−君のぬくもり 01−


「天気予報当たり、と」

自社ビルを出て、薄暗くなった空からぱらぱらと降り出した雨を見上げてアルヴィンは呟いた。
今朝のTVで雨が降るという予報を見て傘を持ってきて正解だった。
シルバーグレイの傘を濃くなっていく夜空に溶け込ませながら家路についた。

夜の雨は嫌いだ。
母が亡くなったのも雨の降る夜だった。まだ子供の頃だったがはっきりと覚えている。

そして何より…あの日も雨だった。
丁度今日みたいにぱらぱらと雨が降り出した薄闇の中に車を走らせていた。
途中からどんどん雨足は強くなって、フロントガラスの視界は悪くなった。
やがて完全に闇に覆われた夜道を照らすヘッドライトに映し出された雨粒の線で先程よりも激しい雨に変わったのだと、車内に独りでいたアルヴィンにもはっきり認識できた。

嫌な予感がした。暗闇の中雨が打ち付ける音がやけに耳に付いた。

その予感は的中してしまう。アルヴィンが雨に濡れるのも構わず病院に飛び込んだ時には彼の恋人であった少女は亡くなっていた。
最期まで必死にアルヴィンを待ち続けようとしたのだと、彼女の両親から知らされた。
『待ってられなくてごめんね。大好き』とも。
まるで現実感の湧かないその話を非常灯と僅かな明かりだけが灯る寂しい廊下で聞いていた。
焦げ茶の髪を黒く染めた雨の雫が頬に伝うのを感じながら。

彼女の両親に案内されやっと対面した恋人、レイアは雨に打たれていたアルヴィンよりも冷たくなっていて。
彼が最も愛しんだ新緑色の瞳は硬く閉ざされたまま、もう二度と見ることは叶わないのだと思い知らされた。
元々彼女は病弱だったものの、つい最近やっと回復の兆しが見え始めたと喜んでいたばかりだったのに。
アルヴィンに習い、必死に勉強したお陰で留年せずに高校にも行けるのだと、やや照れなが真新しい制服を着て見せてくれた姿はまだ記憶に新しい。

何故、アルヴィンよりも11も年下の、まだ15歳にしかならない少女の命を奪い取っていくのだろう。
何故、アルヴィンの大切なものを次々に奪い取っていくのだろう。
母も、恋人も。
神様なんて元々信じちゃいないがもっと信じられなくなった。

「レイア…遅くなってごめん…。間に、合わなくて…ごめんな…」

彼女が新緑の瞳を輝かせていた頃にしていたのと同じように明るい茶の髪をそっと撫でた。
触れた髪のサラサラとした感触は記憶にあるそのままで、何だかただ眠っているだけのような気さえした。
けれど、閉じられた瞼が開き、緑の瞳がアルヴィンを見つめる事はなかった。

「レイア。…」

レイア。何度も呼び続けた名を口にすると声が震えていた。
後に続く、「俺も大好きだよ。これからもずっと」は音になっていなかった気がする。

頬を伝う雨の雫はなかなか乾いてはくれなかった。


もしも、あんなに雨が強くなければ彼女と最期の言葉を交わす事が出来たかもしれない。
直接、瞳を見て、好きだと伝えられたかもしれない。

だから、雨は嫌いだ。

その日からアルヴィンは雨の降る日には車に乗らなくなった。
会社の同僚は「雨の日こそ車だろ普通」と言う。ごもっともな話だ。
だがアルヴィンはそれらに

「水も滴るいい男って言うだろ?俺には雨が似合うんだよ」

などと軽口を返すのみだった。実際は雨の日、特に雨の夜に車を走らせるとあの夜を思い出して辛いからに他ならなかったのだが。

そんな生活をもう一年も続けている。
いや、まだ一年、と言ったほうがいいのかもしれない。

アルヴィンの中で明るい茶の髪も緑の瞳も鮮やかに息づいていて、彼の名を呼ぶ声すらも鮮明に思い出せるのだから。
過去の思い出にならぬまま、レイアは今もアルヴィンの中にいる。

過去に成り切れない記憶の中に意識を漂わせている間に、何時の間にやら雨足は会社を出た時よりも強まっていた。
傘を打つ雨音があの日、耳を打った音に似ていて、耳障りだ。

「雨は嫌いなんだよ…」

小さな呟きは激しさを増した雨の中に吸い込まれて消えた。
自嘲気味に溜息を一つ付き、足取りを早めようとした時、

『アルヴィン君』

ふいに名を呼ばれた気がした。かつて彼の恋人が初めて会った時に彼を呼んだ呼び方で。

「…レイア?」

思わず恋人の名を呼び、居るはずのない姿を探しきょろきょろと辺りを見回す。
当然だが、その存在を確かめる事など出来ず、幻聴だったのだと気持ちに折り合いを付け、再び歩み出そうとしたアルヴィンの足に何かが擦り寄るのを感じた。
足元に感じる感触に視線を地面に向けると、子猫が一匹、彼の足に纏わりついていた。
自分に視線が向けられたのを感じたのか、偶然なのかは分からないが、子猫は視線を上げアルヴィンの目を見つめると「ミャー」と小さく鳴いた。

その鳴き声に、何故だろう、泣きたくなる位の愛おしさを感じた。


子猫は明るい茶の毛と新緑のような瞳をしていた。

雨は一人と一匹の上に容赦なく降り続ける。



もどる
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -