そしてまた一つきみへの好きが増える


レイアはむすりと頬を膨らませつつ、木陰に座るジュードの隣に腰を下ろした。
所在なげに、日の光に目を細めたり、緑の絨毯を撫でたりしていたものの、やはり暇な事には変わりない。

彼女の隣に座る幼馴染は今、遊びに出る時に一緒に持ってきた参考書を読むのに夢中。
横からそれを覗き込んでみると、レイアにはさっぱり理解できない内容が羅列されていて、自分が読んでいる訳でもないのに頭がくらくらしそうになった。

一緒に遊ぼうと声を掛け、暫くは二人で駆けっ子をしたり、砂の城を作ったりして遊んでいたのに気が付けばジュードは何時の間にやら木陰へと移動し参考書を広げ始めてしまった。
基本、本の虫であるジュードが一旦こうして本を読み始めるとちょっとやそっとの事じゃ他のものへ興味を示さなくなってしまう。
その集中力たるや見事なもので恐らく今レイアが彼を揺さぶったところで読書を中断させる事は不可能だろう。
もう一度ジュードの手元を覗き込んでみたもののやはりさっぱり理解出来ない事に変わりはなく。
駄目元で彼の視線の先を遮る様に数度手をちらちらと振ってみたものの、予想通りその瞳がレイアに向いてくれる事はなかった。
レイアは不機嫌に膨らんでいた頬を更にぷくりと膨らませて拗ねてみせた。
勿論、それでジュードの意識がレイアに向くなんて事はない。

「つまんないの」

独り言にしてはやや大きな声で呟く。僅かな期待がそこに込められているなんて言うまでもない事だけれど。
けれど見事に期待は裏切られた。

元々レイアはジュードが本を読む姿を見るのは好きだった。
とある事故から大怪我を負い、その後遺症でベッドから殆ど身を起こすことの出来なかったレイアにとって、ベッドの脇に椅子を持ってきて静かに本を読み、時にはレイアに読み聞かせなどしてずっと隣に居てくれたジュードは救いだった。
まだ10を少し過ぎた程度の子供にとって、ただ病室でじっとしている事がどれだけ退屈でつまらないかなど考えるまでもなく理解できる事。
当然レイア本人だって暇だと思っていたし、走り回れない身体が嫌で嫌で仕方なかった。
窓辺から見える同年代の子供たちが走り回る光景と、そこから漏れ聞こえる楽しげな笑い声を溜息と共に物寂しい病室の中で聞いては表情を曇らせていった。
大袈裟な話、世界から取り残された気さえしたのだ。
そんな時、レイアが入院した小さな診療所の一人息子であるジュードが本を片手にレイアの病室にやって来る様になったのだ。
ここは小さな田舎町であるから、以前からお互い面識もあり、二人は所謂幼馴染の関係だったけれど、それでもジュードがこうやって自分の傍にやってきた事がレイアには不思議だった。
ジュードだって皆と同じに外を走り回って遊んでいたいに決まっているのに。
その事をジュードに訊ねても、

「僕がレイアの隣に居ちゃいけない?僕はこうしてるの好きなんだ。だからレイアさえよかったらここに居させてね」

と柔和な笑みを浮かべるだけだった。
今思えばそれはレイアに気を使った言葉で、本当は一人表情を翳らせていくレイアのためにそうしたのだろうけれど。
でも、ジュードがレイアの傍に居続け、自分を励まし続けてくれたのは紛れも無い事実で。
そのお陰かレイアは窓の外の音に気を取られる事はなくなった。
代わりに彼女の意識を占領したのは静かに本に目を落とすジュードの姿。
じっと見つめていると時々目が合って、にこりと優しく微笑ってくれた。
思えばそれがレイアにとって初めて『恋』を意識する瞬間だったのかもしれない。
恋と関連付けられるジュードの読書姿。
それはレイアを何処か甘い気持ちにさせてくれる。だからジュードが本を読む姿を見るのは好きだった。
けれど、今は……。

レイアはつい最近やっと事故の後遺症から回復し、こうして外に出て遊べるまでになったのだ。
院長でありジュードの父であるディラックから外に出てもいいと告げられた時、レイアはどんなに喜んだ事か。
これでジュードと一緒に外で遊べる。一緒に走って、一緒に木に登って、一緒に冒険して、一緒に…。
レイアの頭の中は『ジュードと一緒』の事で埋め尽くされていった。

他の子供達と同じ様に自分も外で遊べる事が嬉しかったし、その日を待ち望んでいた。
その上それがジュードと一緒ならもっともっと嬉しくて、楽しくて、幸せに決まっていると信じて疑いもしなかった。
だからジュードに「退院できるようになったよ。外で遊んでもいいって」と告げた時、

「良かったね、レイア。僕も嬉しいよ」

と微笑って手を握ってくれた彼の姿の上に退院した後の楽しい毎日を思い描いていた。
それなのに…。

ジュードときたら、レイアが退院した頃からより一層読書、というよりも参考書を広げての勉強にのめり込んでいったのだ。
レイアが誘えば遊びにはついてきてくれるものの、片手には何時も参考書が一緒にあって、暫く遊んだ後は直ぐにそれを広げてしまう。
これでは病室にいた頃とあまり変わらない。それがレイアには納得出来なかった。
自分が退院して外で遊べる様になればジュードだって喜んでくれると思ったのに。
ジュードと一緒にしようと思った事もいっぱいあったのに。
自分と一緒に遊ぶよりも勉強の方が楽しいと言われているみたいで悔しい。

それに何より。
置いて行かれる気がして不安になるのだ。
レイアの理解出来ない難しい本に集中するジュードは何だかどんどんレイアの知らないジュードにになっていくようで。一人で先に大人になろうとしているようで、寂しいし怖かった。
レイアの世界はジュードで溢れかえっているというのに。

だから、今は好きだったはずの読書をするジュードの姿を見ていたくないと思ってしまう。置いて行かないで、と。

「つまんない…」

さっきと同じ言葉を繰り返し、緑の絨毯から幾つかの野草を八つ当たりとばかりに引き抜き宙に投げた。
はらはらと舞う緑をさっと吹き付ける風が攫っていく。
遠く運ばれ小さくなっていく草の葉を見送ってからもう一度ジュードを覗き見た。
しっかりと参考書に落とされた視線。レイアの中に広がるムカムカとした気持ちと若干の焦り。
視線を参考書に移せば、タイトルが誇らしげに陽に輝き、まるでレイアに勝利宣言でもしているように見えた。
目下レイアの恋のライバルは参考書と相成った。

(ジュードは渡さないんだからっ!!)

物相手にそんな可笑しな感情を抱きながら、レイアは恋のライバルをジュードから引き離すべく、参考書を引っ張った。
ジュードの視界から消える数式の羅列。
そこまでされて初めてジュードの意識、視線はレイアへと向いた。
恋の戦いの一幕はレイアの勝ち、というところだろう。
但し、ジュードはレイアの行動に眉根を寄せ抗議の声を上げたが。

「レイア何するの?返して」

自分に向けられた言葉が、「どうしたの?」でも「放っておいてごめんね」でもなかった事にレイアの機嫌は益々悪くなる。
本の端に皺が入る程強く握り、ジュードの目からさっと隠す。

「嫌!!」

「レイア!!」

「嫌ったら、嫌!!」

「何でそんな事するのさ!?」

勉強を中断された上にレイアの行動の意味が理解できず思わず語気が強まったジュードの声に、レイアの中の寂しさと不安が反応した。
必死に本を隠しながら、大きな目には涙の膜が張る。

「だって、だって…ジュードが」

本は返さないとばかりにふるふると頭を振った瞬間に目尻の涙は宙を舞った。

「…レイア…?泣いてる、の?」

陽光に反射してきらきらと光ったそれでレイアが泣いているのだと知ったジュードは荒げていた語気を弱め、気遣わしげな声音で訊ねた。
どうしてレイアが泣いているのか分からないせいで困惑気味だった。

「泣いて、ない…」

本を背に隠し、強がってみるが、レイアの瞳に溜まった涙は次から次へとぽろぽろと零れ落ち、重力に従って地面を濡らしていく。

(置いていかないで、置いていかないでよ…)

感情が涙の雫となって溢れ、心の壁を突き破ってしまったみたいだった。

そんなレイアの立ち尽くし泣く姿にジュードは気遣わしげな表情を崩さぬまま歩み寄り涙をそっと拭った。

「嘘。こんなに泣いてるじゃない。…何処か痛いの?」

涙を拭われた優しい手付きに心の爛れが癒されていくような気が一瞬したものの、同時に投げかけられた言葉で再び爛れてしまう。

そうじゃない。
レイアはまたふるふると頭を振った。

「じゃ、何処か苦しいの?病院に戻る?一度診て貰った方がいいかも…」

レイアが勉強の邪魔をしたのは何か体調不良を訴えるためだと解釈したらしいジュードの顔には「ごめんね」という文字が張り付いている。
但しそれは、レイアが望んだ意味での『ごめんね』ではない。
ジュードの云わんとするごめんねはレイアの体調に向けてのものだ。
確かにレイアはまだ病み上がりだが今体調が悪い訳ではない。
痛んでいるのは身体ではなく心。
置き去りにされるかもしれないという恐怖がレイアの心を痛め、涙を生んでいるのだから。

「違うよ!!何処も、痛くなんかないよ!!」

病院に戻る必要もない、とありったけの声で叫んだ。

「レイア…?…じゃぁ…」

どうして泣いているの?、と困惑のままに小首を傾げるジュードにレイアはただ暴走した感情をぶつけるしか出来なかった。

「だって、ジュード、最近ずっと勉強に掛かりっきりで、私、と…」

涙で声が詰まり、ひくっとしゃくり上げた。

「私といても、すぐに遊ぶの止めちゃうし、ちっとも楽しそうじゃないんだもん!!」

まるで駄々っ子だと思った。それでも溢れ出した感情を押し戻すなんて出来そうもなかった。ただ、ただ吐き出すだけ。

「折角、、退院したら、ずっと、ジュードと一緒に、一緒に…いられるって…、楽しく過ごせるって…」

思ったのに。置いて行かないで、はしゃくり上げてしまった涙に呑まれ音に出来なかった。

置いていかないで。置いていかないで。

それだけを只管に声にならない声で叫び続けていると、ぎゅっと抱き締められる感触がした。
背中に感じるのはジュードの手。ぽんぽんとあやす手付きで撫でられていた。

「ごめん、レイア。気付かなくてごめんね」

背からそろりと頭に移動してきた手が明るい茶の髪の上に置かれレイアの爛れた心に触れた。
頭を撫でる手はそのままに、ジュードは言葉を続ける。優しいが、はっきりとした意思のある音色で。

「泣かないでレイア。確かに僕は最近勉強ばかりしていたし、もう少ししたらこの町から出ていくつもり」

「えっ!?」

ジュードが自分を置いて行ってしまう。その事が現実になるのだと知らされ、レイアは一瞬泣くのも忘れて声を上げた。
そんなレイアの反応にジュードは小さく苦笑してみせたが、直ぐに優しげな表情に戻り、レイアを抱き寄せる腕の力を強めながら言った。

「だから、ずっと一緒にはいられなくなるけど…でもね、レイア」

そこで一度言葉を切ると、レイアの涙を指先で拭い、真っ直ぐに彼女を見つめた。
レイアに伝えておきたい事があるんだ、と。 


一先ず、木陰に戻ろうかと促され、レイアは大人しく従い木陰に腰を下ろした。
何も考えられなかった。本当にジュードは自分を置いて行ってしまう。
只それだけが心の中を埋め尽くしていく。

「あのね、レイア」

レイアの細く白い手を握ったまま、ジュードはぽつりと話し始めた。

「僕がこの町を出て、大きな街で医術を本格的に学ぶ決心が付いたのはレイアのお陰なんだ」

「…え…?私、の?」

「うん」

一体どういう事だろうと思った。自分は何もしていない。それに、ジュードにそんな決心をさせたくなんか無いとレイアは思った。
どうして自分から彼と離れ離れになる道を選らぶというのか。
ジュードの言葉の真意が分からず、戸惑うレイアの目に映ったのは、想像以上にしっかりと意思を宿したジュードの琥珀の瞳。

「レイア、確かに退院したし、体も随分良くなったけど、でも、体力無くなっちゃったでしょ?」

「…あ」

「前みたいに沢山走れないし、ご飯も余り食べれなくなったよね?熱だってよく出るし、病気にも掛かり易くなった。これから先、一体どんな事が起こるか分からないし、無理な運動は絶対に出来ない…」

ジュードの言葉の通りだった。確かにレイアは奇跡的に普通の生活をおくれるまでに回復したものの、大事故の後遺症は深い爪痕を彼女に残していた。

「レイアからそういう不便を取り除いてあげたいし、未来でもし何かあっても絶対大丈夫だよって言ってあげたい。何があっても大丈夫って言えるようになりたい。そのためにはここじゃなくて、大きな街でしっかりと勉強しなきゃいけないって思ったんだ」

「私のために…?ここを、出ていく、の…?」

「うん…。それだけが、って訳じゃないけど。でも、前からずっと迷ってた事に決心が付けれたのはレイアの事があったから」

だからね、とジュードは手伸ばし、レイアの茶の髪をそっと撫でた。

「泣かないでレイア。僕が帰ってくるのを…ここで待っててくれないかな?」

髪が一撫でされる毎に心の爛れが癒されていくのを感じた。
同時に、本当に自分は駄々っ子だったと恥ずかしくもなった。
背中にある本はどうやら恋のライバルではなかったようだ。

「ジュード、ごめんなさい」

背に隠し持っていた参考書をおずおずと差し出した。

「ううん、僕こそごめんね。レイアに寂しい想いさせて」

ジュードはお人好しな笑みを浮かべながら参考書を受け取った。

「あ、あのね…ジュード。その、ジュードが勉強してる間、隣に座っててもいい?」

「勿論。退屈になったら時々声掛けて。僕も気分転換しながら勉強するから」

「…うん」

ジュードの提案に気恥ずかしげにしながらもレイアはこくりと頷いた。



穏やかな風が木陰に寄り添う二人の間を吹き抜けた。
ジュードが自分の肩にかかる重みに、ふと視線を横に向けると、肩に頭を預け寝息を立てる少女の姿。口元には小さな笑みが浮かんでおり、幸せそうな表情に見える。

「(どんな夢見てるんだろう?)」

レイアの穏やかな寝顔にくすりと笑みを零すと、落ちかかった頭が滑らないよう、彼女の身体を自分の元に引き寄せた。
幸せな夢の邪魔をしてしまわないよう気をつけながら。

「おやすみ、レイア」 

返事の代わりに聞こえたのは小さな寝息。
それをBGM代わりにジュードはまた参考書に視線を戻した。


レイアは夢を見ていた。幸せな夢だった。
大人になったジュードは立派な医者になって多くの人を助けていた。
そしてその傍らには同じく大人になったレイアがいた。
看護師として。

その夢の中でレイアの意識ははっきりとしていて、あぁ、そうだと思った。
ジュードは医者になると言った。レイアを治してくれるのだと。そのために待っていて欲しいと。
だったら、自分はジュードが戻ってきた後、ずっと一緒にいれるようにしたい、と。
ただ待つのではなく、自分も看護師を目指そうと。
そうすれば、ジュードの役に立てる。ずっと傍にいれるんだと。

それはレイアの未来への夢が決まった瞬間でもあって、彼女の中のジュードへの『好き』がまた一つ増えた瞬間でもあった。 



タイトル:hmr様

ジュレイの小さい頃の話でジュードが勉強に夢中になり始めて一緒に遊んでくれなくて機嫌を損ねるレイアの話/南雲様

この度はリクエストありがとうございました。
ジュレイの子供の頃のお話で、色々と想像と捏造が入ってますが、小さなジュレイへの愛は込めさせて頂きました。
ジュードとレイアそれぞれがお互いの未来を意識する切っ掛けになってたらいいなぁと思ってたりします。
今回、フリリク一番に参加して下さったのに、中々作品を仕上げるまでに時間が掛かってしまって済みません。
ご希望の内容に沿えていると良いのですが。

拙い文章ですが、少しでも楽しんで頂けると嬉しいです。

2012.04.09          


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