−君のぬくもり 04−


今日は何かがおかしいと思った。
一年前の日と同じような雨の中で、恋人によく似た子猫を拾ってから。

レイアを見送ったあの日から、意識して避けていたその名を子猫に付け。
同じように涙を避け、レイアの事を考えないようにしている内に、心の外側が凝固して、世界の色を感じなくなってしまい、本当に泣けなくなってしまった。
それなのに、心の内側では常に雨が降っていて、そのせいで笑う事さえ出来ない。
ただ命を消費するためだけに生きているみたいな、そんな状態だったのに…。
今日は…、
レイアのとの別れの日を思い出し、彼女が自分を呼ぶ声を思い出し、二人で笑いあった事を思い出し…。
レイアが好きだった事を思い出した。

だからきっと、子猫のレイアを家に連れて帰ってから、我知らずの内に笑う事が出来て、今…泣いているのだと思った。

「レイア…。レイ、ア…」

唇に乗せた音に広がる、愛しさと寂しさ。
どうやって今まで我慢できていたのかと思うくらい、涙が溢れて止まらなくなった。

強まっていく雨のように涙が流れる頬に、小さく温かい感触がした。

「レイ、ア…?」

「ミャー…」

アルヴィンの愛した人と同じ名前を付けた子猫が、頬を流れる雫をペロペロと舐めていた。
自分の名を呼んでいると思ったのだろうか。
ペロリと這わされる舌はとても小さいけれど、労わり深いものでカチカチになっていた心が融解していくのを感じた。

「ミャァ…」

アルヴィンが自分に気づいたのを感じた子猫のレイアは、一旦頬を舐めるのを止め、新緑の瞳を揺らし、アルヴィンを見つめ小さく一声鳴くと再び涙を舐め取った。
その響きに込められた『泣かないで』の意思がアルヴィンにははっきりと聞き取れた。
深い労わりと、無償の愛情。
それらはかつて、他人と距離を置き独りで生きてきたアルヴィンの心に触れたレイアのぬくもりそのもので。
この子猫はやっぱり『レイア』なのだと思えた。

神様なんて信じていないし、それは今だって変わらないけれど。
でも、この子猫は『レイア』で、自分のために天国から送られてきたのかもしれないと思ったのだ。

尚も頬を舐め続けているレイアを胸元にぎゅっと抱き寄せた。
そのぬくもりはアルヴィンの愛したレイアのぬくもりそのもので。
だから、彼女に伝えるつもりだった、伝えられなかった言葉を、胸の中のぬくもりに、今伝えようと思った。
心配そうにこちらを見上げる、新緑の瞳に向かって、あの時、その瞳を見て言いたかった言葉を。

「レイア…」

涙でぐしゃぐしゃになった情けない顔で、

「好きだ」

短く告げた。
胸に抱えたぬくもりは、アルヴィンの言葉を聞き、胸に頬を摺り寄せると緑の瞳を細め一声鳴いた。

『私も』

と。

一年間緊張し続けていた心の筋肉が一気に弛緩してしまったみたいに、涙が溢れ出した。
けれどそれは何処か、心を軽くしてくれるような気がして、情けないとか、格好悪いとか、そんなものすべてかなぐり捨てて、声を上げて泣いた。
小さなぬくもりを胸に抱き締めたままで。


久しぶりに枯れるまで泣いたからだろうか。それとも隣に命のぬくもりを感じていたからだろうか。
その夜は、自分でも信じられないほどあっさりと眠りに落ちた。
日頃は、なかなか寝付けず、何度も寝返りを打っては苦労しつつ眠り、けれどすぐに目を覚ましてしまい、また無理をして眠りに付き、気がつけば朝になるのに。

静寂とまどろみの中、隣にあるぬくもりを確かめようと手を伸ばした。
ふんわりとした茶の毛の感触が指先を掠めるのだろうと思っていたアルヴィンの指先が捉えたのは、なめらかな人肌の感触だった。
さわさわと、何度か確認するように触れ直し、動物の毛のそれではない事がはっきりすると、ぼんやりとしていた意識が驚きで覚醒した。
「誰だ!?」と言おうとしてぱちりと目を開ける。言葉を発するために開いた口から音は生まれず代わりに開けたはずの目が更に見開かれた。
アルヴィンの瞳が捉えたのは、新緑の瞳と明るい茶の髪。
アルヴィンの指先に擽ったそうに顔を顰める、彼の恋人『レイア』だった。

「アルヴィン、くすぐったい」

レイアを失った日以降も、除ける事が出来ずそのままにしてあった二つ並んだ枕の、何時もレイアが使っていた桃色のそれに頭を置いて。
アルヴィンのすぐ隣、数センチ先によく見知った緑の瞳と少し照れを含んだ微笑。

「アルヴィンが泣き虫だから、心配で会いにきちゃった」

悪戯っぽく囁く声も記憶の中の響きそのままだった。


有り得ないはずのその光景を、だが、アルヴィンの頭はすんなりと受け入れてしまった。
子猫のレイアはやはり『レイア』だったのだと、納得した。
これが夢か現実か、そんな事はどうでもいいとさえ思えた。ただ目の前にレイアがいる。
顔を見たなら伝えたい事が沢山あったはずなのに、そのどれもが上手く言葉に出来ず、ただ彼女の名前を呼び、強く抱き寄せる事しか出来なかった。

「っ、…レイア」

掠れ気味の声は切羽詰った響きを持って、夜の空気を震わせる。
それと同じ様に、レイアの熱を胸に抱いた自分の体も震えていた。
苦しくなる程の抱擁に、レイアはただ何も言わず、そっとされるままアルヴィンの腕の中で睫毛を伏せていた。
アルヴィンの心が落ち着くまでずっと。

そうして、胸の中に空いてしまった大きな穴を埋めるように、一年の時間を埋めるように、言葉もなく抱き合っていた静寂の中で。
アルヴィンの心に電流みたいに走る想い。ずっと伝えたかった言葉。
心の底に沈殿する感情、雨が嫌いになってしまった原因を取り除くために。
きっと今伝えなければ、もう二度と伝えられないだろうから。

子猫のレイアに伝えた時と同じ、新緑の瞳を真っ直ぐに見据えながら言葉を紡いだ。
愛しさも、後悔も、哀しみも、全部ありのままに込めて。

「レイア、好きだ。これからも、ずっと」

アルヴィンの言葉に、レイアの新緑の瞳が優しげに揺らめいた。
胸に沈殿していた感情が昇華されていくのを感じた。
寂しさがなくなった訳ではないが、前へ進めるような気がした。

レイアは小さく微笑むと、アルヴィンの胸板にそっと頬を摺り寄せ静かに目を閉じた。

「私もアルヴィンが大好き。ずっと忘れないでいてくれてありがとう」

「忘れるわけないだろ」

これからもずっと。それは口にはしなかった。口にせずもとレイアには伝わっているだろうから。

「うん。…だけど、アルヴィンはちゃんと幸せになってね」

前に進んでね、と言うレイアの言葉に鼻の奥がツンとしてくる。たっぷり、静寂に二人が包まれるまで間を空けてから、

「…ん、」

子供っぽく、そう返すのがやっとだった。
眠る前流しきったと思っていた涙がまた頬を伝うのを感じた。
レイアの前で泣いていたくなどないと思いはすれど、上手くコントロール出来ずに後から後から湧いて来る。
一年間溜め込んでいた分を全て吐き出してしまうみたいに。

細い指先が伸ばされ、アルヴィンの茶の瞳から零れる涙を拭った。

「ねぇ、アルヴィン。雨が降った後の青空には虹が掛かるんだよ」

だから大丈夫。指先と入れ替えに目尻に押し当てられた唇の柔らかな感触。
涙で霞む視界の中で見上げたレイアの微笑は雨雲の中に差す日の光みたいだった。
ゆっくりと伸ばした両腕の中に日の光を取り込むようにレイアを強く抱き締めた。
触れた肌の柔らかさも、体温もちゃんとここに存在していて、感じるぬくもりは間違いなくレイアのもので。

「レイア…」

もう一度確かめるように名前を呼んで、後に続く「好き」の代わりに深く口付けた。
アルヴィンの求めに応え、身を任せながら背に回されたレイアの腕のぬくもり。
それは記憶の中のぬくもりそのもので、例えようのない愛おしさを生み、重ねた唇は記憶にあるどれよりも甘かった。

甘やかさの中、ほんの少しの寂しさを昇華させた二つの熱が溶け合いアルヴィンを再びまどろみに誘った。
きつく抱き締めた腕の感触を残したまま、意識はそこで途切れ、眠りの海に沈んだ。


目を覚ますと、アルヴィンの隣、彼の腕の中には小さなぬくもり。
子猫のレイアが気持ち良さそうに寝息を立てていた。
昨夜のあれは夢だったのだろうか。普通に考えればそうだろう。
けれど、アルヴィンの胸の中の感情は確かに昇華されていて、現実だったのだと思えた。

ベッドから半身を起こして、隣で丸まっている明るい茶の毛を起こしてしまわないよう気をつけながら優しく撫でた。
指先が触れたのを感じたのか、レイアはゴロゴロと喉を鳴らしたが起きる気配は無かった。
その姿をアルヴィンは穏やかな笑みで見つめ、ゆっくりと小さく呟いた。

「レイア、俺ちゃんと前に進むから。もう少しだけ甘えさせてくれよな」

「ミャァ〜〜」

アルヴィンの言葉が途切れるのに合わせたかのように寝言を発したレイアに思わず吹き出しそうになったのを何とか堪えた。

穏やかな気持ちを抱えたままベッドから抜け出しカーテンを開けてみる。
外は昨日と同じように、鈍色の空から雨が零れ落ちていた。
今日は休日で仕事は休みだが、朝食を済ませたらペットショップに出掛けよう。
それから空になっている冷蔵庫を満たすために買い物もして…。
レイアを隣に乗せ、ドライブをするのもいいだろう。
何だか、今日は雨の中に車を走らせてみたいと思った。


END


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