−君のぬくもり 02−


気がついた時には、小さな体を抱き上げていた。
ずぶ濡れの体を目の高さまで持ち上げると、子猫はもう一度

「ミャー!!」

と声を上げる。今度のはさっきのよりも勢いがあり、アルヴィンは小さく吹き出した。
その姿が彼の恋人に似ていたから。
レイアもよく勢い良くアルヴィンに飛び付いてきたものだった。
クツクツと喉の奥で笑うアルヴィンに子猫は「ミャ?」と疑問系の鳴き声を返す。
よしよし、と撫でてやると嬉しそうに緑の瞳を細めた。
その様がまた、レイアを連想させた。
アルヴィンが最も愛しんだ新緑の瞳。

「お前さん、野良か?」

首輪をしていないところから見て、多分そうなのだろう。
「ミャァ…」と小さく鳴いた声は如何にも心細げで、『拾って』と訴えかけているように聞こえる。

「どうしようかな。俺んとこのマンション動物禁止なんだよなぁ」

「ミャー!!ミャー!!」

「はは、冗談だよ。いいぜ。他に行くとこないなら俺んとこ来るか?」

「ミャァ!!」

からかってみれば、小さな手足をじたばたさせ、また、家に来るかと言えば元気よく鳴いてみせる。
まるでこちらの言葉を理解しているかの様な反応に、会話が成立しているのではないかという錯覚さえ感じた。

「よし。じゃ、さっさと家に帰って風呂でも入るか」

おたくびしょ濡れだしな、と子猫を胸に抱え、頭を撫でてやると甘えた声を上げ、ゴロゴロと喉を鳴らした。
胸に抱えた小さな熱は、雨の中で冷えた身体に心地よく、何処か懐かしさと共に染み込んだ。
その温かさは恋人を抱き締めた時の熱に似ていたから。

不思議と軽い足取りで自宅までの道を進んだ。
あれ程耳障りだと思っていた雨音が少しも気にならなくなっていた。

胸の中の小さなぬくもりは時折アルヴィンを見上げては「ミャ」、「ミャ」と語り掛けるみたいに鳴いていた。

どうして、子猫を拾ったのだろう。
アルヴィンが元々猫好きであるから。それもあるだろう。
だけどきっと…一番の理由は、子猫がレイアに似ていたからだ。
明るい茶と新緑の色。それは今でもアルヴィンの心に鮮明に残る色と重なる。

「ミャー」

アルヴィンの胸に頬を摺り寄せ、目を細める仕草が一瞬、本当にレイアに見えた。



自宅マンションに戻ると、一旦子猫を玄関に下ろし、濡れたスーツをさっさと洗濯機に放り込む。

「よし、風呂入るぞ」

子猫を抱き上げ、キッチンに向かった。
キッチンシンクに置いた洗面器の上に子猫を下ろし、湯沸し機のお湯を掛けてやる。

「ミャッ!!」

鋭い叫び声を上げ、飛び上がる子猫。どうやらお湯が熱かったらしい。
慌てて湯の温度を調節するも、アルヴィンを見上げる新緑の瞳はどこか恨めしげで、人間くささがあり、またしても吹き出してしまう。

「おっと、悪ぃ、悪ぃ。そんな顔するなって」

尚も拗ねた声を上げる子猫をボディソープまみれにしてしまう。
くしゅくしゅと空気を含ませながら全身を洗ってやると、気持ち良さそうにゴロゴロと喉が鳴る。

「どうですか、お嬢さん?ご満足頂けましたか?」

「ミャァ〜〜」

メス猫であるらしい子猫に向かってそう問えば、ご満悦気味な声が上がり我知らずの内にアルヴィンの顔は綻んでいた。


風呂を済ませると、今度は食事である。
自分の分はどうにでもなるとして、子猫に食べさせられるようなものがあっただろうかと若干不安を覚えつつ冷蔵庫を開ける。
一年前からまともな食事を余り摂らなくなってしまっている。
冷蔵庫の中はがらんとしていて、ひんやりと冷気をこちらに運んでくる。
以前、レイアがこの家に来ていた頃は彼女がよく食事を作ってくれたお陰で冷蔵庫の中には色々な食材が詰まっていた。
けれど今はこの有様だった。

「とりあえず牛乳だよな。後は…食パンがあるか。賞味期限…大丈夫そうだな」

感傷に浸り掛けた思考を振り払って、ほぼからっぽの冷蔵庫から何とか子猫が食べられそうなものを引っ張り出した。
レンジで温めたミルクと小さく千切った食パン、それと戸棚で見つけたツナ缶を開けてやり与えた。
一生懸命という言葉が似合う食べっぷりにアルヴィンは小さく笑った。

「そんなに腹減ってたのか」

自分自身は缶ビールと適当に選んだおつまみで済ませながら。


『あのねぇ、アルヴィン。ちゃんとご飯食べないと駄目だよ?』

『料理するのが面倒臭ぇんだよ。それに俺は食いっぱぐれても大丈夫なように燃費いい体になってんの』

『駄目!!ちゃんとした食事しないと、体持たないんだから。それでなくてもアルヴィンの仕事は徹夜も多くてハードワークなんだし』

『へぇ、だったらレイアちゃんが俺にご飯作ってくれちゃったりする訳?』

『いいよ。アルヴィンがご飯食べるの大好き!ってなっちゃう位に美味しいご飯作ってみせるんだから。頑張るよ!!』

『はは、そりゃ期待してますよ、お嬢ちゃん』

レイアがそう言った日から、アルヴィンは確かに食事を取る事に楽しみを覚えた。一年前のあの日が来るまで。
彼女の作ったものを一緒にテーブルを囲み、談笑と共に食べる。
時にはレイアに並んでキッチンに立ち、幾つかの簡単な料理ならアルヴィン自身も作れるようになったし、レイアに食べさせたりもした。
「美味しい」と笑ってくれる姿に料理を作る喜びも知った。
それは両親を早くに亡くし、長い間独りで生きてきたアルヴィンには新鮮で強烈な感情だった。
だからこそ失った時の穴も大きくなってしまった。

ビールを口に運びつつ、視線はキッチンに向かっていた。
キッチンに並び立つ、二人の在りし日の残像。

『アルヴィンって何でも器用そうなのに料理、意外と下手だね』

『うっせ。長いこと食べ事に興味無かったんだから仕方ねぇの。それよりもおたくがこんなに料理出来るとは、アルヴィン君は驚きですよ』

『ふふ、花嫁修業ってやつですよ。私の夢は『両親みたいな幸せな家庭を築く』だからね。それには料理は不可欠じゃない』

『じゃ、その夢は俺が叶えてやるよ』『本当?』

『レイアが18になったらな。だからそれまで俺の傍離れんなよ』『勿論!!』

互いに調理の手を止め、視線を絡ませながら目を細め、唇を重ねた。

幸せの残骸はまだこの場所に残っている。時折、エプロンを付けくるりとこちらを振り返って微笑む新緑の瞳をありありと思い出せる位には。

「夢…叶わなかったな…」

そうぽつりと呟いたアルヴィンの言葉は、激しく咽る子猫の声によって掻き消された。哀しみの感情も一緒に。
慌てて視線を子猫に向けると、どうやらパン屑を喉に詰まらせたようだ。

「馬鹿っ、慌てて食うからだ。ほら、ミルク飲め」

背を擦りながらミルクを与えてやると、やがて落ち着きを取り戻し、「フミャ〜」と溜息めいた声を上げた。
「助かった」とでも言わんばかりのそれにアルヴィンは堪え切れず声を上げて笑った。

「そそっかしいのな、おたく」

小さな体を抱き上げ、目の高さを自分のそれに合わせる。
ミャ、と小さく鳴いた瞬間に、緑の瞳が細められ、記憶の緑と重なる。
レイアもそそっかしく、危なっかしい面を持っていた。
胸に広がるのは懐かしい愛しさと、同等の哀しさ。
思わず、小さなぬくもりを胸に抱き寄せた。
子猫は嫌がる事なくアルヴィンの胸に収まり、頬を摺り寄せてくる。
アルヴィンの哀しみを慰めるように。
そっと明るい茶の毛を撫でてみれば、その感触は何故かレイアの髪を撫でた時の感触によく似ていて。
唇から零れた。最愛の名前。

「レイア…」

それは独り言だったはずだが、胸の中のぬくもりは

「ミャァ!」

と、返事をした。
そう、それははっきりと返事の鳴き声だった。

胸の中のそれを再び目の高さまで持ち上げる。フミィ、と鳴いたそれにもう一度、今度は呼びかけるようにして、アルヴィンの大切な名を口にしてみた。

「レイ、ア」「ミャ!!」

「レイア」「ミャ!!」

「……レイア」「ミャァ?」

「そっか…お前はレイアか。…そうだな。呼び名無いと困るもんな」

過去、この子猫がその名で呼ばれていたのか、それとも単純にアルヴィンが口にした名前を自分のものだと認識したのかは不明だが、『レイア』、一旦そう呼んでしまうと、この子猫にはその名前が一番ふさわしいように思えた。
何故なら、あの時、雨の中で自分に擦り寄ってきた姿に確かに恋人の姿を重ねてしまったのだから。

『レイア』

それは、この一年、今日まで意識して避けてきたものだった。
その響きが胸に反響して辛かったから。
けれど、何故か今、この子猫をどうしてもその名で呼びたかった。

もう一度、ゆっくりと慈しむように

「レイア」

そう呼べば、子猫のレイアは

「ミャァ」

と甘えるような返事をした。


『アルヴィン君』

そう、言われた気がした。


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