−君に贈る 今この刻を−

ティアのペンダントをグランコクマで細工師から買い戻した時。
その他の商品の中に何故か目を奪われてしまったものがある。
特別に何か変わっているわけでは無かったのに、どうしても目が離せない。
気が付いた時にはそれを手に取っていた。

今まで、ルークはナタリアに何かを贈りたいと思った事は無かった。
彼女が嫌いだというのではない。
当たり前だと思っていたのだ。ずっと一緒にいて、傍にいて当たり前。
彼女は無意識に自分のものだと思っていた。

そして傲慢で我侭な自分は傍にある人を喜ばせてあげたいなどとは思わなかったのだ。
その事をナタリアに告げたことがある。
そうすると彼女は微笑ってこう言った。

「貴方が傲慢だったからではありませんわ。ルーク貴方は、喜ばせたい、その気持ちをどう表現すればいいか理解らなかっただけですわ」

貴方は貴方が思っている以上に優しいのだと。

ルークの手の中、静かな輝きを放つ懐中時計。
その上品な光沢と、繊細さと気品を感じさせる百合の花の細工模様は何処かナタリアを想像させるものだった。

ぎゅっと懐中時計を握り締めると、脳裏に咲いたのはナタリアの微笑んだ姿だった。
今までずっと、そこにあるのが当たり前だと思って見過ごしてきたその美しさと愛しさ。
微笑って欲しいと思った。喜んで欲しいと。
そうして、すっと納得した。
何故、自分はこの懐中時計に目を奪われ、気が付けば手にしていたのかを。

ナタリアに喜んで欲しいと思ったからだと。

ティアがペンダントを手に微笑ってくれた時、『ああ、ナタリアにプレゼントを贈ったなら彼女はどんな風に微笑ってくれるんだろうか』そう思ったのだ。
だから、ナタリアを連想させる懐中時計を選んだ。
それがルークの意思だった。

彼女にとって偽者でしかない自分がこんな事をしても喜んでくれるどころか迷惑かもしれない。
一瞬、そんな事を考えた。
陽の光にきらりと反射した時計の表面をじっと見詰める。
そこに重なるナタリアの微笑。
それは過去、彼女が『ルーク』に向けたものだった。

『ルーク』ではなく、自分のために微笑って欲しい。

胸の中にくっきりと浮かび上がった『願い』に背を押されるように一歩踏み出した。
手の中の百合の花が、陽の光を受けもう一度小さな輝きを放った。



「ナタリア」

おずおずと静かに佇む後姿に声をかけた。
グランコクマの美しい景観を眺めていたナタリアはルークの声に振り返った。
碧緑の瞳を僅かに細めながら、小首を傾げてみせる。

「どうしましたのルーク?ティアとの用は済みまして?」

「あ、あぁ、何とか無事に買い戻せたよ。すっげー高かったけどさ」

「まぁ、お幾らでしたの?」

「10万ガルド。お陰で財布の中身もうすっからかんになっちまった」

「確かに高いですわね。でも…ティアは喜んでくれたのでしょう?」

「うん…。母親の形見だから、やっぱり大事、だもんな。『ありがとう』って言ってくれたよ」

ティアの微笑を思い出し、照れたように告げたルークにナタリアは優しい目をしてくすりと口元に笑みを浮かべた。
それはまるで弟を見守る姉のような眼差しで、ルーク自身見詰められて温かな気持ちになったけれど、でも、これじゃないのだと心の中は告げていた。
見たいのはこの笑みではない、もっと別のものだと。

「でしたら、きっと10万ガルドの価値はあったのですわ。貯金しておいて良かったですわね」

「あ、あぁ…そうだな」

相槌を打ちながら、掌に感じる硬質な感触。
けれど、ここに来てルークの中の弱気な心がその手を差し出すのを躊躇わせる。
そんなものいらないと言われたらどうしよう、と。
彼女は、ナタリアはキムラスカの王女だ。きっと今まで美しいもの、高価なものに囲まれて暮らしてきたはずだ。
そんな彼女にこんな何の変哲もない懐中時計など不釣合いかもしれない。
どうしてそれにもっと早く気付かなかったのだろう。

懐中時計を握る掌が汗ばむようだった。

プレゼントを渡すタイミングを掴めないまま、それでも完全には諦めきれず、何とか会話を続ける。

「ナタリアは、ここで何してたんだ?」

先程までの、たった一人で佇むナタリアの姿を思い出す。
水のカーテンを眺めていたその瞳は、何処かこの場所ではない別の場所を見ていたような気がした。
例えば、遠い昔の事とか。

今のルークではない『ルーク』との事かもしれない。
そう思うと、ルークの胸の中は小さな軋みを生み出した。
益々、贈り物をする勇気が遠のいていく。

そんなルークの気持ちは知らぬまま、ナタリアは一瞬視線をルークから逸らすように水の壁に走らせ、

「少しだけ、ルーク、貴方の事を考えていたのです」

また、ゆっくりと視線をルークに戻しながらそう答えた。

「俺の、事?」

自分の事を考えていたのだと言われ、意外な面持ちになってしまった。
咄嗟に返した返事はややぎこちないものになった。

てっきり『ルーク』の、アッシュとの想い出に浸っていたのだと思っていたから。

ナタリアはルークに向かい直し「ええ」と頷いた後、ふっと碧緑の瞳を細めてから、睫毛を伏せた。
長い睫毛がナタリアの美貌の上に仄かな陰影を作る。

「やはり貴方は根本的には変わっていないのだなと。昔から優しいところ、ありましたものね」

伏せられた瞳の中で、ナタリアは小さな彼女とルークの姿を探しているようだった。
そこには懐かしさと、愛しさ、少しの切なさも映しこまれているように見えた。


変わっていない、その言葉で一瞬ルークは固まったものの、すぐ後に続けられた言葉にほっと胸を撫で下ろした。
が、言葉の意味を理解すると途端に照れ臭さが襲ってくる。

『優しい』などと今まで面と向かって言われた事がないので、免疫が無く気恥ずかしい。

「俺が?優しい?…そんな事…」

「いいえ。優しいですわ。今もこうしてティアのペンダントを買い戻して差し上げたではありませんの」

ティアもきっとそう思っているはずです、とナタリアはまた、あの優しげな笑みを浮かべ、照れ隠しと自信のなさから否定の言葉を口にしようとしたルークを遮った。
やんわりとした口調だったが、そこにはしっかりとした意志が込められていた。

ナタリアの意志ある言葉はゆっくりとルークの中に染み入っていく。
自分は少しでも優しくなれているのだろうか、と胸の内に小さな喜びと自信が生まれてきた。

この自信に任せ懐中時計を渡してしまおう、そう思った瞬間、ナタリアの微笑は翳りを帯びてしまった。
差し出そうとした手が止まる。

耳に届くナタリアの声は翳りと同じ分だけの淋しげな響きを含んでいた。
何時も颯爽に王女然としている彼女には珍しい事だ。

「もっと早くに気づいていれば良かったと思うのです。乱暴な言葉使いの中にある貴方の優しさに…。そうすればもっと、『今』は変わっていたかもしれませんね…」

ナタリアが口にしたルークとの思い出。
王女とその婚約者としてではなく、ただの少女と少年としてナタリアに接したルークの事。

確かにルークの言葉使いや仕草は紳士的なものではなかったけれど、決して優しさがない訳ではなかった。

ナタリアが王宮での心無い噂に心を痛め、それでも泣く事はせず、だが上手く笑う事が出来なかった時も。
ルークは「うっぜー」、「面倒くせぇ」そう言いながらもずっとナタリアの隣で風に揺れる邸の花壇を同じように眺め続けていた。
「つまんねぇ」口ではそう言う癖に一歩もそこを動かなかった。ナタリアの心が落ち着くまで一歩も…。

それは紛れもないルークの不器用な優しさ。

「ですのに、私は過去の『プロポーズ』それだけに拘って、貴方の優しさを見過ごしてしまいましたわ…」

ごめんなさい。そうルークに微笑みかけた顔は笑っているはずなのに、今にも涙が零れるような深く哀しげなもので。

ルークの中に二つの感情が渦巻いた。

一つは、そんな微笑みが見たいのではないという気持ち。ルークが向けて欲しいのはそんな哀しげな微笑ではなく、ティアが見せてくれたような、喜びを纏ったナタリアの微笑み。
もう一つは、自分の不器用な優しさをナタリアが理解し、必要としてくれているという喜びにも似た感情。

その感情に背を押されるまま、自然と身体と口が動き出していた。
意識するよりも早く。

「今から、だって遅くないよ、ナタリア。そりゃぁ、確かに過去に戻る事なんて出来ねぇけど…、戻れるなら俺も過去に戻って遣り直したい事いっぱいあるけど、でも、それは無理だから。……けど、さ」

突然、捲くし立てるように、必死に言葉を紡ぎ出したルークにナタリアは驚いたように碧緑の瞳を見開いた。
勢いのまま、ナタリアの手をとり、掌の中に懐中時計を握らせた。

「けど…今より先の未来はまだ何も決まってない。『今より先』は変えられるんじゃないかなって…俺…。だから、ナタリア、俺のせいでそんな顔…そんな気に病む必要、ないんだ…」

真っ直ぐにナタリアを見詰めながら、そう告げて、ゆっくりと手を離した。
ルークの手を離れ、ナタリアの手の中に残る懐中時計。
刻まれていく、未来への秒針。

「ルーク……」

暫し呆然とし、ナタリアは動く事も、言葉を紡ぐ事もしなかったが、やがて掌に残された懐中時計の表面を撫でながら、

「あの、ルーク…これ、は?」

と、やや躊躇いがちに問うた。王女というよりも少女っぽさを感じさせる訊ね方だった。

「あ、えっと、その、なんつーか。さっきティアのペンダント取り戻しに行った時に、その…一緒に売られてて。それで、何か、ナタリア、みたいだなって思って、それで…つい、買っちまったつーか……けど、俺懐中時計とか使わねーし…」

「私に似て、いましたの?」

「う、うん…」

「それで、思わず買ってしまいましたの?」

「…うん」

まるで子供の頃のようなたどたどしいやり取り。

「…私に、下さいますの?」

「うん…」

「これは、プレゼント…ですの?」

「そ、それ以外何になるっつーんだよ。べ、別にこんな安っぽいもの、ナタリアは貰っても嬉しくないかもしんねーけど…」

勢い任せとはいえ、ガラにもない行動を取ってしまった自分に恥ずかしさが込み上げ思わずぶっきらぼうな言い方になってしまう。
その上何も言わず、さっきから懐中時計と自分を交互に見るナタリアの視線が痛い。

たっぷりと間が空き、いよいよルークが後悔しはじめた頃。
ナタリアは心底驚いたような感嘆の声を上げた。

「まあ、ルークが贈り物なんて、明日はケテルブルクの雪が止んでしまうかもしれませんわね」

「はぁ?何だよそれ。折角、喜んでくれると思ったのに」

「ふふ、冗談ですわ」

喜びよりも驚きを露にされ、何だか納得いかず、ぶすりと唇を尖らせたルークにナタリアはもう一度くすりと笑みを零した後、

「ありがとうルーク。とても綺麗ですわ。どんな宝石よりも…」

ぎゅっと懐中時計を胸に抱きしめ微笑した。

それはルークの記憶の中にある、どの笑顔よりも美しく咲き、宛ら百合の花のようだった。



懐中時計を愛しそうに両手で包み込んで、彼女は微笑ってくれた。

その微笑はどれ程のガルドや宝飾品よりも価値があるものだと思えた。

何故ならそれは、ルークにだけ向けられた『ルークのための微笑』なのだから。

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