神様のいない世界で・後


「待って、帽子、置いてきちゃった。痛いよ。そんなに強く引っ張らないで」
「そんなもんほっとけ!とにかく、騒ぎがでかくなる前に離れるぞ!」

仲間に気付かれたら厄介だ。
レイアの方を振り返りもせずそう告げると、痛いと抗議が上がったのを無視し、更に腕を掴む力を強め、大股で殆ど走るようにして路地裏を離れた。
昏倒している男二人と、帽子、夕飯の入った袋を残して。

三すくみの状態になったあの場で最初に動いたのはアルヴィンだった。不測の事態に対処するための状況判断、思考の切り替えの早さはひとえに傭兵経験が長かった故の賜物。
さっさと残りの男も気絶させ、ぼけっとアルヴィンを見ていたレイアの腕を掴んだ。
「痛いよ、アルヴィン」、「もう少しゆっくり」、「ねぇ、アルヴィン」。
道すがら、何度も問い掛けられるレイアの言葉をすべて無視する。
……色んな気持ちが渦巻いて、どうすればいいのか分からなくなりそうだったから。
何でここにいるのか?問い質したいような、聞きたくないような。
怒りたいような、抱き締めたいような。
ああ、どうして。と、悲しくなるような。同時に堪らなく嬉しいような。
それらが胸の中でぐちゃぐちゃと混じり合って、余計にアルヴィンの足を速めさせる。
そうして気がつけば、ふたりの体は自宅の玄関を潜っていた。


バタン!と少々乱暴に扉を閉める。
ずっと走りっぱなしだったせいで、息が上がってしまったレイアのはぁはぁという息遣いが狭い玄関口に響く。
狭い場所、ふたりだけの密室という状況がアルヴィンから躊躇いを奪って、大胆さを与えたのかもしれなかった。
それに加え、先程の件があった。
頭で考えるよりも先に体が動いていた。
胸を撫で、肩を上下させるレイアの薄い体に手を伸ばし、がくがくと揺さぶらんばかりの勢いで問い掛けた。
至近距離に翠の瞳。

「何でお前がここにいる!何しにきた!?」

何であんな危ない目に遭ってたんだよ!
怒鳴りつけるように。
半年振りの再会がこんな形で、半年振りに口を利く言葉がこんなものであるなんてと自嘲する思いだった。
揺さぶられ、胸元で七色に偏光する、アルヴィンからレイアに託されたペンダント。
僅かな間を置いてレイアが口を開いた。始めは小さく。呟くように。

「……何しに……?」

次第にボリュームを増す。

「そんなの!そんなの、ひとつしかないよ!」

同時に興奮も。

「アルヴィンに会いに来たに決まってるでしょ!?」
「だからって、何でひとりで出てくるんだよ。しかも急に……」
「急じゃないよ!アルヴィンが悪いんでしょ?わたし何回も『会いたいよ』って手紙送ったじゃない!話したいことがあるって。だけど、返事くれなかったから……だから、出てきたんだよ!それに最後の手紙にこっちに来るってちゃんと書いたもん!」

どうせ読んでくれてなかったんでしょ!?
大きめな翠の瞳が吊り上り、思わず後ずさる。

「そ、それは……」
「……ねぇ、アルヴィン。返事をくれなかったのは……手紙を読んでくれなかったのは、わたしが、嫌いだから?」
「…………」
(違う……そうじゃない)
「それとも……」

こくり、とレイアの喉が鳴る。

「わたしが、アルヴィンの妹だから?」
「……!!」

一瞬何を言われたのか理解出来なかった。とても短いはずの言葉なのに、アルヴィンの脳をすり抜けていって、まるで理解する事を拒んでいるかのようだった。
ややあって、やっとのことで搾り出す。

「何で、それ……」
「やっぱり、そう、なんだね?」

細い指がぎゅっとペンダントの石を握り締める。

「ジュードに……聞いたのか?」

ふるふるとオレンジブラウンの髪が横に振られた。

「ううん、違うよ。ジュードはただ、『アルヴィンに会うのは止めたほうがいい』って言っただけ。でも、それで分かっちゃったんだ……アルヴィンがお兄ちゃんなんだって」

ジュード隠し事下手だし、それに、そう考えると全部納得できるんだもん。
何処と無く泣きそうにも見える笑顔でレイアは続ける。

「わたしが倒れた後、アルヴィンの様子が可笑しくなったのも全部」

時々ペンダントをじっと見つめていたり。それなのに目を合わさないよう避けたり。でも、あの後からずっと、わたしの事に気を配ってくれていたり。
それから……酷く懐かしそうな、泣きそうな顔でわたしを見ていたり。

「なのに……あの旅の終わりから、わたしとの関係を一切絶とうとしたり。そういうの、全部……」

そこで息を吸い込み、ぽそりと付け足す。

「そっか……わたし達、やっぱり、兄妹だったんだ……」

ずっとずっと、探し続けてた『本当の家族』だったんだ。
それは、喜びというよりも自嘲に近い呟きだった。
その悲しげな響きがアルヴィンの心臓を握り潰そうとする。

――ああ、だから。何も知らない方が良かったんだ。
こんな裏切り者で、自分を殺そうとした男が兄だったなんて、知らないままが良かったんだ。

(その上、俺はレイアを……)

ひとりの『女』として認識しようとしている。
レイアは女だ。
その言葉がアルヴィンの頭の中に響いて……拳をぎゅっと握り締めた。覚悟のために。
全てが手遅れになってしまう前に。
十五年前、赤ん坊だったレイアを手放した時のように、手遅れになる前に、別れを告げなければ。

握り締めたままの拳でもって、俯くレイアの傍まで寄る。
一度だけ、抱き締めようと思った。――家族としての抱擁。
そうして、もう二度と会わないようにしようと。
震える手をそっと伸ばし、躊躇いがちに名を呼ぶ。

「レイア……っ!」

瞬間、弾かれたようにレイアは顔を上げ、ばっと音のする勢いでアルヴィンに抱きついてきた。

「……レイ、ア?」

予想だにしなかったレイアの行動に困惑していると、きつくなる程に抱き締められた。
迷いながらも、抱き返す。
胸板に顔を埋めていたレイアが、きっ、と瞳を持ち上げる。
どこか怒ったような顔をして告げられた言葉は、アルヴィンの想像を大きく覆すものだった。

「アルヴィンがいけないんだよ!手紙、……返事くれないから!」
馬鹿、馬鹿、馬鹿!
まるで駄々っ子のように、馬鹿を繰り返す。

「その事については悪かったよ。けど、俺は、」
「全部、アルヴィンのせいだからね!」

言い訳はさせないとばかりに、言葉を遮られ、告げられる。

「わたし、アルヴィンが好きになっちゃったよ!兄妹じゃなくて、男の人として!」

最後にもう一度、馬鹿!と付け足され、玄関に響き渡った、レイアの声。

「……へ?」

再び回らなくなった頭で必死に考える。
これは自分の言葉ではないのだろうか?一体誰が、自分の胸の内にある想いを言葉にしてしまったのか。
――レイアが……?
……レイアは自分を『兄』としてではなく『男』として見ている?
アルヴィンがレイアを『女』として見ているように……?
あの時、エレンピオスで告げられた『好き』の意味はつまり――。


「……全部、アルヴィンのせいなんだよ」

腕の中に収まったまま、レイアが言葉を紡ぐ。会えない間に抱えていた沢山の想いを、自分でも確かめながら、紐解いていくように、どこかたどたどしく、必死に。
それだけに、真摯に心の奥に入り込んでくる響きで。

「あの旅の中で、わたしはアルヴィンに会って……ジュードが大切なはずだったのに、どんどんアルヴィンに惹かれていった……何かに引っ張られるみたいに。アルヴィンと居ると、胸が締め付けられるみたいにドキドキした。……アルヴィンが笑ってくれるとわたしも嬉しい気持ちになった。だから、もしかしたら、これは恋なんじゃないかって思った。わたしは初めて『男の人』を好きになったんじゃないかって」

ジュードを想っている時は、胸、こんなに締め付けられるような気持ちにならなかった。ただ、甘くて、ふわふわした気持ちになっただけ。笑い掛けられて、泣きたいような気持ちになるなんて今まで知らなかった。
きっと、絵本の中の王子様を夢見る女の子みたいな気分だったんだね。わたしのジュードを想う気持ちって。
だから、ジュードとミラのふたりが並んでいる姿を見ても、絵本を読み進めるような何処か傍観者の気分でいられたんだと思う。絵本の中の王子様とお姫様を見ているみたいな。
言って、ほんのちょっと、バツが悪そうな、照れたような笑みでアルヴィンを見上げてくる。
その姿を腕の中に収めながら、純粋に女の子らしいと思えた。
溢れる想いは尚もレイアの口をつく。

「そんな風にアルヴィンを想う気持ちは……あんな事があった後も、少しも変わらなかった。やっぱりわたしは、アルヴィンに笑って欲しいと思った」

あんな事……ハ・ミルでの出来事。
真実を知ってしまい、今の燻る想いの全ての切っ掛けとなった出来事。
アルヴィンの銃弾がレイアを貫いてしまった事。

「だけど、あれからアルヴィンとわたしは今みたいに、上手く噛み合わなくなって……旅は終わって……わたしの中には恋になりかけの気持ちと、『もしかしたら』って思いだけが残った」

このペンダントを見つめるアルヴィンの目が、深く、懐かしそうで……もしかしたらって思ったの。
レイアがきゅっと唇を噛む。

「もしかしたら、アルヴィンはわたしの……」

その先を口にするのを拒むように。
それから少しの間を置いて、ふるふると頭を振ってから諦めにも似た表情で先を続けた。

「皆と別れて、ル・ロンドに戻って、アルヴィンとも離れて……だけど気持ちは消えなくて。だから、確かめようと思った。わたし達の本当の関係と、わたしのこの気持ちの正体を……」

この気持ちは恋なのか。それとも家族を求める気持ちなのか……家族として、『兄妹としての好き』にするべきなのか。
その細い体の何処から搾り出しているんだろうと思わせる程の、強い力で抱き締められる。

「だから……」

手紙を送ったんだよ、何回も。とレイアは泣きそうな顔でこちらを見た。
翠の瞳がゆらゆらと揺れる。まるでペンダントが偏光するように。戸惑いと躊躇いの偏光。
その顔の意味。嫌でもアルヴィンは理解せざるをえなかった。

(俺と同じ顔だ……)

戸惑い、迷い、躊躇い、悩む。それでも諦めきれずに恋焦がれる。それが許されないと知っていても。
アルヴィンと同じ顔。
心臓がドクン、と大きく脈打つ。
その言葉の先をレイアに言わせてはいけないと思いながら、聞きたくて仕方が無い。

「わたし……意識して甘えるような手紙を送った。妹がお兄ちゃんに近況報告したり、会いたいよって甘えるみたいな。もし、もしそれでアルヴィンが返事をくれるなら、わたしはこの気持ちを『兄妹としての親愛』にするつもりだった。……でも、幾ら待っても、何度手紙を送っても返事は来なかった」
「!!……」

目を見開いた。
言葉を失うとはこういう時のことを言うのだろうか、と理解を拒む頭が、そんなどうでもいい事を考えていた。
それを必死にこちら側に呼び戻し、思案する。

(それって……つまり……俺が返事をしなかったから……)

無意識にレイアを抱き返す指先に力が入った。互いにきつくなる抱擁。
許さないからこそ、それは強まるのかもしれない。

「そうしてる内に、わたしのこの想いは完全に『恋』になっちゃった。ずっと、アルヴィンのことばかり考えるようになった。……兄妹かもしれないのに。それでも止められなかった!ジュードには止めたほうがいいって言われたけど、それでも、もう、止められなかった。だから、わたしはここに来た。全部を確かめて、それで納得出来ればそれでいい、出来ないなら……」
「レイア……」

アルヴィンが、慈しむ想いで捨てた、翠色の瞳からぼろぼろと涙が零れている。

「ごめんね、アルヴィン。わたし達兄妹なのにこんなの気持ち悪いよね。でも、これで最後にするから、これで……この気持ちはおしまいにするから。アルヴィンがもう二度と会いたくないっていうならそうするから、だから今だけ許して下さい。……わたし、アルヴィンが、」

すき。
そう聞こえるよりも先に、唇は塞がれていた。
アルヴィン自身によって。

レイアは一瞬目を見開いたけれど、すぐに、そっと目を閉じ、すべてを受け入れた。
ふたりの想いが重なった今、そうなるのは必然だった。
ぴったりと、離れていた時間すらも埋めるような口付けと抱擁の間でペンダントが小さな輝きを零す。
その中で、アルヴィンは想っていた。
きっと、そう。
ペンダントをレイアに託した時から、こんな日が来るのは運命だったのかもしれないと。

それに導かれ、ふたりは再会したのだから。




ああ、やっぱり。
俺は神様に見放されていたらしい。
許されるべき感情ではないから、それはレイアのためにはならないから。彼女は大切な妹だから。
そう思って取った行動のせいで、俺は今こうしている……。
手紙を返さなかったから。
こうして、レイアを抱いている。
妹であったはずの彼女の熱を確かめている……男として。

……でも、そうだな。
この想いを、不義と決めたのは、他でもない俺を見放した神様だったな。
この恋を許さないのは、神様が決めたルールだ。
だったら――。

神様に見放された俺は、もう何も躊躇う必要がないのかもしれない。
俺はレイアが欲しいし、レイアは俺を求めている。
だから、俺はレイアに手を伸ばす。
神様に見放された――神様のいない世界でなら、それはただの『恋』だ。
本物の――。

レイアが甘やかな顔で、俺の胸に寄り添う。

「アルヴィンとなら一緒に不幸になっても平気だよ」

俺はそれに応えるように、レイアのオレンジブラウンの髪を梳いて、唇に喰らいつく。
神様のいる世界では許さないこの恋は、酷く甘く、濃く、愛おしい。
きっと、他人同士から始まる、それ、よりもずっとずっと……。

「なぁ、レイア……一緒に堕ちるところまでおちようか?」

囁くように問いかければ、レイアは何の躊躇いもなく俺の腕の中に飛び込んでくる。

重なるふたつの熱の間で、ペンダントが幾度も偏光し七色の光を生んだ。

――ここは、神様のいない世界。




小ネタ帳の兄妹捏造パラレルの続き/匿名様

この度はリクエストありがとうございました。本当に長い間お待たせしてしまってすみません。
その上、アルレイ兄妹捏造パロを書いたのが随分昔なせいで、今回、何だか雰囲気が違う感じになってしまいました。お望みのもとの違っていたら本当にすみません。
あまりにも長い間お待たせしてしまったので、もう見て下さっていないかもしれないですが、少しでも楽しんで下さったら嬉しいです。


2013.5.16


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