苛立ちと熱とキスと


言ってしまえば、運が悪かった、って事なんだろう。

前日突然の雨に打たれる中、休憩も碌に取れないままの強行軍だった事とか。
その上、町は遠く、濡れて疲れた体を癒すのは狭いテントの硬い床だったとか。
翌日の日程は隆起の激しい獣道だったとか。
敵が想像以上に強くて数が多かったとか。
何より……レイアの体力が限界に来ていて、そのせいで酷い熱を出していたとか。
それを隠していたとか。


「レイア、調子悪いんじゃないのか?」

「ううん!へ、平気っ!!」

アルヴィンの視線の先でふらりと身体を傾けたレイアを咄嗟に左腕で支え、訊ねたものの、レイアは慌てた様子で「何でもない」と否定した。
明らかに、何でもないとは言い難い熱に浮かされた顔をして。
今朝からやけにジュードの傍を離れて行動していたのはそのせいか、と思いながらもう一度訊ねた。

「ジュード達に言って、休んだ方が良くないか?次の目的地まで結構あるぞ?」

「ダメ!ほ、本当に大丈夫だから。ちょっと、躓きそうになっただけだよ。迷惑掛けてごめんね」

「別に迷惑じゃ、」
「と、兎に角!今日も一日頑張るぞ!」

空元気そのもの、な言葉と行動でアルヴィンの言葉を遮ったレイアは逃げるように、その場を離れていった。
急に、熱と重みを失った左腕で後頭部を撫で付けながら、アルヴィンはぽつりと零した。

「大丈夫、ね……あれで?」

ま、俺には関係ないけど。
けど、何かイラつくんだよな。あーいうの……。

無意識に心の中に浮んだ言葉を握り潰す様に、撫でていた後頭部の髪を強く握った。
嫌な予感がした。
そして、こういった予感は楽しげな予感よりも的中しやすいのだ。


目的地である町に着くには、まだもう少し距離があるといったとろこで、魔物の一団との混戦になった。
連携が上手く取れず、敵のペースに押され気味に戦っていたのも運が悪かったのだろう。
少女の小さな悲鳴に引かれ、顔を上げたアルヴィンの目に、胸部を引き裂かれ鮮血を撒き散らしながら地面へと落ちていくレイアが映った。

「「「レイア!!」」」

異口同音で叫ばれた名と、崩れ落ちたレイアを見ながらアルヴィンの中に浮んだのは、
ほら、思った通りだ。
そんな想いだった。

急いで残りの敵を片付け、町まで足を速める間、意識を無くしアルヴィンに背負われたレイアの、予想以上に熱い身体がアルヴィンの苛立ちを増長させた。

「馬鹿」

町に入るまでの間、何度かそう無意識に呟いた。



「アルヴィン、丁度良かった」

レイアを宿の一室に寝かせてから数時間経った頃、やる事もなく手持ち無沙汰で居たところにジュードから声を掛けられた。
暇なので酒でも煽ろうかと思っていたのに、足が自然とレイアの眠る部屋の近くに向かってしまっていたのは、アルヴィンの中に小さな苛立ちが燻り続けていたからだろうか。
まぁ、どちらにしてもそのせいでジュードに見つかってしまったのは運が悪いとでも言うべきか。

「何の用?」

レイアの事でなければいいと思いながら用件を訊ねれば、それはものの見事にレイアに関する事で。

「えっと……、レイアへの薬と、タオルの取り替え頼んでもいいかな?」

申し訳無さそうに眉を八の字にし、そう告げたジュードの顔には疲労が滲んでいる。
無理も無い。町に着いてからずっとレイアの治療に付きっ切りだったのだから。
宿に着いて直ぐ、窓から覗いた景色は夕焼け色をしていたのに、今はもうすっかり星が瞬く夜色の景色になっている。
それ程長い時間、緊張の中にあっては疲れも溜まるに決まっていた。
正直なところ、今のアルヴィンはレイアの傍に近寄りたく無かったが、そんなジュードの頼みを断る事も出来ず、大人しく薬やタオルの乗せられたトレイを受け取った。

「分ったよ」

「ありがとう、アルヴィン」

「別に」

疲労を顔に貼り付けながらも、にこりと微笑し礼を述べたジュードと、こちらの手に渡る際の振動で、小波を立てたグラスの中の水に、アルヴィンは自分の中に在る苛立ちを見た。

今朝から消える事なく、胸の中に蟠るこの気持ちは何なのだろう。
まだ、答えは出ない。


若干、イライラを隠せずにレイアが眠る部屋の扉を開ける。
アルヴィンの気持ちを反映したように、やや乱暴な音がした。
そのせいだろうか、ベッドの中に小さく収まっていたレイアが身じろいだ。ゆっくりと霞が掛かったような緑の瞳をこちらへ向けた。
拍子に、彼女の頭に乗せられた濡れタオルが顔の横に滑り落ちた。
熱と夢と現実との境界線が曖昧な状態なのだろうレイアは、二度、瞬きをしてからアルヴィンに視線を投げ掛け、何か、言葉を発しようとした。
しかし、それは微かに空気を震わせただけで、きちんとした音にはならず、実際のところアルヴィンには彼女が何を言おうとしたのかは理解できなかった。
それでも、恐らくは『ジュード、ごめんね』と言おうとしたのだろうと、唇の動きから解釈する。

声を発せず、意識すらも朦朧しているレイアの弱々しさと、如何な状況に於いても『幼馴染』を優先する姿勢にアルヴィンは妙なイラつきを再び覚えた。
無言で彼女のベッドへと足を進める。
レイアの瞳はまた、瞼の裏へと落ちていった。

見下ろした少女の顔は熱で赤く染まり、拾い上げた濡れタオルの水分も随分奪われていた。
それなのに、怪我の出血で多くの血を失った身体は弱々しく、何処か青白くも見える。
赤と青。正反対の色がレイアの身体の上に横たわっている。
今、アルヴィンが彼女の胸部に手を添え、そこを強く押したなら簡単に死に至らしめる事さえ出来そうな程、包帯を巻かれた身体は心許無い。
その事にアルヴィンは無意識に奥歯を噛んだ。

「馬鹿な奴……」

ぽろりと呟きが漏れた。
迷惑を掛けたくない。その結果がこれなのだから『馬鹿』以外に言葉が見当たらない。

「だから言わんこっちゃねえ……本気で馬鹿だな」

もう一度零れた。
何にこんなに不機嫌なのだろうと、自分自身が不思議で仕方なかった。

ジュードに面倒事を押し付けられた事に?
こちらの手を煩わせるレイアに?
この状況下においても『ジュード』を求める彼女に?
あの時、自分の忠告をレイアが聞かなかった事に?
そして……、
怪我を負った彼女に……?

「ガキの癖に意地張るからだよ」

小さく吐き捨て、レイアの前髪を顔に張り付かせている汗の玉をタオルで拭ってやる。
苛立つ心に反して、その手は優しげだった。
レイアの気持ちを理解出来ない訳ではない。
焦燥、怯え。取り残される恐怖から、必死に己のキャパを超えて無理をしようとする。
そうしていなければ、自分の存在が消え去って無くなる気がして仕方ないから。
忘れ去られてしまう事、必要とされない事は本当に怖い。
だけど……、そんなレイアが許せなく思うのは。

眉間の汗を拭ってやると、レイアは微かに眉を動かし、曖昧な色を宿した瞳でアルヴィンを見遣った。

「ごめんなさい……」

今度ははっきりと聞き取れた。

「迷惑掛けて、ごめんなさい……」

弱々しく発された、再度の謝罪に、「黙ってろ」と短く返し、熱を遮る手袋を外し、レイアの額に直に触れた。
ついでに、目に掛かる前髪も除けてやる。
触れた額は、彼女の顔から想像できる通り、熱く、そのせいだろう、アルヴィンの掌との温度差を感じたのか、レイアは僅かに目を細めた。
その表情が思う以上に儚く映り、また、アルヴィンの中の『何か』を揺さぶった。

何か。
レイアが何故、こんな風になるまで無理をしたのかを理解出来るはずなのに、許せないと思うのか。
その理由。
きっと、『ジュードを想って』レイアがこうなったという事実。
そこにイラつきを覚えているのだと。
ジュードのためなら、自分の身を酷使出来、命をもすり減らせてしまう彼女が許せない。

では何故、そう想ってしまうのか。
その答えに行き着く前に、アルヴィンは行動を起こしていた。

ぎしりと、ベッドのスプリングが新たに加わった重みに悲鳴を上げた。
見下ろす緑の瞳がさっきまでよりも、ぐっと近くなる。
レイアの瞳の緑と、アルヴィンの瞳の瑪瑙(めのう)との距離はほんの数センチ。
アルヴィンはレイアに覆い被さるようにして、半身をベッドへ乗せていた。
鼻の頭が引っ付きそうな程に顔を近づければ、レイアの荒い呼吸と、その身体を蝕む熱とをはっきりと感じ取る事が出来た。
突然、視界を覆われた事で、熱に浮かされながらも驚きの表情を見せたレイアを真っ直ぐに見詰めながら声を落とした。
その声音はアルヴィン自身が思っていた以上に低く、夜の空気を震わせた。

「俺は優等生じゃない」

「アルヴィン……?」

「俺はジュードじゃない」

酷く子供っぽい言い方だと思った。らしくないとも。
アルヴィンは本来、自己の感情を表に出したり、感情に任せて行動する事などないというのに。
常に何が得で何が損になるかを考え、人と距離を置いて、心を曝け出さない様に気をつけているというのに。
それなのに、気持ちも行動も治まる気配すらない。
レイアの中に何でもいい、欠片程でもいいから、風穴を開けたいと思った。
その衝動に従って、サイドテーブルに置かれた、熱を鎮めるための薬へと手を伸ばした。
手の中の数粒の錠剤を、戸惑うレイアの唇の向こうへと指先で押し込んだ。

「っ、んっ……」

「意地張って熱出して、怪我して、ぶっ倒れて、本当に手の掛かる子供だな」

再びサイドテーブルに手を伸ばし冷水の入ったグラスを手に取った。

「これだけ手、煩わせてくれたんだから報酬の一つも貰ったってバチ当たらないよな?」

恐らく、今自分の置かれた状況と、身体を蝕む熱とで、頭が働かず混乱しているであろうレイアにそう告げると、グラスの水を口に含み、そのまま口移しでレイアの口内へと流し込んだ。

「んっ……っ」

触れる柔らかな唇の感触。
流し込んだ水は、錠剤を伴って、レイアの喉の奥へと落ち込んでいった。
けれど、アルヴィンは唇を離す事はせず、それどころか、水を受け取る際に薄く開かれた隙間に舌を差し込み、レイアの唇を完全に割り開いた。
割り込んできた舌先に目を見開くレイアを歯牙にもかけず、歯列をなぞり、彼女の舌先に自分のそれを絡めていく。
最初こそ、驚きと怯えから抵抗していたレイアの舌先は、アルヴィンの強引さに引っ張られる形で次第に従順になっていった。

「ふぁ…、んっ……っ」

唇の端から零れ出る吐息にも艶っぽさと甘さが混じる。
レイアの反応に、支配欲染みた満足感を覚えながら、彼女の呼吸が限界に達する寸前まで唇と揺れる感情を貪った。

暫くして唇を離すと、つー、と透明な糸が二人の間を結び、解けた。
その瞬間のレイアは、熱のせいもあるだろうが、仄かな色香を帯び、艶かしくアルヴィンの目に映った。

「アル……、ヴィン……」

ついさっきまで自分の身に起こった事を、頭の中で処理できず困惑しきりな声でこちらの名を呼ぶのがいっぱいいっぱいといった様子のレイアを他所に、アルヴィンはディープキスの件など無かったかの様に、ベッドから起き上がる。
新たな濡れタオルでレイアの額をしっかりと覆ってから、「しっかり休んで養生しろよ」と何時もの軽い口調で告げた。
レイアは身体的なものと、感情的なものと、どちらから来ているのか分らない――或いはどちらもかもしれない――真っ赤な顔で、目を幾度もぱちぱちとさせて。
狐に耳を摘まれたような顔。
アルヴィンはそんなレイアに小さく微笑った。

「じゃーな、おやすみ」

止まっていたレイアの思考が動き出したのは、アルヴィンが部屋を出る寸前。
何処までも、軽い雰囲気を残して、背中越しに手を上げて、扉をくぐりながらおやすみを告げた頃。

「私の……、ファーストキス……」

扉を閉める瞬間、レイアがそう小さく呟くのを聞いた。
初めて、恋愛のステージに上がった少女のような声。
振り返って顔を見なくとも、声音だけで、彼女の心が真っ赤に染まっているのが手に取るようにわかった。
そして、レイアの中の『ジュード』で埋め尽くされていた部分に、小さくとも確かな風穴が開いた事も。


小さなランプの光だけがぼんやりと広がる夜の廊下を歩く。
レイアの元を訪れる前に抱いたイライラは消え、代わりにアルヴィンの口元に浮ぶ小さな笑み。
何か悪戯が成功した時の子供のような気分。
アルヴィンにしてはらしくない行動ばかりだったが、不思議と不快感はない。

唇が離れた瞬間のレイアの顔を思い出す。
驚き、何度も瞬きを繰り返して、頬を赤く染めた姿。
彼女は今日の出来事を、熱の中で見た夢と思うだろうか?
それとも、確かな現実として受け止め、自分の身に起きた出来事を反芻し、シーツに顔を埋めているだろうか?

明日、体調の良くなったレイアと顔を合わせたならどんな風にしてからかってやろうか。
もしも、あれを夢だと思っていたのなら、もう一度、同じ事をしてやってもいい。

ふと、そんな事を考えてしまった。ごく自然に。
やはり今日の自分は『らしくない』。
もしかしたらレイアの熱が移ったのかもしれない。

「明日、俺、風邪引いてたりしないだろうな」

もしそうなっていたならいい笑い者だ。そう呟きながら、アルヴィンは深夜の静かな廊下を抜けて、自室へと戻った。

途中、無意識に触れた唇に、まだ微かに少女の熱が残っているような気がした。





アルレイで戦闘中に病気の発作的なものが来て、怪我しちゃうレイアと心配するアルヴィン/蒼架様

この度はリクエストありがとうございました。最初は甘く、怪我をしたレイアをアルヴィンが心配し、優しく看病する話にしようかと思っていたのに、書き始めると何故か、レイアが怪我をした事に一人怒って苛立つアルヴィンのお話になってしまいました。
お望みの内容と違うものになってしまった感じで申し訳ないです。
それでもアルレイ愛は詰め込ませて頂きました。アルレイ大好きですVv
もしも甘いものをご希望でしたら、遠慮なくお申し付け下さい。
それでは、拙い文章ですが、楽しんで頂けると嬉しいです。

2012.08.29


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