「ほんと、ガキばっか大人になってくな……」
そう自嘲気味に呟いた声は生温い風に紛れて、トリグラフの街に消えていった。
暫くアルヴィンはその場に残り、どこか物悲しさを感じてしまうエレンピオスの夜空を眺めていたが、明日の決戦に備えてそろそろ眠ったほうがいいだろう、と座っていたブランコから立ち上がった。
決戦に備え、気持ちを整理する―――。
胸の中にはまだしこりがある。だが、自分はどうしたらいいのだろう…。
どうしたいのだろう…。
目を閉じると、印象的なヘッドドレスの飾りと、七色に光を反射する透明な羽飾りが瞼の裏で揺れた。
風に吹かれたそれらを、やがて赤い血の色が塗りつぶしていく。
胸のしこりがずきりと痛んだ。
どうして、彼女を、レイアをあの時撃ってしまったのだろう。
嫌い、だったから。
そう、ずっと嫌いだと思っていた。
いや、嫌いになりたかったんだと思う。
『アルヴィン君、アルヴィン君』
そうやって、心の垣根を簡単に飛び越えてこちらに触れてこようとする彼女を警戒していた。
踏み込まれたくない心の領域に踏み込まれているのに、どこかで心地良さすら感じてしまう彼女の行動が、心が、ただ怖かった。
それに慣れてしまえば、自分はきっと『アルヴィン』ではいられなくなる、そんな気がしていた。
それと、嫉妬。
もしも、『アルフレド』のままで成長していたなら、自分もあんな風に、少しお節介で純粋で、優しくいられたかもしれない。
どこまでも澄んだ瞳をして、世界を見つめていられたかもしれない。
真っ直ぐな強さを持っていられたかもしれない。
そう思うと、無性に腹が立った。正直八つ当たりだ。
母さんを連れて故郷に、ただそれだけ、それだけを願って他のものをすべて捨ててきたっていうのに、そのたった1つの願いですら叶わなかった。
結局、どんなに必死に願ったって、頑張ったって、運命ってやつの前には人間は成す術もないまま呑まれていくだけ。
頑張ったって、無駄なんだ。
それなのに、レイアは必死に想いを向けて貰える訳でもないジュードを守ろうとした。
至近距離で銃に威嚇されようとも怯まなかった。
ミラが死んだってのに、何一つ諦めようとしなかった。
アルヴィンの心に触れる事さえも、あの撃ち抜かれる、瞬間まで諦めなかった。
馬鹿だと思った。なんて馬鹿な奴なんだ、と。
そして何より、アルヴィンが弱い人間だと突きつけられている気がした。
『貴方はすべてが決まる前から「無駄だ」って自分に言い訳して諦めてる』
そんなレイアの声があの時聞こえた気がした。
その声はアルヴィンの心臓を射抜き…。
気がついた時には、自分の手は銃の引き金を引いていた。
レイアが銃弾に撃ち抜かれ、崩れ落ちた瞬間、胸を占めたのは途方もない後悔、だった。
何か、大事なものが壊れた気がした。
けれど、その時はその気持ちが何なのか理解、出来なかった。
理解出来たはずだが、理解しようとしなかった。
目を背けたそれに嫌でも気づかされてしまったのは、レイアのアルヴィンへの態度だった。
今まで、どんな時でも笑い、手を取り、親しげにしていた彼女がアルヴィンと目も合わせなくなった。
元来の気質のせいで、アルヴィンを憎む事はせず、必要最低限の会話はしてくるが、決定的に変わった事があった。
レイアはアルヴィンと距離を取った。
彼の心の領域に踏み込もうとするのを止めた。
今までどんな事があっても諦めようとしなかったレイアが諦めた。
『頑張る』事を止めた。
頑張ったって無意味だ、そう思っていたはずなのに、それがアルヴィンには堪らなく哀しく感じられた。
『アルヴィン君』
嫌いだと思っていた、その呼び名を、失ってから初めて心地良かった、好きだったのだと認識した。
哀しげに翡翠の瞳を翳らせるレイアが瞼の裏で佇んでいる。
その姿を振り払うように、ゆっくりと目を開けた。
だが、アルヴィンの視界には印象的なヘッドドレスと、風に靡く羽飾り、明るめな茶の髪がくっきりと残っていた。
一瞬意識の残像なのだろうか、と、思ったが、それは実際のレイアに他ならなかった。
どうやら彼女もまだ眠ってはおらず、偶然ここを通りかかったようだった。
彼女も自分の意識に潜っていたのだろうか、この至近距離に来て初めてアルヴィンの存在に気づいたように、ぴくりと肩を震わせた。
沈黙の中、視線だけが絡まりあう。
だが、それも僅かな時間だけで、レイアはぎこちなく身を翻すと何も言わずにこの場を立ち去ろうとする。
アルヴィンの胸の中に苦味が広がる。
以前のレイアならばこんな時、にこりと微笑を傾けながら『アルヴィン君も眠ってなかったんだ』とこちらに近づいて来ただろう。
近づきたい、そう思った。
気がつけば彼女の名前を呼んでいた。
「レイア!!」
無意識に近い行動だった。
自分の名を呼ばれ、アルヴィンに背を向けていたレイアの足が止まった。
再び沈黙がこの場を支配する。
勢いのままレイアを呼び止めてしまったが、一体何を話せばいいのか理解らなかった。
気まずい沈黙が続く。
先に口を開いたのはレイアだった。今までの彼女のそれとは比べ物にならない程抑揚のない声。
「…何もないならもう行くけど…」
「あ、いや…その…」
言葉に詰まる。自分はこんなに話下手だったろうか。何か気の利いた台詞ひとつでも言えたなら。
けれど、どんな台詞も浮かんでは来ず、また浮かんできた所で無意味なんだ、なのに何故引き止めてしまったのだろうと後悔し始めた時。
風が吹いた。
風はレイアの背の羽飾りを大きく煽った。
瞬間、アルヴィンの目に飛び込んできた、彼女の背に残る、彼が刻んだ銃創。
それはほんの一瞬だったが、はっきりとアルヴィンの目を突き刺し、心臓を鷲掴みにした。
「ごめん!!」
自然に口が動きだした。さっきまで固まっていたのが嘘のように。
そして、何故か酷く子供っぽく。でも、それでも構わないと思った。
「レイア、ごめん。悪かった。本当に、ごめんな」
今まで聞いた事もないような、アルヴィンの子供っぽさのある物言いに、レイアは振り返ろうとする。
だが、アルヴィンはそれを制した。心は高揚していた。
「そのまま、背向けたまま。そのままでいいから、聞いてくれ」
そう宣言して、レイアの小さな背を見つめる。
『アルヴィン君、諦めちゃ駄目だよ』
レイアの声が、聞こえた気がした。
レイアは黙って、じっと佇み、アルヴィンの言葉を待っているようだった。
「レイアの事何も知りもしないで、勝手に嫌って馬鹿にして、ごめん。馬鹿なのは俺の方だよな。レイアがどれだけ俺に近づこうと、手を取ろうとしてくれたのかに気づきもしねぇで、その上レイアの命を奪おうとした。嫌われて当然だよな。けど、嫌われて初めて気が付いたよ。レイアが傍にいてくれるのがどんなに心地良かったのか。虫のいい話だって分かってるけど、俺はそれを諦めきれないみてぇ。だから俺、レイアが許してくれるまで、レイアを守り続けるよ。許してくれるまで絶対に死なせないし諦めない」
一気に捲くし立てた。自分の中にある本物の自分が、必死に声を上げているのが理解る。
レイアは何も言わない。でも、それで良かった。
もう一度、ゆっくりと声にした。それがアルヴィンのしたい事だった。
「諦めないから」
それは、目の前の彼女が得意とする事だった。
「悪ぃな、こんな屑野郎に関わっちまったのが運の尽きと思ってくれ。それじゃ…」
最後だけは今までの『アルヴィン』を演じるような口調で言ってから、その場を離れた。
レイアからは何一つ、返事を返して貰っていない。
でも、それで構わなかった。心の高揚は治まるどころかどんどん強まっていく。
まるで子供にでも、アルフレドにでも戻った気分だった。
何か大事な宝物を見つけた子供の日のように。
20年、頑張ってきた。もう無理だ、何度もそう思いながらも諦めずに頑張ってきた。
その願いを叶える事は出来なかったが、頑張ってきた時間そのものは本物だった。
それなら、きっと今抱いたこの願いを叶えるために同じ時間頑張る事も出来るはずだと思った。
頑張る事は完全に無意味じゃない。
だって、レイアの頑張りがアルヴィンをほんの少し、前に進ませたのだから。
アルヴィンはそれを身を持って知ったのだから。
故郷である街を歩きながら、どうしようもなく泣きたくなった。
けれど、それは悲しいばかりの涙ではない気がしていた。
多分、自分の20年の頑張りを自分が認める事が出来た事への安堵と労いの涙が混ざっているからだろう。
「大の大人が泣きっ面でだっせー」
誤魔化すようについた悪態が風に混ざって、暖かくアルヴィンを包んだ。
今日はきっとよく眠れるだろうと思った。
アルヴィンが立ち去った場所にレイアは一人ぽつんと残され佇んだままだった。
「何よ…一人で勝手に喋って、勝手に居なくなって……私、まだ何も言ってないじゃない…アルヴィン君って本当、馬鹿…」
ぽつりと呟いた言葉と一緒に涙の雫も零れ落ちた。
「絶対に…諦めないでよね…アルヴィン君」
『アルヴィン君』
暫く口にしていなかったその呼び方が、やっぱり好きだとレイアは思った。
「口、利いてくれるのか」
「えっと………」
「嬉しいよ、レイア」
「どう…、いたしまして…」
そうして絡ませあった視線の先で見たのはお互いの今まで見た事のない、新しい表情だった。
少女らしく、照れて頬を染める彼女と。
作り笑いや嘘を捨て、本当に嬉しそうな笑みを零した彼と。
諦めない者同士ならば、きっと新しい関係を築いていけるだろう。
まだ上手く視線を合わせることが出来なくとも、二人の見ている未来は同じ方角の先にあるのだから。
タイトル:hmr様
一度は書いてみたかったアルレイ最終決戦前夜捏造。
本当に物凄く捏造ばっかりですけど、アルレイの日という事でひとつ大目に見てやって下さい(笑)。
完全版でアルレイ最終決戦前夜補完たのむよ!!←
モドル