kiss me kiss you・前

(うーん……どうしたらいいんだろう……この空気)

チチチと陽気な声で小鳥が鳴く、穏やかな昼下がりに似合わずレイアは眉を顰めていた。
場所はディール、絶景が眺められる見晴らしのよいパラソルの下。デートには持ってこいの場所。
そう……デート。
レイアは現在デート(もどき)中である。
誰と?アルヴィンと、である。
では、ふたりは恋人同士なのだろうか。否。
時間が合えば良く顔を見に行くし、時と場合によっては家に泊めて貰ったりもするが(例えば仕事が立て込んでいて、食事等が疎かになりそうな時など)恐らくは『友人』と言っておくのが今の関係を表すのに一番相応しい表現だろう。
レイアの心の内に芽生えてしまった新たな『可能性』は別として……。

それ、がいつ自分の内側で変化したのか、その時期をレイアははっきりと思い出す事が出来ない。けれど、多分、ふたりの間にあった諸々の溝を埋め、エレンピオスで何度も顔を合わせるようになり、無理をしなくても自然に会話が弾むようになった後であるのは間違いなさそうだ。
それ――アルヴィンへの気持ち。
アルヴィンを仲間の一人として認識していたはずのレイアの心は、何時しか(レイア自身が気付かぬ内に)彼を特別な存在として胸の内に棲まわすようになっていた。
具体的に言うなら『好き』という事なのだろう。
もっとも、その事実に気付いたのはついこの間のことである。
ルドガーやエル、かつての仲間達と再会し、またこうして皆で同じ時間を共有するようになってからだ。

レイアは氷が溶けて随分味の薄くなってしまったナップルジュースを飲むふりをしながら、隣に座って同じように飲み物を口にするアルヴィンを盗み見た。
午後の明るい日差しがパラソルの中に一筋、スポットライトみたいに差し込んで、鼻筋の通った顔立ち、長い睫によって落ちる陰影をくっきりと浮かび上がらせていた。
どきりと胸が鳴り、慌てて視線をナップルジュースに戻した。

(あぁ、どうしよう……凄く緊張しちゃってるよ。今までみたいに、何時も通りに何か話さないと……)

ドクドクとなる心臓の音は、もしかしたら辺りに響いているかもしれないと思ってしまいそうになる程騒がしい。
そんな胸元を押さえ、何とかこの微妙な空気を割る話題を必死に探す。
その作業はレイアを何だか不思議な気分にさせた。
だって、この気持ちに気付く前なら、それこそ『お前、よくそんなに話す事あるな』と苦笑されてしまう程に、あれもこれもとアルヴィンに話したいことは次から次に出てきていたのに。
それがどうした事か、何を話したらいいのか分からなくなってしまうなんて。

(だって……アルヴィンが『デートみたいだな』なんて言うから……)

レイアの視線の先、グラスの中で、またひとつ小さな氷が溶けていった。


『効率よく手分けして依頼をこなした方がいいかもね』
まさに鶴の一声みたいな、ジュードのその言葉で、今回の(ルドガーの借金を返すための)依頼は幾つかのチームで分担する事になった。
レイアはアルヴィン、ガイアス、ミュゼと同チームでディールに。
丁度、ディールでの取材が入っていたのだ。そこに、同じくディールに用事があるらしいアルヴィンと、ディールの屋台で食べ歩きがしたいとういミュゼと、(恐らく)そんなミュゼを放っておいては後々面倒な事になると心配したガイアスが同行することになった。
そうして四人でディールに向かい、さっくりと依頼をこなすと各々の用事のために現地解散をした。
当然、レイアは取材先に向かった。
ただ、そこにはアルヴィンも同行したのだけれど。
何でも予定していたはずの取り引きが急にお流れになってしまったんだとか。

「そっか、残念だね。でも、また次のチャンスがあるよ!今度はきっと上手くいくよ!」

そうやって励ますと、何とも言えない曖昧な笑みを返されてしまったけれど。
と、まぁ、そんなこんなで無事に依頼も取材も終え、後はトリグラフに戻るだけとなった中で、屋台をぐるりと見回したアルヴィンが言った。

「折角ディールに来たんだ、何か軽く食ってくか」

奢ってやるよ、と。
レイアに断る理由なんて無かったから、その誘いに乗り、屋台で軽食とジュースを買って、見晴らしのいいパラソルの下で食べる事にした。
その時、回りのパラソルの中を見、(レイアとアルヴィンの居るパラソル以外は)カップルばかりの光景にアルヴィンがぽそりと呟いた。

「何か、デートみたいだな、これ」

アルヴィンにしてみればほんの軽い気持ちで口にしたに違いないのだけれど。けれど、アルヴィンへの気持ちに気付いてしまったレイアの胸にはそれは大きく響いて……。

「(デート……みたい)」

そのせいで、何を話していいのか分からなくなり、酷く緊張することになってしまった。

沈黙。……沈黙。
次第に気まずい雰囲気になりそうな中でレイアは必死に辺りを見回し、何か話題になりそうなものを探した。
と、ある事に気付く。

(な、何で……何でこんなに皆……)

右を見、左を見、かぁと頬を染め、急いで視線をグラスに戻す。

(何で、キスばっかりしてるの……!?)

緊張のせいで今まで気付かなかったが、自分達がいるパラソル以外は何処も彼処も甘い雰囲気に溢れ返っている。レイアが場違い感に縮こまり、赤面して俯いてしまう程に(そりゃ、周りはカップルばかりなのだから当然なのかもしれないけれど)。

(もう、やだ……意識しちゃうよ)

周りは人目も憚らず、キスを繰り返し、甘い睦言を囁きあっては照れ臭そうに微笑う。
そんな、空気の中、アルヴィンとレイアはふたり。
意識するなという方が無理な話だった。
そのせいで余計、何を話せばいいのか分からなくなる。

いよいよ沈黙が続き、レイアが大人しくすぐにトリグラフに戻っていればよかったんじゃないかと思い始めた頃、

「これじゃ俺達もカップルか何かかと思われてそうだな」

あっちもこっちもお熱いこと。
くつくつと笑うアルヴィンの声が降って来た。

「そういや今日は『キスの日』なんだったな。タイミングが悪かったな。ごめんな」

こんな気まずい空気の中に連れてきちまって。
笑い声を引っ込め、申し訳なさそうな顔をする。
一瞬、『キスの日』とは何だろうと気になったが、それよりも、眉を下げ、どこか寂しそうな顔をしたアルヴィンにレイアの心は揺さぶられた。

「そりゃ、嫌だよな。こんな雰囲気の中に俺と二人、放り込まれちまっても何も楽しくねぇし、話すこともないよな」

ほんと、悪ぃ。グラスの中に残っていたジュースをぐいと飲み干し、アルヴィンが徐に立ち上がろうとする。

(違う、違うの!そうじゃないの!)

心の中でレイアはぶんぶんと激しく首を振った。
決してアルヴィンと一緒にいるのが楽しくなくて沈黙していたわけではない。寧ろ、まるでデートのようだと思ったら舞い上がってしまって、そのせいで何も言えなくなっただけなのに。
けれど、このままではアルヴィンはレイアが現状を嫌がっていると取ってしまう。もしかしたら、もう二度とこんな風に誘って貰えなくなるかもしれない。

(そんなの絶対に嫌!)

想いが先走り、考えるよりも早く体が動いていた。

「待って!違うの!」

半ば立ち上がっていたアルヴィンの体を再び椅子に押し込むようにして、腕を引っ張った。
感情が口を突く。どうにかして、誤解を解かなければ、今はそれだけしか考えられなかった。

「アルヴィンと一緒なのが嫌なんじゃないの!ううん、むしろ、こうしてられるのが嬉しくて、でも、すごく緊張しちゃって。だって、周りはカップルばっかりで、だから、つい、想像しちゃったんだよ!アルヴィンと恋人同士になって、キスしたりする、」

「……」

視線の先で、赤茶色の切れ長の瞳が見開かれている。驚きで。

「……の……っ!!!」

言葉には勢いがついていて、急いでブレーキを踏んだところで遅く、レイアは結局最後まで言ってしまってから、音にしてしまったもの、その意味するところを頭で反芻し、ばっと口元を手で覆った。
全身がゆでダコのように赤くなり、思わず涙ぐんでしまう。
何て最低なシチュエーションで告白してしまったのだろうと。

「…………」
「…………」

沈黙が痛い。走ってここから逃げ出したい。
そんな中、アルヴィンがぼそりと、沈黙を破った。

「……レイア」
「……(ああ、何も聞きたくないよ)」

きっと、思い切り馬鹿にされるか、呆れられるに決まってる。だって、こんなに驚いているのだから。
目尻に張った涙の膜もそろそろ限界だった。

「あの、さ……今の本気?レイアが俺と恋人同士になってキスするって、それ、さ……」
「あ、あの……ね」
「俺、それ、本気にしちまって……いい?」

ぼろっと涙が頬の上を転がり落ちた。予想外の展開に――。



「やっと落ち着いたか。ったく、急に泣き出すから驚いちまったよ」
「だって、びっくりしたんだもん!」
「びっくりしたのはこっちだよ」

ぷくりと頬を膨らませたのは照れ隠し。
――結局。あれからレイアは溢れた涙を止める事が出来ず、暫くの間アルヴィンの前で泣き続けてしまった。驚きと、喜びと、何だか分からない気持ちがごちゃごちゃになってどうしようもなかったのだ。

「お陰で俺はいたいけな少女を泣かす怪しい男みたいな目で見られちまったじゃねぇか」
「うっ……それは、ごめんなさい」

レイアを泣き止ますのに、アルヴィンが苦心していた光景を思い出し素直に頭を垂れた。
そこへぽんぽんと大きな掌が落とされる。
今までもこうされた経験はあるのだけれど、今までとは違い、どこか甘くくすぐったい気持ちになった。我ながら現金だなとも思うけれど(気持ちが通じた途端これなんて)。

「ま、落ち着いてくれたんならいいさ。あー、でもそうだな、折角だからお詫びの印、欲しいよな」
「お、お詫びの印……何あげればいいの?」
「キス。ここに」

にこり、といい笑顔で自分の唇を指差すアルヴィンに、レイアは口と目をOの形で揃えてしまった。金魚みたいに赤くなり、口をパクパクさせてしまう。

「そんな驚く事ないだろ?ほら、俺達晴れて『恋人同士』になったわけだし?」
「で、でも、ここ人がいっぱい……」
「忘れたのか、レイア?今日は『キスの日』だぞ」

周り見てみろよ。
促されて、視線をぐるりと巡らせれば、ここにやってきた時と同じように、色とりどりのパラソルの下、沢山のカップルが自分達の世界を作り上げている。
視線をもどせば、「な?」と肩を竦められた。

「周りはこんな調子で浮くってことも無いし、そもそも自分達の世界に浸ってっから俺達が何してても興味ねぇよ。それに、さっきも言ったけど、今日は『キスの日』だぜ」
「その『キスの日』っていうのは……?」
「恋人同士が大手振って人目憚らずキスする日」
「……ホントに?」
「ホント、ホント」

口角を上げて笑う姿に「何か嘘っぽいなぁ」とも思ったけれど、さっき迷惑を掛けてしまったのは事実だし、何より、レイア自身、アルヴィンとキスすることを想像したのも事実だったから。ここはあえてその嘘に乗ることにした。……ふたりを取り囲む恋人達が作り上げる雰囲気に呑まれたせいかもしれない。
躊躇いつつ、アルヴィンに近づいた。

「軽く、だよ」
「了解」
「そ、それじゃ……失礼します」
「何だそりゃ」

ごくりと唾を飲み込んで言った言葉を可笑しそうに笑うアルヴィンに、ちょっとだけムッとしながら目を瞑ってと要求した。「これでいいですか?」と微笑しながら閉じられた瞼を確認して、もう一度息を吸い込んだ。
見惚れてしまいそうな、整った顔にそっと近づいて、レイアは自分の唇を彼のそれに、本当に軽く触れさせた。
時間にして僅か一秒足らず。
そうして、すぐに身を離そうとしたけれど……。

「!!?」

体は離れる事なく、寧ろもっとアルヴィンに近く、密着するまでになっていた。がっしりとした腕の中に抱き込まれている。
慌てて顔をあげると、何時の間に目を開けていたのか、赤茶の瞳がすぐ目の前で悪戯に微笑っていた。唇が「捕まえた」と音も無く告げる。

「レイアの初めてのキス、ご馳走様。今度は俺からお返しな」
「えっ、あっ、アル、ヴィ、」
「なぁ、レイア。俺さ、本当は――――」

ぐっと顔が近づいて、レイアが驚きの声を上げる一歩手前で、さっきのとは比べ物にならない深い深いキスがふたりの声を閉じ込めた。

――本当は今日、最初からお前を追いかけてきたんだよ。

そう悪戯っぽく告げられた真実を。


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