り直した。エルキドゥはそんな私の行動に呆れたのか、さらに抑揚のない声でさらりととんでもない名を出した。

「ギルが呼んでる」

「……ギルガメッシュ王が私を?」

 思わず聞き返すとエルキドゥはそうと短く答えた。

「だから名前が早く起きてくれないと僕がギルに怒られるんだよ」

 呼んで来いって言われたんだ、と言いながら私を揺らすエルキドゥの手を体に感じながら、なんだってあの王様は随分と早起きだと脳内で一人悪態を吐く。いや、寧ろ寝ていないのかもしれない。まあ世界的にも働き者だと言われている現代日本人以上に齷齪(あくせく)働く彼の姿を見てしまっている以上、眠っていない説の方が有力だろう。それも生前ならまだしも、サーヴァントとなった今では実質睡眠は必要ないのだから、その働き蟻の如き仕事ぶりはより苛烈さを増しているのかもしれない。
 王様が私をお呼びとはこれは早急に向かわねば後でどうなるかわかったものではない。そう頭ではわかっていても体がなかなか言うことを聞いてくれない。ああこんなことがあるとわかっていたのならば昨日はもっと早くに寝ておくべきだった。
 私は数時間前の自分を呪いながらも逆らえない倦怠感に体を支配されていた。布団の上からはそれでも体を起こさない私に対するエルキドゥの呆れたような声が聞こえるが、布に包まれている所為かその音はくぐもっている。それをいいことに私は聞こえない振りをして二度目の現実逃避をするように再び意識を眠りの世界へと持っていこうとするが、流石のエルキドゥもそれは見逃してはくれなかったようだ。

「もう……仕方ないなあ」

 そう言ってエルキドゥは私の布団を捲る。前に王様が部屋に乗り込んで来て彼直々に叩き起こされた時は布団を思い切り剥ぎ取られて部屋の冷気に凍え死ぬかと思ったものだが、それに比べてエルキドゥは随分と優しい起こし方をするものだ。兵器とは言え、流石は心を得ただけのことはある。寧ろ最初から心を持って生まれた筈のどこぞの王の方が余程、無情な起こし方をする。
 私はエルキドゥがどうやって私を起こすのか、若干の期待を込めつつ敷布団に左頬を押し付けて目を閉じていると、ふっと顔上に影が落ちるような薄暗さを感じた。それが何かを判断する前に剥きだしになっていた右頬に温かくて柔らかいものが触れる。その独特な感触を持つ「ソレ」が何かわからないほど寝ぼけていたわけではなかったから、その唐突な感覚に驚いて目を開けると、あ、起きたとエルキドゥは嬉しそうに此方を見ていた。
 その顔に何だか負けた気がして自棄になった私は、覚めてしまった目をこれでもかと開き、ベッドの前で屈んでいるエルキドゥの腕を引っ張ると思い切りベッドの方へと引き寄せた。エルキドゥは少し驚嘆したような声を控えめに上げて素直に布団に倒れ込んでくる。
 だがエルキドゥの体が予想以上に冷たくて逆にこちらが驚いた。だがそれもその筈で、私は眠る前に部屋の暖房を切っているのだ。カルデアは電力で数多のサーヴァントの魔力を代替している。エルキドゥ達を現界させておくためにも省エネしますとドクターに進言したのはまだ記憶に新しい。それに昼間はまだしも寝ている時は布団に入っていれば暖は確保できるのだから尚更だ。
 とは言え、エルキドゥの体は随分と冷たい。まるで生者とは思えないような慣れない冷たさに、少し寂しくなった。まあ霊衣自体見た目が薄手だし、極めつけは裸足とくれば必然的に体も冷えるのだろう。一人納得させるようにそんなことを思っていると、大人しく布団の中にいたエルキドゥが再び溜息をついて声を漏らした。

「僕は眠らなくても良いんだけどな」

「でも休憩があったっていいでしょう。今日くらい休もう?」

 エルキドゥが何か言っているが、私は全て右から左へと流すように言葉を遮った。ここで私がエルキドゥの言葉に従って布団を出たら、エルキドゥという存在はその瞬間役目を終えてこつと消え失せてしまいそうな、そんな覚束ない不思議な感覚に恐怖したのだ。この生身の人間にはないであろう体温に触れて、今だ寝ぼけた脳は要らぬ不安要素を旋回させていた。

「……はあ……。わかったよ。ギルには後で僕から伝えておくから。いい夢を、名前」

 そんな私の意図を知ってか知らぬか、意外にも諦めがいいのかはたまたもう面倒だと思ったのかすらわからないが、私の髪を一撫でしたエルキドゥが背に腕を回して寝息を立て始めるまでにそう時間は掛からなかった。眠らなくてもいいだなんて、随分な物言いだ。秒と待たずに眠りについたエルキドゥを見て、私は思わず笑っていた。エルキドゥの冷えた体に腕を回し胸に頭を押し付けるようにして目を閉じると、エルキドゥの心臓の鼓動が聞こえる。そんな、生者であれば当たり前の事実は、エルキドゥの作り物、という出自を考えて胸が一杯になって、私はその体に回した腕に力を込めた。



 ふいに部屋のドアが開く音がして薄らと目を開く。そこには眩いほどの金色が鎮座していて、廊下の明かりが逆光となってその顔は確認出来ないが、放つオーラに私は一目でその正体に勘づいて驚きで目を見開く羽目になった。鍵が掛かっている筈なのにどうしてこの王様はそこに何もなかったかのような涼しい顔で年頃の女の部屋に入って来られるのだろう。口癖のように事あるごとに無粋無粋と言う割に、本当に無粋なのは一体どっちだと眠気の八つ当たりで強気に出そうな口を噤んで余りに横暴な登場と鍵の意味を成さない自室の錠を恨みがましく見ていると、ギルガメッシュ王が渋い顔で声を漏らした。

「……何だこれは」

 全くもって理解出来んと言わんばかりに顔を顰めて腰に手を当てた王が吠える様に言い放つ。

「待てど暮らせど一向に現れんと思えば。おいそこな雑種、起きんか。お前も!何故雑種などと共にのうのうと寝ておるのだ」

 よもや我の言いつけを忘れたのではあるまいな、などと明け方の寝静まったカルデア中に響き渡りそうな程の大声で喋るギルガメッシュ王の声を尻目に、エルキドゥと布団の中で視線を合わせて笑いあったことは王様には内緒だ。

連累

あとがき

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